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白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫

◇ 白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 をつい今し方読み終えた。読み通したのははじめてであった。 「明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。」(164-165頁) 「釈迦という人間」とともにあることだけを願った、上人の偽らぬ美しい生き方と、また作品中には、白洲正子の理にかなった読みと丹誠を凝らした表現が随所に見うけられ、清々しい読後感を抱いた。  体調不良の合間を縫っての読書体験が幸いしてか、終始しっとりした時間に身を委ねての読書だった。  根を詰めることからは少時離れて、 ◇ 芸術新潮 1996年11月号 『白洲正子 愛の明恵上人』 を繰りながら、明恵上人の足跡を訪ね、上人の見つめていたものに目を凝らし、余情・情景に浸ろうと思っている。 「韋駄天お正」の取材記である。疾走する「お正」を尻目に、悠然と置いてけぼりを食おうと泰然と構えている。 以下、 白洲正子「明恵上人_まとめて」 ◇ 「今年のはじめての雑誌です。芸術新潮『白洲正子 愛の明恵上人』です」 ◇  白洲正子「たえず『見ること』をしいた過酷な存在」 ◇  梅雨晴の間に間に_「西行と明恵 その一」 ◇  梅雨晴の間に間に_「西行と明恵 その二」 です。

最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして」

 1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から26年が経ちました。「災害関連死」も含めて、6434人の方が亡くなられました。  中井久夫先生には、以下の著作があるのは承知していますが、そのままになっています。 ◇ 中井久夫『災害がほんとうに襲った時 ー 阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房 ◇ 中井久夫『復興の道なかばで ー 阪神淡路大震災一年の記録』みすず書房 負い目もあって検索していますと、 「阪神大震災のとき / 精神科医は何を考え、/ どのように行動したか」 「中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 電子データの公開および無償頒布につき まして(最相葉月)」 と題されたサイトに出会いました。 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin00.html 以下、 中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin01.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/shinall.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/mae.epub の無料頒布先です。 無料頒布は、 「まことに僭越と思いつつ無償配布のご提案を中井氏にいたしましたところ、「かまいません」と瞬時にご快諾いただきました。版元のみすず書房の担当編集者である守田省吾氏のご協力も得て、ここに公開させていただきます。一人でも多くの皆様に届きますよう、心当たりの方がおられましたらご案内いただけると幸いです。今、困難な任務に就いておられる皆様を心より応援いたしております。(2011年3月20日最相葉月)」 の経緯を経てなったものです。  26年目の今日、貴重な資料として大切に読ませていただきました。

井筒俊彦「異文化間対話の可能性をめぐって」

 2021/01/13 の夕方発熱、翌日内科受診。叔父の葬儀、成人式への参列ということもあってか、問診、検査、診察、投薬、会計等々、すべてが車中で行われました。隔離覚悟でしたが、風邪との診断で事なきを得ました。 以後、夢現のうちに、 ◇ 井筒俊彦 『意味の深みへ ー東洋哲学の水位ー』岩波文庫 「文化と言語アラヤ識 ー異文化間対話の可能性をめぐってー」 「意味分節理論と空海 ー真言密教の言語哲学的可能性を探るー」 ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス ー東洋哲学のためにー』岩波文庫 「コスモスとアンチコスモス ー東洋哲学の立場からー」 を読みました。  四日分の薬は底をつき、いまだに病状は一進一退を繰り返していますが、スタッフの方たちに極度の緊張を強いる受診は見合わせ、売薬ですまそうか、と考えています。 「文化と言語アラヤ識 ー異文化間対話の可能性をめぐってー」 井筒俊彦『意味の深みへ ー東洋哲学の水位ー』岩波文庫  異文化の接触、異文化の衝突が、世界の至るところで惹起しつつある現代世界の混迷状態を、人間文化の危機(クライシス)として受けとめる人がある。たしかに危機には違いない、それが進んでいく方向によっては。だが、それはまた、個別文化の新生へのチャンスでもあるのだ。  異文化の接触とは、根源的には、異なる意味マンダラの接触である。我々が既に見たように、意味マンダラは、特にそのアラヤ識的深部(「言語アラヤ識」)において、著しく敏感なものだ。刻々に消滅し、不断に遊動する「意味可能体」は、それ自体において既に、本性的に、かぎりない柔軟性と可塑的とをもっている。まして、異文化の示す異なる意味マンダラに直面すれば、鋭敏にそれに反応して、自らの姿を変える。だから、異文化の接触が、もし、文化のアラヤ識的深部において起るなら、そこに、意味マンダラの組みかえを通して、文化テクストそのものの織りなおしの機会が生じることはむしろ当然のことでなくてはならない。文化の新生。新しい、より包括的でより豊富な、開かれた文化の誕生する可能性が成立する。そこにこそ、我々は、異文化接触の意義を見るべきなのではないか。そして、それこそ異文化間対話の究極的な理想像であるべきなのではないか、と私は思う。(97頁) 井筒俊彦によって保証された「異文化間対話の可能性」の保証は頼もしい。 また、 「対談 二十世紀

「2021年 読書事始め」

 2021/01/07 の昼過ぎに叔父の訃報に接し、その翌日、翌々日には通夜式、葬儀に参列しました。享年87歳でした。読経を音楽を聞くように聞いていました。  2021/01/10 には成人式に参加し、また式後には後片づけを手伝い ました。成人式を還暦の通過儀礼と位置づけていましたが、来賓の方々、また祝電の冗長な挨拶に辟易し、思いはかないませんでした。  そして、その翌日には「ラグビー大学選手権決勝 早稲田大学×天理大学」を、テレビのない私は、ヤマダ電機で観戦しました。65inch の大画面で見る  4K放送は鮮やかで、迫力がありました。ボールの支配率が得点(28-55)を左右した試合でした。試合巧者の天理大の活躍ばかりが目につきました。終了間際の早稲田のワントライワンゴールが救いでした。 2021/01/05 に注文した以下の3冊が、2021/01/07 に届きました。 ◇  井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫 ◇  井筒俊彦 『意味の深みへ ー東洋哲学の水位ー』 岩波文庫 ◇ 井筒俊彦『 コスモスとアンチコスモス ー東洋哲学のためにー』 岩波文庫  元号が改まり、新年を迎え、井筒俊彦を、手元にある全集本ではなく、新たに岩波文庫で読もうと思いそろえました。  大学選手権後の夕闇迫るころを、今年の読書事始め、としました。 ◇『 コスモスとアンチコスモス ー東洋哲学のためにー』 「事事無碍・理理無碍 ー存在解体のあとー」 を読み終え、いま、 ◇ 『意味の深みへ ー東洋哲学の水位ー』 「意味分節理論と空海 ー真言密教の言語哲学的可能性を探るー」 を読んでいます。幾度目かの読書で理解が 思いのほか はかどっています。  慶應義塾大学出版会さんの全集本よりも、岩波文庫の方が私の肌には合っているのかもしれません。いたって軽薄ということです。  井筒俊彦の精緻な哲学の文章に触れるのは愉しく、読み継ぎます。先を急ぎます。

TWEET「つかず離れず」

一昨日 P教授から以下の歌が送られてきた。 掻き寄せて結べば柴の庵なり解くればもとの野原なりけり 慈円  「空観」を平易な言葉で詠んだ慈円の実力のほどを思う。「柴の庵」は「空」の一つの結節点である。  検索するうちに、谷崎潤一郎が『陰翳礼讃』のなかで「古歌」として引用していることを知り、原文に当たったが、谷崎が「古歌」を引いた意図が解らず、そのままにしてある。急いで理解する必要はないと思っている。 つかず離れずの距離感が肝要だとわきまえている。自ずから解かる時期がくるだろう。  神出鬼没、変幻自在のP教授についても然りである。特にこの頃では、徒然の手遊びの対象となっている 、といえば失礼であろうか。

TWEET「美、その明らかなること」

昨年来、 ◇『山と溪谷 大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社 を読んでいる。  月刊誌「山と溪谷 」は広告が多く、ときに「山と広告」と揶揄されるが、「大特集 富士山」はいつになく読みごたえがある。  私の専らの関心事は、 「信仰 霊峰としての歴史」 にあるが、思いがけずも、たとえば、 ◇ 葛飾北斎「富士越龍(ふじこしのりゅう)」 というも、 ◇ 伝雪舟「 富士美保正見寺図(ふじみほのせいけんじず)」 というも、 ◇ 棟方志功「富嶽頌 赤富士の柵(ふがくしょう あかふじのさく )」 というも、また、 ◇ 横山大観「耀八紘(ようはっこう)」 を見る につけ、美とは明らかなることである、とつくづく思う。  富士の裾野は広く、この先に広がる沃野を楽しみにしている。

「頌春の候_小林秀雄『バカ、自分のことは棚に上げるんだ!』」

「小林秀雄氏」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  そんなことを考えていると、色んなことが憶い出される。はじめて家へみえたとき、 ー その頃は未だ骨董の「狐」が完全に落ちてない時分だったが、「骨董屋は誰よりもよく骨董のことを知っている、金でいえるからだ」という意味のことをいわれた。私にはよくのみこめなかったが、少時たって遊びに行ったとき、沢山焼きものを見せられ、いきなり値をつけろという。 「あたし、値段なんてわかんない」 「バカ、値段知らなくて骨董買う奴があるか」  そこで矢つぎ早に出される物に一々値をつけるハメになったが、骨董があんなこわいものだとは夢にも知らなかった。その頃小林さんは、日に三度も同じ骨董屋に通ったという話も聞いた。  あるとき、誰かがさんざん怒られていた。舌鋒避けがたく、ついに窮鼠猫を嚙むみたいに喰ってかかった。 「僕のことばかし責めるが、じゃあ一体、先生はどうなんです?」 「バカ、自分のことは棚に上げるんだ!」  最近はその舌鋒も矛(ほこ)をおさめて、おとなしくなったと評判がいい。 (15-26頁)  初春の誠に慶ばしい一篇である。