岡潔『岡潔対談集』_山本健吉 3/3
岡潔 山本健吉「俳諧は万葉の心なり」 岡潔 山本健吉「連句芸術」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本 (前略)芭蕉の文学の発想は、結局発句じゃなくて、連句にあるという…。 岡 芭蕉は連句ですよ。連句はものすごいと思いますよ。いまの人は無精して、芭蕉の連句を調べない。 山本 もったいない話です。 岡 日本にとってもったいない。 山本 発句だけでは、芭蕉文学の玄関口にすぎない。とにかく芭蕉が心にもっていた人生の種々相というものは、連句のなかに描れてくるのです。柳田國男先生がこういうことをおっしゃったことがあるんです。とにかく柳田先生は連句がお好きで、『芭蕉七部集』は座右の書とされておりました。そして連句の評釈も書いておられます。柳田先生がおっしゃるには、芭蕉さんというのはじつによくものを知っていらっしゃる、人生、人間というものを知っていらっしゃる。 岡 人生というものを芭蕉くらいよく知っていた日本人は、ほかにないかもしれませんよ。 山本 そうでしょう。 岡 たぶん芭蕉だ。それが連句に出ております。あれをなんでほっておくのかなあ。たなごころをさすようですね。たなごころをさすように連句をよんでいるでしょう。芭蕉が入ったら、たなごころをさすようになっているでしょう。それが大円鏡智です。 山本 いま先生が、芭蕉の頭のなかには図書館のように人生が詰まっていてと言われた…。 岡 そうです。人生が図書館のように詰まっているでしょう。 山本 それが自在に出てくるということをおっしゃったわけです。 岡 一冊抜いたら、すっと出てくる。それが連句ですからね。芭蕉の連句によって日本を知ることは、『万葉集』によって日本を知るよりよほど知りやすい。連句をみな読まんから、わざわざ『万葉集』までかえらなくても、「俳諧は万葉の心なり」といって、あそこでエキスにしてくれてあるのに…。こんどは大いに強調しておいてください。今度、角川書店が『芭蕉の本』を出すということは、ひじょうに時宜を得ています(笑)。大いに連句を強調してほしい。(161-163頁) 山本 芭蕉は、自分のなかの私というものをたえず捨てようとした。なくそうとした。無私ということ、私なしということが芭蕉の心がけの根本にあるわけなんです。俳諧なんてものは三尺の童子にさせよということを...