TWEET「お能の秋です。能繁期です」

昨日、
◇ 清少納言,島内裕子訳校訂『枕の草子 上』ちくま学芸文庫
◇ 清少納言,島内裕子訳校訂『枕の草子 下』ちくま学芸文庫
が届くまでの間、積読したままになっていた、
◇ 世阿弥,竹本幹夫訳注『風姿花伝・三道 現代語訳付き』 角川ソフィア文庫
を読んだ。
『風姿花伝』は、世阿弥が、相伝者であった弟四郎に、また「花伝第七 別紙口伝」は、元次(もとつぐ、世阿弥の嫡男か)に宛てて書かれた秘伝の能楽論である。秘伝書を私が密やかに、読み耽っていたわけであるが、門外漢である私にはおしなべて通り一遍の読書に終始した感を抱いている。
「たけ」(芸の品格)について書かれている、「風姿花伝第三 問答条々」第六問答(位(くらゐ)の差別(しゃべち))に魅かれた。現代語訳を何度か読み、また註を参考にしつつ原文にも当たったが、口ごもったような物言いで、矛盾しているようにも感じられ、得心するまでにはいたらなかった。
「本条は『風姿花伝』の中でももっとも難解な一条とされている。世阿弥の芸位論は、稽古の階梯(かいてい)論として後年の能楽論で高度に展開されるところとなる。そうした晩年期の芸位論に比して、本条の芸位論は、途中に挿入句があって論理的に飛躍した印象を与えるために、「物学条々」の鬼の条と並んで、世阿弥がまだ十分に論を整理していない段階で執筆された、いわば未熟な論であるという指摘もある。」(128頁)
との記載が【解説】にあり納得した。
「たけ」は生得的なものであるが、稽古を積めば追いつくものか、適わないものなのか。
 そもそも能における「たけ」とはいかなるものか。
「答ふ。これ、目利きの眼(まなこ)には、やすく見ゆるなり。」
とあるので、はっきりと自覚できるものなのであろう。
 学生時代、竹本幹夫先生の能楽論の講義を二年続けて受講した。真摯で真面目な授業態度だった。竹本先生は、表章(おもてあきら)先生のお名前をよく口にされていた。
「お能の秋」です。
「能繁期」です。
 能楽堂に足を運ぶこともなく、能楽論だけに終始した学生時代をもったいなく思っている。大学というところは、学生には過ぎたところだと思っている。