「山本空外_では書は信用であるか」

「書論各観の光はその心の深さにしか照応しない。したがって外観のよさと内面の心光とは、どこまでも混合してはならないし、あくまで別のものである。そのことを書ほどきびしく示すものが他にあるであろうか。書をかけば、そのことはまったく一目瞭然なのである。自己とは何かをいかに論議しても、またそれに関する研究書をどれほど読破しても、決まるものではない。わたくし自身その問題を東大の哲学科卒業論文(『カント及び現代のドイツ哲学における認識主観の意義』大正十五年三月)でも取りくんだし、以後今日まで約六十年も専攻し来ったが、それよりも書を見るほうが、よほどはっきりと書いたひとの心もわかり、自分の書を前にすれば自己の心を鏡に写したようなものと感ずる。生きた心の芸術として書以上のものはなかろう。終生自己の問題に哲学上取りくみ来ったわたくしは、心の宗教として念仏で一生をとおし、また自己の心を原点にする書芸術を久しく行ずるゆえんである」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 39-40頁)

「良寛和尚のごとき、外見はいかにも平凡のようでも、心は深く永遠の光に照らされている証拠をその墨蹟が物語っている」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 55頁)

「良寛の道詠に
  草の庵ねてもさめても申すこと
  南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏
とあるが、良寛の筆致に見入るほどわたくしは「無縁の慈」の深みに感応する」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観(二)1973年6月号 No.231』墨美社 10頁)

「良寛の書のごときは、そうした「大慈悲」の書でもあり、この前に立つものをして、「無縁の慈をもって、もろもろの衆生を摂するなり」といえないであろうか。「仏心とは大慈悲なり」という、その仏心こそ主・客の無二を呼吸する、いのちのつながりの原点であるからである。その原点に立つ書論各観でなければ、生ける書とはいえない」『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 41頁)

「かの『淳化閣帖』中の蕭子雲の書(「歴代名臣法帖第四」)を見ていても、時のたつのも忘れて自然の心に迫って際限ないものに感応する」『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 50頁)

「では美は信用であるか。そうである」(真贋」小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 233頁)とは、たびたび引いた文章であるが、そのあとに、小林秀雄は、「純粋美とは譬喩(ひゆ)である。鑑賞も一種の創作だから、一流の商売人には癖の強い人が多いのである」と書いている。
 書の世界においても、贋作が出まわっていることは、容易に察しがつくが、「では書は信用であるか」。書は、「生きた心の芸術」の最たるものであり、「書を見」れば、「はっきりと書いたひとの心」が自覚される以上、それは「信用」の問題ではなく、「真贋」の問題につきる。「純粋美とは譬喩であ」り、「鑑賞も一種の創作」である、ともいえず、書の世界は清澄である。しかし、俗世のことは、私には知る由もない。
 かといって私は、「では美は信用であるか。そうである。純粋美とは譬喩(ひゆ)である。鑑賞も一種の創作」である、という骨董の世界も捨てきれない。青山二郎の眼はなにを見つめていたのか。小林秀雄は、
「『壺中天』という言葉がある。焼き物にかけては世界一の支那人は、壷の中には壷公という仙人が棲んでいると信じていた。焼き物好きには、まことに真実な伝説だ。私の部屋にある古信楽の大壷に、私は何も貴重なものを貯えているわけではないが、私が、美しいと思って眺めている時には、私の心は壺中にあるようである」(「信楽大壺」白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 88頁)
と書いている。あるいは書における、骨董における、また「道具茶」における、ひとつながりのものを思う。
 人をして黙させるもの・こととの出会いを大切にしたい。

「わたくしのことを述べて恐縮であるが、わたくしの書を刻したいといっておられた彫刻家が、運筆を直接見られて、そのいのちの呼応がとうていできないとのことで断念せられた例もあるし、また彫刻されてわたくしの筆勢と別ものになってしまったこともある」(『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 43頁)