TWEET「『枕草子』_その古典文学における稀有の青春性」

昨夜、
◇ 清少納言,島内裕子校訂訳『枕草子 上』ちくま学芸文庫
◇ 清少納言,島内裕子校訂訳『枕草子 下』ちくま学芸文庫
を読み終えた。
 読み進めるうちに、「註」がないことに気づいた。見れば「訳校訂」とだけ記されていて、不思議に思ったが、読み継いでいくうちに、「現代語訳」中に「註」が反映されていることが分かり安心した。
 島内裕子は、「語注」や「語釈」を付けなかった理由を、巻末で、
「本書によって『枕草子』の全章段にわたり、「原文・訳・評」をひとまとまりとして、先へ先へと読み進むことが可能となることを企図している。連続読みによって通読してこそ、『枕草子』の世界が生成してゆく時間を、作者である清少納言と共有できる。その体験が、『枕草子』を読むことにほかならない。」(清少納言,島内裕子校訂訳『枕草子 下』ちくま学芸文庫 504-505頁)
と説明している。ただし、「原文で通読する」という意味であり、原文中の「ルビ付きの漢字」や「句読点」の多用はそのための工夫である。しかし、私は、相変わらず「現代語訳」を読みつつ、これでは『枕草子』の面白みは半減してしまうだろう、と思っている。
 きらびやかな王朝文化、宮廷人の艶姿(あですがた)の一端を垣間見た。清少納言の才気煥発、当意即妙は群をぬいて鮮やかであるが、毀誉褒貶については、褒誉された側は誉高いが、貶められた側は立つ瀬がなく残酷な場面さえ見受けられる。
 清少納言が出仕したのは数えで 28歳、そのとき一条天皇の中宮であった定子は 17歳であった。そして、定子は 25歳という若さで崩御され、その間 わずかに 8年間のことが『枕草子』に描かれることになった
 その後浮沈があり、清少納言の行方は未詳のままとなっている。
「一つの時代の終わりは、古典文学における稀有の青春性も終わらせた」(清少納言,島内裕子校訂訳『枕草子 下』ちくま学芸文庫 509頁)
と、島内裕子は書いている。
◇ 島内裕子「『枕草子』をどう読むか」
清少納言,島内裕子校訂訳『枕草子 下』ちくま学芸文庫 501-505頁)
をぜひお手に取ってご覧になってください。名文です。遠く、私のおよぶところではありません。
 はじめて古典にふれた気がしています。
『徒然草』を再読し、『古今和歌集』『新古今和歌集』へと歩を進めます。「記紀万葉」は、お預けです。