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11月, 2025の投稿を表示しています

TWEET「吉田簑助_頭巾かぶって八十五年 文楽に生きて」

 昨日の午後「冨安眼科」さんを受診した。  待合室のテレビには(受診後 検索すると)、 「NHK 午後LIVE ニュースーン」 「あの人に会いたい」 「吉田簑助(人形浄瑠璃文楽 人形遣い)」 が映っていた。  常に待合室では、テレビから最も遠ざかった位置 に座ることにしている。  昨日はそれが災いした。いくら目を凝らそうが、耳をそばだてようが、雲をつかむようなありさまだった。  が、しかし、待合室にテレビは要らないと、私は頑なに思っている。 吉田簑助『頭巾かぶって五十年 文楽に生きて』淡交社 2018/07/17 ◆ 三代目 吉田簑助『頭巾かぶって五十年 文楽に生きて』淡交社 は、P教授のこの夏の推薦図書です。昨日読み終えました。井筒俊彦から一気に様変わりしました。  文楽の世界にふれたのははじめてのことだった。  主遣い、左遣い、足遣い の三人遣い。人形は一人で操(く)るものとばかり思っていた私は、いっぺんに難しい世界に足を踏み入れたように感じた。  以下、印象に残っている節である。 「簑助襲名」,「会者定離」,「人形の色気」,「人形遣いの知恵」,「女方の人形の型」,「情とリアリティー」,「近松の三人の女」,「文楽に生きる女たち」 と、たくさんになってしまったが、特に、 「会者定離」,「人形の色気」 が印象的だった。 「会者定離」には、吉田文五郎、桐竹紋十郎、桐竹勘十郎、との別離の場面が描かれている。今際の際に臨んでの桐竹紋十郎と簑助との人形遣い同士の無言の交感、また人形遣いとして逝った桐竹紋十郎の最期はみごとだった。  人形に命を吹きこむとは、大層なことである。 「人形の色気」の項には、以下のような言葉がある。  基本は、人形拵(ごしら)えです。  人形遣いは、自分で遣う人形の着付けは、弟子や他人にはけっして任せません。かならず自分でします。私にかぎりません。人形遣いはだれでもそうです。  私は、女方の色気は襟足(えりあし)がポイントと思っていますから、役に応じた胸のふくらませ方や襟の合わせ方以上に、気を使っているつもりです。  襟はいずれにしろ大事で、これが思うようにまいりますと、あとは自然にそれに衣裳を添わせられます。だから、気に入るまで何回もやりなおすのは、この部分の作業です。(160頁)  文楽の人形遣いの修行そのものが、教えられるものではなく、言葉は悪...

TWEET「眼科医の面壁九年」

「冨安眼科」さんに通院している。  暗幕を引いた薄暗い診察室の、さらにまた  ひときわ 暗い一隅で、冨安先生は診察 されている。その診察風景を目にするたびに、これは「冨安先生の面壁九年」だなと思う。 「達磨の面壁九年」といえば、雪舟の「慧可断臂図」を思い出すが、私は先生に何を差し出せばいいというのか。  明後日の午後「冨安眼科」さん受診の予定である。  期限が迫っている。   (註)「慧可断臂図」 慧可が達磨(だるま)に入門を断られた時、自分の左腕を肘(ひじ)から断ち切り意志の固さを示して入門を許されたという故事に基づく図。 また。 以下 ご参考まで。 小林秀雄「雪舟の明らかさ」

TWEET「アレルギー性鼻炎とティートリーとの不思議な関係」

 一週間ほど前から、鼻水が止まらず「 1箱 / 日」をゆうに超えるティッシュペーパーを消費していた。また、時折 続けてくしゃみが出た 。はじめてのことに戸惑った。  そんな幾日かを過ごした。  と、あるとき、 「それって、アレルギー性鼻炎じゃないの?」 という、目下 研修中の N 先生の声が聞こえた。  早速 検索すると、この季節 のアレルゲン は、主に「 ハウスダスト(ダニ)」と「 寒暖差」らしいことが分かった。  迷うことなく、 「ティートリー( エッセンシャルオイル(精油) 」をTシャツの襟首に数滴つけた。間もなく症状は寛解し、ほとんど気にならなくなった。 “アロマテラピー” である。  天の声に救われた。  現在 “煤払い” の最中であることは、前頁で書いたが、汚れたままにも落ち着いていた埃(ほこり)が、分不相応な、やりつけない掃除をはじめたばかりに、埃が辺りに飛散し、私の粘膜を刺激した。  天誅だった。 そして最後に、「 ティートリー」については、 「その後の展開、そして終息」page 3/3 2015/09/05 「(福岡伸一『生物と無生物の間』講談社の読後には)続けて、福岡伸一さんの『ロハスの思考』ソトコト新書 を読み、「LOHAS」という言葉を知りました。石鹸へ洗剤に、重曹にビネガーへ、掃除に洗濯に、料理に家事一般へと、ほどなく私の興味は広がっていきました。一人前の「重曹の人(ジュウソウイスト)」になりました。  炭酸水を使ってガラスを拭いたときの驚きは今も新鮮です。一点の曇りなきガラスは美しくさえありました。  毎年三月の声を聞くと、花粉症に悩まされる子どもたちが現れます。数日後に受験を控えた受験生にとっては一大事です。そんなとき、タイミングよく到着した “メールマガジン ” の記事を読み、早速 人体実験におよびました。「ティートゥリー」のエッセンシャルオイル(精油)を2〜3滴襟元につけると、鼻水がピタリと止まり、鼻が通りました。目先の受験が第一でしたので、なぜかは二の次でした。これに気をよくした私は蓄膿症の子どもにも試してみましたが、こちらには効果がありませんでした。  以来当塾では、「ティートゥリー」のエッセンシャルオイルは受験の友となっています。受験期には出費がかさみます。結構いいお値段がついています。  一通りのことが身につくと、私のお...

TWEET「煤払い」

  秋日和が続いている。  この10日ばかり「煤払い」をしている。季節の先取りである。   懸念の “水回り” の大掃除を終えた。隣家の解体工事で、汚れるままになっている “窓拭き” にまで手が届くといいのだが…。冬の本格的な到来が期日である。  掃除の要諦は、いい加減で適当に、そして休み休み、ということである。  完璧を目指し、棍をつめると息切れがする。  その都度、こまめにというのは、怠惰な私には似つかわしくない。性向に背くようなことをすれば、私を見失うことにもなりかねない。 追伸:洗剤については、頁を改めて、ということにさせてください。

TWEET「三輪の神糸」

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  盛夏 、食品売り場で、 「三輪の神糸」 に目が留まった。右上には「手延べ素麺」と記されている。 「三輪」,「神糸」の文字に胸がときめいた。  早速 手に取って見ると、 「製造者 / 株式会社 マル勝高田商店 / 奈良県桜井市大字芝374番地の1」 と記載されていた。  もう間違いなかった。  大和の「三輪山」は “神の山” であり、山そのものがご神体である。山中の一木一草、岩根・岩・細石(さいせき)・土塊(つちくれ )にいたるまで、すべてに神が宿っている。 「山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す」( 「神 道 (7)」 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 67頁)  また、同じ桜井市にある「聖林寺」さんには、 「十一面観音立像」が安置されている 。「 新観音堂」建立前後に二度  参拝した。 高邁な御姿を仰ぎ見ていた。繊美な指の表情に目を凝らしていた。精細な蓮華座に見入っていた。   寺庭にある「聖林茶館」さんの窓ごしに、「三輪山」の山腹を眺めることができた。 「三輪の地は素麺発祥の地だった」  素麺発祥は、1200年前、三輪の里の肥沃な土地と三輪山から流れ出る巻向川の清流が、小麦栽培に適することから、大神神社の大神主であった大神朝臣狭井久佐の次男穀主が種を蒔かせ、その小麦を原料に神意に沿って素麺の生産を始めたと伝承されています。   また、素麺は保存食としても有効で、当時飢饉に苦しむ多くの民を救ったとも言われております。  素麺が日本全国へ広まったのは、江戸時代に流行した「お伊勢参り」が関係し、三輪が街道筋にあったことから、お参りする人々によって全国へ伝えられました。  今でも播州・島原・小豆島・淡路等素麺の主な産地には大神神社の分社があり、この事実からも三輪は”素麺のふるさと”と言われます。(「マル勝高田商店」さんのサイトより) 「三輪の神糸」  - 細きこと糸のごとく、白きこと雪のごとし - 「三輪の神糸」の由来は、手延素麺の発祥の地、 大和・三輪に残る古い言い伝えから。 神業ともいえる細さと、コシの強さは、 こだわりの「本腰熟成製法」ならでは。 厳選された素材を用い、伝承の手延べの技術と、 蔵熟成で丹念に仕上げました。 (「...

TWEET「みやこへ行きたしとおもへども」

「みやこへ行きたしとおもへども / みやこはあまりに遠し」 「せめて」と思ひ、 「聖護院八ッ橋総本店 公式オンラインショップ」さんにて「八ッ橋」を注文した。 「聖護院八ッ橋総本店」 「聖護院 八ッ橋 」×3 「祭菓『古都の秋』」×3 「聖・黒胡麻」 「聖・四種詰合せ(秋)」  お届け物、お見舞いの品もかねて、たくさんの「八ッ橋」を誂えた。  京香・口福にはあずかることはできるものの、眼の福には浴することができない。これでは本末が転倒している。本末の転倒は、自家薬籠中の物とはいえ、 やはり 「 みやこへ行きたしとおも」ふ。

TWEET「なお優しさごっこ」

  新たな 「優しさごっこ」 が終焉を迎えた。   私の性状を知悉している者たちの、巧みな手口に、私がまんまと手中に落ちるという構図である。 「人・もの・こと」を蔑(ないがし)ろにする者は、「人・もの・こと」から蔑ろにされるという、この実に簡明な論理が、なぜわからないのだろうか。  もう止めにさせて欲しい。 「ごっこ遊び」のお相手は、他を当たって欲しい。

TWEET「かつ消えかつ結びて」

 琵琶湖にカヤックを浮かべて、行方不明になりたい。  夢は「かつ消えかつ結びて」。  ただごとではないが、かといって たわいのないことではない。  

TWEET「今しきりに」

 今しきりに、古社寺を巡りたいと思う。   浄らかな地にたたずんで いたい。神仏を前に畏まり鎮まりたい。静謐の秋に染まりたい。  が。  入院中の叔母と、叔父や従姉妹たちの、献身的な看病の姿を思うと、遠慮する他はない。  叔母の容態が、一刻も早く快方に向かうことを、祈るばかりである。

TWEET「郷愁」

 警報機が鳴り、遮断機が降りる。と時折、数両編成の鈍行電車が通り過ぎることがある。    あの電車に乗って、運ばれるままに運ばれてみたい。微動だにせず、沿線に展がる風景を、見るともなく眺めていたい。  これは「私の郷愁」である。  生地への「郷愁」の念はないが、「私の郷愁」を覚える地ならば各所にある。これを幸といおうか、不幸といおうか、それは定かではない。

TWEET「優しさごっこ」

「お医者さんごっこ」,「電車ごっこ」,「お店屋さんごっこ」…。 「優しさごっこ」も、いとけない子どもたちの「ごっこ遊び」の範疇にある!?  久しく以前に、私はこの「ごっこ遊び」とは縁を切ったが、いまだにお呼びがかかり、息苦しさをそのままに「優しさごっこ」のお相手をしている。  私の友人・知人との関係は、「使う・使われる」の人間関係に堕することが多い。 「それは信頼されているからよ」 と言われてみたものの、救われたようで、やはり浮かばれない。  ご依頼主のお相手は、その最中(さなか)には丁重だが、間もなく それらのことを、強いて忘却の彼方へと押しやったかのように、無頓着で平然としているから、たちまちのうちにすべてが「優しさごっこ」に転落する。 「一宿一飯の恩義」という言葉がある。 「ごっこ遊び」のお相手は、他を当たっていただきたいものである。 なお、 今江祥智さんには、『優しさごっこ』理論社 という児童文学の名作があります。

TWEET「毀誉褒貶」

 叔父は謙虚な私のことを、図々しくも、 図々しいと呼び、憚(はば)からない。そう呼ばれるたびに私は、だらしなくへらへらし、ヘラヘラと力なくほくそ笑んでいる。  たとえば、ドラッグストア内で、吊ってある大見出しを一覧し、求める商品の在処(ありか) がわからないと、私は商品ではなく、 店員さんを探す。店員さんは、主に商品の 補填をする方たちであり、細々した品物の所在を実によく心得ている。そして、その場で商品の説明をうかがうこともある。  かつて二度、 「あっち!」 と、横柄に指をさされたことがある。 「あっち!?ではわかりません」 というと、 売り場まで案内してくださった。  年寄りあつかいされたのだろうと思っている。  さらに店員さんが首尾よく見つからない際には、レジにて、専門のコーナーの担当者の方を呼んでいただく。  事ここに極まれり。  こうして私の狼藉が行き着くところまでいくと、 「お前の図々しさはたいしたものだ。俺にはとても敵わない」 と、叔父から最大級のおほめの言葉をいただくことになる。   先日、 そんな叔父が、 「俺もこのごろ 図々しくなったよ」 と言っていた。  慶事である。  ようやく叔父も “かしこい消費者” になりつつあると、 喜んでいる。