TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / 又 折々の記_04』: 〜中井久夫編〜」

予期せぬ不具合の発生により、未出版状態のままになっております。申し訳ありませんが、復旧までいましばらくお待ちください

つい今し方、
を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。
上梓されました。早速購入しました。

「ある教育の帰結」
中井久夫『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫
「高度成長は終わったが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったと言えなくもない」(68頁)
◆保護者の皆さま、また教育関係者の皆さま方、ぜひご覧になってください。

「看護できない患者はいない」
中井久夫『看護のための精神医学』 医学書院
 看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ。
 病気の診断がつく患者も,思うほど多くない。診断がつかないとき,医者は困る。あせる。あせらないほうがよいと思うが,やはり,あせる。しかし,看護は,診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」──看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際,医者の治療行為はよく遅れるが,看護は病院に患者が足を踏み入れた,そのときからもう始まっている。(2頁)

「精神科医・中井久夫が患者と家族に接する流儀は、絶望の淵にある人びとの治療への士気を高め、『希望』を処方することだった。

 精神医学とは縁もゆかりもない一般読者である私が、「いまなぜ中井久夫なのか」といえば、それは、中井久夫先生の患者さんに対する眼差しであり、姿勢であって、患者さんご本人やそのご家族、また医師や看護師、さらには職員の方々への「言葉」です。お心配りであってご配慮です。文章であってその巧みな比喩表現です。
 そして何よりも、中井久夫先生の著作を読ませていただいていると、気持ちが楽になります。

 中井久夫先生はその著『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 のインタビュー記事の中で、 
「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね。」
とおっしゃられています。
 そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終っています。