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11月, 2019の投稿を表示しています

TWEET「うつらうつらの」

 一昨日 第四(二学期末)テスト を終え、高校入試直後かのように疲弊しています。体の欲するままに寝ています。中学校の先生方の恣(ほしいまま)の授業態度を恨めしく思うばかりです。  が、幸いなことに、活字をみるのは苦にならず、昨日届いたばかりの古書、 ◇『創刊600号記念大特集「白洲正子」全一冊』芸術新潮 1999年 12月号 と、 ◇ 『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』慶應義塾大学出版会 ◇ 『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス 1985年-1989年』 慶應義塾大学出版会 ◇ 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 ◇ 井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 の間を行きつ戻りつしています。一向にはかどらないうつらうつらの読書です。  ブラックフライデーについて知り、サイバーマンデーことを知りました。今年は月をまたいでの商戦です。お祭り騒ぎに乗じて復帰を、と思っております。

TWEET「その乱脈ぶり」

 その後今日にいたるまで二週間あまり、明日からはじまる第四(二学期末)テストの対策授業とその準備に追われ、消耗しています。  その間専らしていたことといえば、中学校の先生方の “尻拭い” ばかりです。先生方の授業態度は、投げやりで、捨て鉢で、その乱脈ぶりは目にあまり、お上の裁決を仰ぐ他ないと考えております。  子どもたちとともに音を上げおります。  自律心なく、節度なく、矜恃なく、ということです。

TWEET「野に咲く花、流れる雲」

野に咲く花、流れる雲。 今も昔も、人は心打たれたものを言葉に表そうとする。 それらは珠玉の連なりとなって、読む者の心に響いてくる。 人々が和歌に込めた思いを想像し、いにしえの心と語らおう。 (光村図書『国語 3』136頁)

TWEET「大愚良寛」

  「大愚」とは良寛の自嘲であろうが、私にとってそれは、 最高の敬称であり尊称である。未だ「愚」を知らず、況や「大愚」をや、「日暮れ、塗遠し」、早るのは気持ちばかりである。  井筒俊彦が命名した「理理無碍」の理解がおぼつかなく、悶々とした週末を過ごした。が、それは貴重な時間だった。 「いまなぜ井筒俊彦なのか」 と問われれば、 「白秋だから」 としか申し上げようがない。

「前略 Nさんへ_毒を食らわば」

 「遠州灘天然トラフグ」が旬を迎えました。ご当地グルメです。  美食家の方たちは、口に含んだとき舌がしびれるほどの、毒ののった「てっさ」を好むそうですが、私にとってグルメとは、悪食家の、またゲテモノ喰いの異名以外のなにものでもありません。  今日は学芸会ですね。晴れ舞台ですね。子どもたちを見守る目の優しさは、父兄の方以上かと拝察しております。成功・盛会裡に終わることをお祈りしております。  早速「学芸会の打ち上げ」に「遠州灘天然トラフグづくし」はいかがですか。昨春には 「ホテル 九重」 さんで、ご卒業・ご就職のお祝いをしましたので、今回は趣きを変えて、 「角上楼」 さんで、ということにしましょう。  毒を食らわば皿まで、皿までいただきましょう。美食家の方たちのはるか上をいきましょう。 昨日初雪が、とのことですが、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Nさんへ_熊も眠りにつくという最果ての」

おはようございます。 御地の銘菓の詰め合わせを送っていただきありがとうございました。散財させてしまい、申し訳なく思っております。なかでも「菓子處 大丸」さんの「ふる里もなか」は逸品です。早速父とありがたくいただいております。 今頃 葦毛湿原に咲く 「ホソバリンドウ」 の花 です。 高貴な花です。  昨夜、過酷な環境の物置で一夏を越した灯油を、ファンヒーターに入れ点火すると、異臭が鼻をつき、鼻水が出て、くしゃみが出ました。また、頭まで痛くなりましたので、ストーブの電源を切り、換気しました。敏感に反応した自分の体に老いは認められず安心しました。今年はエアコンで暖を取ることに決めました。簡便でクリーンですし、灯油に比べ電気 の方が安くつく、とのことです。  暖房を入れると、とたんに子どもたちの居眠りがはじまります。授業をはじめる前にはいったん起こしますが、後は自由です。寝る子は育つ。子どもは寝ている間に育つ、と信じております。  かく言う私も授業をしながら、寝ることがあります。子どもたちにあきれた寝姿を披露しています。一瞬の出来事かと思われますが、前後不覚となり、さすがに慌てます。 熊も眠りにつくという最果ての御地は、もう真冬の候ですね。 くれぐれもご自愛ください。 たびたびのご丁寧ご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「令成元年 秋空の下 _終わりに」

 風があり、琵琶湖での舟遊びは無理かと思い、秋の陣に終わりを告げました。「令成元年 秋空の下」 、奈良大和路を巡ったのは収穫でした。 ◇ 『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』慶應義塾大学出版会 を読み継いでいます。  井筒俊彦の緻密な哲学の文章は、明らかです。周縁部を埋め一気呵成に結論へとまとめ上げる筆さばきはみごとです。  井筒俊彦の著作群は、私にとっては実学の書です。実用の書であり、止むに止まれぬ書です。そしてその点において、井筒俊彦は、どうしようもなく福澤諭吉門下の人です。  秋涼の候、読む書くを続けます。

「令成元年 秋空の下 _いまだ旅装を解かず」

  琵琶湖での舟遊びは、来週の 水・木曜日を逸すると、今シーズンは幕切れかと思っています。 このままシーズンオフを迎えるのは恨めしく、いまだ旅装を解かず、天気とにらめっこをしています。琵琶湖のご機嫌次第です。  ご機嫌斜めの際には、 「御即位記念 第71回 正倉院展」 を見にいく予定でいます。今秋は特別展です。

「令成元年 秋空の下 _コンステレート」

  近江・奈良大和路の旅( 2019/10/23,24 )の前日には、 ◇  若松英輔 (編集)『井筒俊彦ざんまい』慶應義塾大学出版会 が届き、琵琶湖での舟遊びの旅( 2019/10/29,30 )から帰豊した日の夕方には、 ◆ 『井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション 全7巻(全8冊)』慶應義塾大学出版会 ◇『東洋哲学の構造 ― エラノス会議講演集 (井筒俊彦英文著作 翻訳コレクション)』 慶應義塾大学出版会 が届けられた。  機が熟した。秋風によってもたらされたものを大切に思う。

「令成元年 秋空の下 _古い伝えの竹生島」

「2019/10/31 拝復 P教授様_ 竹生島は依代でした」 こんにちは。  舟遊びに見切りをつけ、竹生島を巡ってきました。視界を妨げるもののない琵琶湖は「 淡海」でした。  「宝物殿」の、 ◆「 弘法大師上新請来目録 (コウボウダイシジョウシンショウライモクロク)(重要文化財)」 「弘法大師が唐より帰朝された大同二年(八0七)、平城天皇に献じた経論疏類(キョウロンショルイ)の目録である。本文にあたる料紙にはうすい金罫(キンケイ)を施し、五百十行にわたって、新約等経百四十二部二百四十七巻、梵字真言讃四十二部四十四巻、論疏章等三十二部百七十巻、その他の項目をあげ、奥書に「大同元年十月二十二日入唐学法沙門空海」とあり、平安時代中期の写本である。(後略)」 (「竹嶋」発行所 宝厳寺寺務所 / 解説 澤実英) 及び、 ◆「 弘法大師諡(シ)号勅書 」 「真言宗の開祖空海(クウカイ)(七七四-八三五)は讃岐(サヌキ)国の生れ、延暦二十二年(八0四)最澄(サイチョウ )とともに入唐留学、長安で恵果(ケイカ)に真言宗を学び、二年後に帰国、弘仁七年(八一六)高野山に金剛峯寺を建て、弘仁十四年京都に東寺(教王護国寺)を勅賜(チョクシ)された。書や詩文にも秀で、とくに書は三筆の一人ともてはやされた。庶民教育にも意を用い、綜芸種智院(シュゲイシュチイン)を開いた。醍醐天皇は、延喜二十一年(九二一)十月二十七日、小納言朝臣惟助(コレスケ)に勅し、弘法大師の諡号をおくり、生前の偉業をたたえられた勅書である。諡号とは死後に生前特別の業績のあった者にのみ天皇より賜わるものである。少納言は三人いて、詔勅宣下(ショウチョクセンゲ)のことをつかさどり、内印(天皇御璽(ギョジ)、官印(太政官印)を取りあつかう役である。」(「竹嶋」発行所 宝厳寺寺務所 / 解説 澤実英) が特に印象的でした。  司馬遼太郎の「空海の風景」を思い、井筒俊彦を思いました。  竹生島は依代でした。  帰りの船中では、白く泡立つ引き波をうつらうつらしながら眺めていました。  その後、湖岸の石積みに座って対岸の山の端に沈む夕日を眺め、湖西に向かいました。 添付画像、どうもありがとうございました。 恍惚としていますね。陰影は 清濁併せ呑む、といった感じでいいですね。 秋涼の候、 くれぐれもご