月を見るのが好きだった。 「栂尾・高山寺」 2020/10/31 あかあかやあかあかあかやあかあか(表記は「くの字点」です)やあかあかあかやあかあかや月 山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ 上記の二首はいずれも明恵上人の詠まれた歌です。横書きでしか表記できないのが残念です。 満月の夜でした。明月が山の端から昇るのを、寒さに震えながら待ちました。 「高野山・金剛峯寺」 2021/11/19 「部分月蝕(満月)」 「 今回は部分月食とはいえ月の直径の98%が隠れるため、ほぼ月全体が隠れる皆既月食に近く、 今回と同じように、『 限りなく皆既に近い部分月食』が日本全国で見られたのは、140年前(1881年12月6日)までさかのぼります」 との記載があった。またとない朗報だった。 「栂尾・高山寺」,「高野山・金剛峯寺」前の駐車場から仰いだ月が、特に印象に残っている。 しかし、この一年あまり、夜空を仰いだ記憶がない。月のこともすっかり忘れていた。ところが、2014/09/18 の夕刻過ぎのことだった。月は私の目の前にあった 。満月の夜だった。不意のことにあわてた。この一年あまりの自分の不甲斐なさを思ったとき、「青い月」は、眩しくて見やることができず、あらぬ方(かた)に眼をやった。 月を思う契機となった。はじめから明月の鑑賞はつらい。新月から順を追って、お月見の習慣を取り戻そうと思った。 検索すると、私の望んだ満月は、「中秋の名月」の翌日の月だった。なにか因縁めいたものを感じた。だしぬけに「中秋の名月」でなく、救われたような気がした。 北の夜空の、北極星を中心とした天体ショーも恋しい。 断片が続きます。