TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / なおかつ 折々の記_13』: 〜白洲正子編〜」

つい今し方、
を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。
上梓されました。早速購入しました。

「明恵上人における徒者(いたづらもの)」
白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫
「高山寺に住んでからの明恵は、変ないい方ですが、だんだん透き通って行くように見えます。」(124頁)
 明恵上人が栂尾高山寺に移ったのは建永元年(1206)、34歳のときのことです。
 以下、明恵上人の言葉です。

 『仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり』(遺訓)(124頁)
 『我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき』(125頁)
 『生涯此の如く徒者に成り還らば豈(あに)徒(いたづら)なることあらんや』(遺訓)(125-126頁)

 明恵上人における「徒者」とは、碍ることの無い境涯にある者、「仏法に能く達したりと覚しき人」のことである。仏は仏であってさえ、仏法は仏法であってさえ、また道は道であってさえならない。そして、それらを方便であると抛擲した明恵の境地や、無作為、無頓着、またその無関心ぶりは爽快である。
「お能はお能にも執着してはならないのだ」といった白洲正子の言葉を思い出す。