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岡潔『岡潔対談集』_山本健吉 3/3

岡潔 山本健吉「俳諧は万葉の心なり」 岡潔 山本健吉「連句芸術」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本  (前略)芭蕉の文学の発想は、結局発句じゃなくて、連句にあるという…。 岡  芭蕉は連句ですよ。連句はものすごいと思いますよ。いまの人は無精して、芭蕉の連句を調べない。 山本  もったいない話です。 岡  日本にとってもったいない。 山本  発句だけでは、芭蕉文学の玄関口にすぎない。とにかく芭蕉が心にもっていた人生の種々相というものは、連句のなかに描れてくるのです。柳田國男先生がこういうことをおっしゃったことがあるんです。とにかく柳田先生は連句がお好きで、『芭蕉七部集』は座右の書とされておりました。そして連句の評釈も書いておられます。柳田先生がおっしゃるには、芭蕉さんというのはじつによくものを知っていらっしゃる、人生、人間というものを知っていらっしゃる。 岡  人生というものを芭蕉くらいよく知っていた日本人は、ほかにないかもしれませんよ。 山本  そうでしょう。 岡  たぶん芭蕉だ。それが連句に出ております。あれをなんでほっておくのかなあ。たなごころをさすようですね。たなごころをさすように連句をよんでいるでしょう。芭蕉が入ったら、たなごころをさすようになっているでしょう。それが大円鏡智です。 山本  いま先生が、芭蕉の頭のなかには図書館のように人生が詰まっていてと言われた…。 岡  そうです。人生が図書館のように詰まっているでしょう。 山本  それが自在に出てくるということをおっしゃったわけです。 岡  一冊抜いたら、すっと出てくる。それが連句ですからね。芭蕉の連句によって日本を知ることは、『万葉集』によって日本を知るよりよほど知りやすい。連句をみな読まんから、わざわざ『万葉集』までかえらなくても、「俳諧は万葉の心なり」といって、あそこでエキスにしてくれてあるのに…。こんどは大いに強調しておいてください。今度、角川書店が『芭蕉の本』を出すということは、ひじょうに時宜を得ています(笑)。大いに連句を強調してほしい。(161-163頁) 山本  芭蕉は、自分のなかの私というものをたえず捨てようとした。なくそうとした。無私ということ、私なしということが芭蕉の心がけの根本にあるわけなんです。俳諧なんてものは三尺の童子にさせよということを...

岡潔『岡潔対談集』_山本健吉 2/3

岡潔 山本健吉「秋の風ふく」 岡潔 山本健吉「連句芸術」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本  じつは川端さんは、岡先生の『日本民族』という本をお読みになったんですよ。そして私に手紙をくださった。それは「秋深き隣は何をする人ぞ」の句について…。 岡  あの「秋深き隣は何をする人ぞ」で、芥川は寂しいといっております。寂しがり屋で、まちがっているというか、芭蕉は寂しいとは思わなかったのだけれども、そう取ったってかまいません。小宮豊隆にいたっては、薄気味が悪いといっている(笑)。薄気味が悪いといったら、俳句にならんです。あれは人なつかしいというので…。 山本  そうだと思います。 岡  あたりまえですよ。 山本  その点で、岡先生は寂しさじゃなくて人なつかしさをいったのだとおっしゃっているけれども、どう思われますかと(川端さんが)私に意見を求められたんです。私は、やはり芭蕉の気持ちの底には寂しさはあるので、人間は寂しい存在だということがあって、その上に立って人へのなつかしさ、人と人との本当のつながりを求めています。 岡  寂しさというのは、「蜘(くも)何(なん)と音(ね)をなにと鳴く秋の風」、あれは感心したんですがね。つまり、みのむしが捨て去られるのも知らないで、秋風が吹くとチチヨ、チチヨと鳴く。これですよ。これはなつかしさなんです。寂しさもあります。ありますが、父なつかしさあっての寂しさです。それを芥川は寂しさとだけとった。それならよろしいけれども、それを薄気味わるいというのはむちゃです。 山本  芥川は、あれを寂しさとしかとれなかったところに、自殺しなければならなかったということも考えられます。(158-159頁) 岡  (前略)そこになつかしさあっての寂しさというものと、人ひとり個々別々の人の世は底知れず寂しいというのとは、寂しさの意味がちがいますね。だから、芭蕉が寂しいというは、人なつかしさということですよ。 山本  そうですね。寂しさと懐かしさというのは楯(たて)の裏表みたいなものです。(160-161頁) 「毎日新聞デジタル」 「言い伝えではミノムシは鬼の子といわれた。枕草子によると、秋風が吹くころに戻るから待てと親に言われて置き去りにされ、「ちちよ、ちちよとはかなげに鳴く、いみじうあはれ」となった。こんな話を風流人が見逃...

岡潔『岡潔対談集』_山本健吉 1/3

岡潔「ある刹那、とっさに一切が」 山本健吉 岡潔「連句芸術」  岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 山本  先生にとっては、数学と道元・芭蕉というのは一つのものなんですね。  岡  数学の方が浅いです。こんなものは二代やろうとは思いません(笑)。西洋のもののうちではいちばん深いのでしょうけれども。西洋は、すべて時間・空間というわくのなかに入っているのを知らない。(184頁)  (それに対し、東洋は時空を超えることを体験的に知っている)  「身心脱落」  岡潔『一葉舟』角川ソフィア文庫  「私は(道元)「正法眼蔵」の上巻を、なんだかよい本と思って買ってきて座右に置いた。なんだかすばらしい景色のように思えるのだが、春霞(はるがす)みの中の景色である。そんな日々が長く続いた。十三年目に私にある刹那があった。その後この本のどこを読んでもすらすらわかる。それから、十七、八年になるが今でもそうである。しかしこの本は実は絵のようなものであるから、言葉で説明しないほうがよい。   身心脱落とは真如の月が雲を排して出るようなものである」(194-195頁)  「絵画」  岡潔『春風夏雨』角川ソフィア文庫  「ところが近ごろまでその(良寛の書を見る)機会を得なかったのだが、近ごろその写真版四冊を見ることができた。   第一冊を見ると、表紙に「天上大風」と大きな字で書いて署名している。字の配置は正方形の四隅に一字ずつ書いているのである。   私はそれを見ると、直ぐわかった。とっさで、何がどうわかったのかわからないが、一切がわかってしまったのであろう。良寛の書がいわば真正な書であることを、少しも疑わないようになったから。   じっと見ていると、何だかこせこせした心の中のもやもやが吹き払われて、心が段々清々しくなり段々ひろびろして行くような気がする。翌朝もう一度その四字を見ると、字の姿から見て、横に右から左に強い風が吹いているのである。   このはじめのわかり方を「信解(しんげ)」というのである。たとえば『正法眼蔵』に「智ある者若し聞かば即(すなわ)ちよく信解せん」という句が引いてある。   これにならって、第二の...

井上靖 岡潔「文明というイズム」井上靖 9/9

一昨日(2022/11/08)の午前中には、岡潔『夜の声』新潮社 を読み終えた。 井上靖 岡潔「文明というイズム」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  魔物の正体がわからんと小説(『夜の声』)の主人公にいわせているのですが、先生自身、不思議だなあと思っておられることもあるんでしょうね。 井上  ええ、ございます。 岡  そうでしょうね。そこがたいへん実感があって、おもしろい。あれについて、ずうっと考えどおしで、汽車んなかも、そればかりでした。 井上  そうでございましたか 。 岡  それで、私なりに考えてみた。あれは文明というイズムじゃないかと…。 井上  そうでございます。 岡  イズムちゅうのはこわいですよ。顔の形まで変わる。イズムができる場所が(ひたいをたたいて)ここなんです。つまり、万葉が宿る場所と同じなんでしょうね。だもんだから、ひどい影響がある。あの仏教の六道輪廻(りんね)の宿る場所も、ここなんでしょうね。 井上  そうですか。 岡  『ある偽作家の生涯』のああいう形で出たり、イズムの形で出たり、それから万葉の形で出たり、つまり (ひたいをたたいて)ここなんでしょうね。 中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、西洋にはないんです。西洋では、まずそこに実体があるとしか考えられない。 井上  逆になっているんですね。 岡  逆なんです。実際見ているのに、そうなんです。(69頁) ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。  また、「実際見ているのに、そうなんです」とは、「実際見ている」ものには実体がないことが見えていない、というほどの意味であろう。  けっして他人事ではなく、また「有無を離れる戦い」とは凄絶である。  人心は乱れ、自然は破壊されつ...

岡潔 井上靖「あのお念仏の変な人」 8/9

岡潔 井上靖「あのお念仏の変な人」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  欧米文化を受け入れていって日本はどうなったと、いろいろと現代史や近代史が書かれていますけれど、確かに欧米文化を受け入れて日本はそれで大きいプラスになった面もありますけれど、とんでもないマイナスになっている面もいっぱいございますね。 岡  そのほうが、むしろ多いんじゃないか。 井上  中国文化も、インドの文化も、同じようにいえると思いますね。 岡  明治以後の日本といったら、なんていうか、学問のために魂を売ったっていうような感じですね。 井上  明治の人たちで、いま考えると、なかなかいい仕事をしている人もおります。たとえば、明治の洋画家が描きました洋画というもの、あれはなかなかいいと思うんです。 岡  ごくはじまりのころは、よく描いていますね。はじまりがよくって、いつもだんだん悪くなるのは、不思議だなあと思う。 井上  そうなんですね。いまでも、日本の美術史の上でも、明治の洋画家というのは、いやおうなしに高く買わざるを得ないんです。あれは、やはり日本人の心というものを失わないで、その上でヨーロッパ風のリアリズムというものを自然に受けとったと思います。それですから、ああいう洋画が描けた。 岡  リアリズムというのは、なんというか、習作なんです。ほんとうは、それから上へ出るためのものであることを忘れているんですね。欧米人は、実在性はけっして抜けないんですよ。実在を確かめてからでなければ、人は思想し、行為はできないと思っている。ところが、日本民族や漢民族の住んでいるところは、実在性を抜いたエキスだけの世界、それが泥おん宮(ないおんきゅう)でしょ。それが、初めのうちはあるが、いつのまにか天上から地上におりてしまう。 岡  地上に住むのは、日本人はへたで適していません。いつもそうだと思う。あの、明治維新以後悪くなったと思っているんですよ。日本歴史を少し調べてみますと、応神天皇以前と以後と違うらしい。応神天皇以前の日本人って、だいたいこんなものだろうとは想像するけど、とてももう見られないと思っていた。ところが近ごろ、私のところへ一人の人が訪ねてきた。六十ぐらいかな。その人は学校はまるでできなかった。よく卒業させたと思うくらいだが、いろいろ...

井上靖 岡潔「郷里」 7/9

井上靖 岡潔「郷里」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  私は昨年の暮、飛鳥(あすか)へまいりましたんですが、上代では、何回も何回も飛鳥の都へ戻っております。たとえば難波へ都を移しても、またその次は飛鳥へ帰っている。またその次は近江(おうみ)へ都を移します。するとまたその次には飛鳥へ戻っているのです。 岡  どうしても戻りたいという気持が強かったんでしょうね。 井上  どうしてあんなに飛鳥へ戻るのか、なぜ戻るのか。歴史のなかでなんとなく疑問だったのです。学生時代にももちろん飛鳥へ行っておりますけれど、何回となく…。昨年の暮にまいりましたら、初めてあれは大和朝廷のくにだな、郷里だなと思ったんです。それで疑問がとけたような気がしました。 岡  ああ、なるほど。 井上  私の家の一族は、父も祖父もみんな町へ出て働いていましたが、必ず伊豆の山の中へはいっていくんです。それと同じようなもので、あれは郷里だったなと思いますと、飛鳥へ帰ることは自然なんです。そういう気がいたしましたね。それでないと、あんなにたびたび…。 岡  はあ、そんなに戻ってきますか。戻るんですなあ。 井上  くにだなあ、という気がいたしました。 岡  いっぺん日本人を応神天皇以前に戻さなきゃいかんと思うのですがね。ご協力くださいませんか。 井上  もう、ほんとうに…。 岡  これはぜひやらなきゃいかん。私近ごろ、あのお念仏の変な人に会って、いよいよ一度このかすをとりのぞかなきゃだめだと思いました。これはちゃんとしたかたにやっていただかなきゃいかん。私なんか、それが大事だと思ってもどうやるかわからない。ほんとうにそれをやらなきゃ、日本はどうなるかわかりゃしませんよ。(114-115頁)  時代が飛鳥を求めた。飛鳥に 風土と化した日本民族 の原風景をみたのであろう。それは飛鳥の地に立てば、いまも感じられるに違いない。 “郷里” に日がなたたずんでいたいと、いましきりに思う。

井上靖 岡潔「唐招提寺 / 新宝蔵 / 破損物 如来形立像」 6/9

井上靖 岡潔「唐招提寺 / 新宝蔵 / 破損物 如来形立像」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上    唐招提寺(とうしょうだいじ)に行きますと、破損仏といって、こわれた仏様が並んでおります。そのなかに如来形立像という仏像がある。それは首がありませんで、手首が欠けております。脚も一部破損しているんです。しかし、胸から衣を着ております。そのひだにあかい朱がちょっと残っていまして、もとはまっ赤だったのでしょうけど、すそのほうには黒が少し残っているんです。確かに破損仏ですけれども、それが実に自由で、豊かで、大らかでございます。首がないということでいっそうそう感じられてくるのです。それを地蔵菩薩だというような見方をしている人もいますが、地蔵菩薩だろうと観音様だろうと、なんでもかまわないのです。実にそれはきれいでございます。それは頭と手を欠いたことで、ほんとうは完全になっているのだと私は思います。 岡  ええ、そうでしょうね。そこがおもしろいんですね。詩ですね。 井上  美術品を見る場合ですが、これはりっぱだと教えこむことに問題があるので、それは各自が発見したらいいと思うんです。いまでは美術史関係の本がいっぱいあって、法隆寺のどれはりっぱな仏様、どれは…、とそういう教育の仕方をしますから、自分で仏のいのちとの触れあいをしていないわけです。たとえばルーブル美術館へ行きましても、国立博物館へ行きましても、いわゆる傑作といわれる世界の名品というものがいっぱい 陳列されているわけです。しかし、それを見たためにこちらの大切なものが変わらせられてしまうような出会いというのは、必ずしも期待できるかどうかわかりませんね。ところが唐招提寺の破損仏の場合、私は確かに出会ったんです。 岡  初めてそのお話うけたまわりましたが、井上先生を象徴するにたります。 井上  美術品がいい悪いというのは、確かに不思議な出会いでございますね。人間の出会いと同じです。 岡  そうなんです。つまり、詩というのは余韻であって、だからそんなふうになるんですね。そうですか、 唐招提寺にそんなのがありますか。それはいいお話です。 (100-102頁) 岡  本物は余韻のほうであるということを知らないんです。まだ明けきらぬ朝のよさにあることを知らな...

井上靖「原始帰り」 5/9

井上靖「原始帰り」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  先生は柳田國男先生をどうお考えになっていらっしゃるか…。 岡  いや、あの人はえらいですね。 井上  それはうれしいですね。 岡  あの人、えらいですよ。 井上  この間、柳田さんの神隠しの随筆を読んでおもしろうございました。明治時代まで、私たちの村にもやっぱり神隠しというのがありました。その解釈を柳田さんは、何県の何郡の何村にいつ神隠しがあった、それはどこの太郎兵衛だというのを、たくさん集めてまいりまして…。 岡  それは実際、腰をすえて調べる価値がありますね。 井上  そして、その村の人がどういう反響を示したかという例もとってあります。「あそこのお嫁さんは夕方田んぼへ出ていった。わたしは悪いときに出ていくなあ、と思った。そうしたら、果たしていなくなった」というようなことも出ています。この悪いときということばを使った例が三つくらいあるんです。悪いときという、ある空間的、時間的条件を持った悪いときというものが、そのころの神隠しがあると信じられた時代には確かにあったということなんですね。柳田さんは、神隠しを寂寞の畏怖に触れるということばで説明しています。非常に大きい、深いさびしさというようなものに触れると、人間がその瞬間に、これは私流のことばでいうと、どうも原始帰りするということらしいんですが、原始というものにさわられるとか、つかまれるとか、そういうように柳田先生は説明しておられる。要するに原始帰りして、原始の心に立ち返って山へ向かって歩いて行く。そうして発見されて村へ連れ帰ってもらうものもいるが、発見されないと、三年でも四年でも原始時代の生活をしたんだろうと…。 岡  それはおもしろいですなあ。原始帰りということばもおもしろい。 井上  それで私は、月のまわりをぐるぐる飛行機で回るような時代になっても、原始からは自由にはなっていないと考えるのですがね。いま、蒸発とかなんとかいわれていますけど、悪いときはこれから多くなると思います。この時代に、とくに。 岡  柳田先生がえらいのはわかってましたが、そんないい論文あるとは知らなかった。 井上  たいへんおもしろうございました。柳田先生のお書きになったもののなかでも。 岡  造化の秘密がわかってい...

岡潔「阿鼻叫喚」 4/9

岡潔「阿鼻叫喚」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  胡蘭成さんに孔子が作曲したと伝えられる五弦琴の「幽蘭の曲」というレコードをもらいました。かけてみたんですけど、それ聞いたあと、西洋音楽はあれは阿鼻叫喚(あびきょうかん)だなっていう気がしました。孔子は泥おん宮(ないおんきゅう)という世界をよく知っていたから、ああいう曲を作曲できたんですよ。そういう見方で、もういっぺん支那のこれといったすぐれたものを、見直さなけりゃいけない。ところが、これというところはちっとも輸入してない。孔子のいう楽とは、たとえば「幽蘭の曲」のようなものかというところを輸入してない。それどころか、五弦琴すら輸入してないんですよ。十三弦を箏(そう)といい、五弦を琴という、その箏だけ輸入したんですね。これじゃ、孔子の曲を聞けるわけがない。すると、礼楽の楽がわかるわけがない。勉強の仕方がずさんだったんでですね。 井上  そうなんでしょうね。 岡  理屈をいわずに、「幽蘭の曲」を聞きゃあいいんですよ。あのころはレコードがないでしょうから、五弦琴を輸入していくべきです。私はそれを聞いて、西洋音楽のひとつ上の世界の音楽というものがあり得るんだなあと思いました。 井上  先生こそ詩人ですね。阿鼻叫喚で西洋音楽を衝(つ)かれたのはすごい指摘ですね。(97-98頁)  我が頭(こうべ)を回(めぐ)らせど、岡潔の前に詩人なく、岡潔の後に詩人なし。  なお、孔子の「幽蘭の曲」とは、泥おん宮(ないおんきゅう)が奏でる曲、天子の、天人の奏する楽曲を意味すると考えられる。 ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。 岡  (前略)つまり(ひたいをたたいて)ここでしょうね。中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、...

西田幾多郎「心のことは心にまかせる」 3/9

西田幾多郎「心のことは心にまかせる」 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  喜怒哀楽のかな(悲)しいは、前頭葉で感じるんです。ものがなしいのかな(哀)しいは、頭頂葉で感じる。西田(幾多郎)先生のなすったことは、あれは西洋人の哲学の思索ではなくて、東洋の瞑想をなすったんです。パンセではない。瞑想というのは、西田先生によると心のことは心にまかせるということなのです。 井上  いいことばですね。 岡  私は西田先生のもの、読んでおりません。西洋哲学だと思っていたんです。それで、読まなかったんですが、あのことばを聞いて、それじゃやはり釈尊と同じようなことをなすったんだとわかりました。釈尊のしぶきも瞑想だと思う。泥おん宮(ないおんきゅう)に心を遊ばせる、泥おん宮を逍遥すると申しますか、ところで、井上先生は哲学をなすったんですか、美学をなすったんですか。 井上  美学でございます。 岡  まあ、似たもんですね。(72頁) ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。 岡  (前略)つまり(ひたいをたたいて)ここでしょうね。中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、西洋にはないんです。西洋では、まずそこに実体があるとしか考えられない。 井上 逆になっているんですね。 岡 逆なんです。実際見ているのに、そうなんです。(69頁) 「実際見ているのに、そうなんです」とは、「実際見ている」ものには実体がないことが見えていない、というほどの意味であろう。  けっして他人事ではなく、また「有無を離れる戦い」とは凄絶である。

岡潔,井上靖「詩人は指摘する」 2/9

岡潔,井上靖「詩人は指摘する」 井上靖 岡潔 「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  私は文字の上で詩というものを考えますと、やはり一番大きい影響を受けたのは、伊東静雄という詩人がございましてね。この人は五十歳くらいで亡くなりました。大阪の中学校の先生なんです。一般的にはあまり有名ではありませんけれど…。 岡  初めてうけたまわります、その方の名前。 井上   最近になって、私が関係してますような 詩人の全集には、みんなはいりだしました。その詩人の詩ですけれども ー よそから帰ってきて、書斎の机の前にすわって、蝉の鳴き声を聞くのです。その詩の一説に、「前生(ぜんしょう)のおもひ」ということばが出てきます。 岡  ほう、いいことばですね。それはいいことばですけど、蝉の鳴き声に前生のおもひを感じた人は、いままでに聞いたことがない。(73- 74頁) 井上  詩人といわれる人の仕事は、その(岡潔先生のいわれた)指摘ということでございますね。 岡  行基(ぎょうき)菩薩が、ほろほろと山鳥の、って歌っているでしょ。そしたら、芭蕉はさっそく、ほろほろと山吹散るか、って詠んでいるでしょ。ああいうふうな…あれ、やっぱり指摘でしょうね。 井上  そうですね、指摘でございますね。 岡  なかなか、そんなに指摘の例は数多くあるもんじゃないんですね。(75頁) 井上  三好達治という詩人がおりますね。その人の詩の一節に “ 海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西の言葉では、あなたの中に海がある。” (『郷愁』より)というのがあります。この詩では、ここだけが詩だと思うのですが。 岡  フランスのことばでは、どうして母が…、ああ、メール(mere)か。 井上  mer(海)に  mere(母)ですね。これは思いつきのように思われるでしょうけど、単なる思いつきの詩ではないんです。 岡  思いつきじゃありませんな。 井上  海と母との関係を指摘した詩です。私は詩の手本として、いつでもそれを感じるんですよ。 岡  ほんとうに詩とはそんなもんです。 芭蕉が山吹に使っている、ほろほろっていうことば、ああいうのを使わなきゃ…。 岡  先生が指摘だとおっしゃった、その指摘ということばで一番よく説明できると思います。(7...

岡潔,井上靖「日本民族と詩」1/9

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岡潔,井上靖「日本民族と詩」 井上靖 岡潔 「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  あの、この前の御作『夜の声』、感心いたしました。 井上  おそれいります。(67頁) 岡  井上先生のねらっておられるものは、常に詩ですよ。それぞれ違った味わいの詩を感じます。縹渺(ひょうびょう)として詩がある。それから、なくなってしまった民族の描きだした詩も、われわれの血のなかに脈打っている。なんか、そんな感じで、『敦煌』にしろ、『楼蘭』にしろ、おもしろい。ああいう民族があって、やはり日本民族なんかもあるんだなって気がしますね。滅んだ民族が滅びない民族に、深い色どりを与えているということ…。(72-73頁) 岡  日本民族は、結局、詩がわかるんでしょ。それ以外になんにもわからんのじゃないですか。 井上  詩を失ったら、日本民族を日本民族たらしめている最もたいせつなものがなくなるということになりますね。 岡  ええ、いろいろなものがある、その一番上に位置するものが詩であって、この一番大事なものを日本民族が持っているんだってことを忘れたらだめだ。あとはなにも持ってないんですよ。持ってないからまねようとするが、うまくいかんのです。それで劣等民族だと思うらしい。日本民族くらい、ほんとうに詩のわかる民族ってないだろうと思います。 井上  その一番たいせつなものを失ったら困るし…。それから、全世界はみんなそれぞれ民族特有なものがあるんでしょう。ものの考え方、ものの感じ方、それぞれ違う。全部を一本にできるという信仰が困るんです。(98-99頁) 2022/10/25 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫  入浴後、マクドナルド 23号新栄店で、井上靖との対談を読み、あまりのことに茫然とし、深夜の書店内を、『敦煌』,『楼蘭』の2冊の文庫を手に彷徨っていた。  帰宅後、 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 を読み終えた。 2022/10/26 井上靖『楼蘭』新潮文庫 『楼蘭』を読み終えた。気の遠くなるようなお話だった。秋の陽は短く、闇の気配を感じていた。  伏線の引き方、結末は見事だった。  その後、『敦煌』を読みはじめた。 心急き、以下、「覚書き」です。 2022/10/28 ◇「道...

岡潔『岡潔対談集』_司馬遼太郎 4/4

岡潔,司馬遼太郎「無為にして化す」 岡潔 司馬遼太郎「萌(も)え騰(あが)るもの」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 司馬  政治をなさらないのが日本の天皇さんだと思うのです。大神主さんであって、中国や西洋史上の皇帝ではなかった。あの存在を皇帝にしたのが明治政府ですが、どうもまずかった。(34-35頁) 岡 (前略)上に立つ方は、無である方がよいのです。 司馬  無であるというのが日本史上の天皇ですね。 岡  無であるということは、武士であるということを不可能にすることです。 (35頁) 司馬  そうでしょうね。明治以後の天皇制は日本の自然な伝統からみると間違っていますね。 岡  信長はよくやってるんだがボスになる。秀吉もよくやってるんだがボスになる、いくらやっても、結局ボスになる。この傾向を除き去ることはできないでしょう。それゆえ、天皇は是非いるのです。私は、そういう見方をしています。 司馬  それはたいへん結構ですね。 岡  書きにくいのですがね。私はそう思っております。全く無の人をそこへ置くべきです。 司馬  老荘のいう無の姿が、日本の天皇の理想ですね。 “無為にして化す”…。 岡  老荘のいう無であって、禅のいう無ではすでに足りません。禅のいう無はその下に置くべきです。   “無為にして化す” 全くそのとおり です。 司馬  自然と日本人の心の機微が天皇というものをうんだのですね。 岡  しかしね、この意味は匂わすだけでなかなか書けないのです。あんまり機微に触れたことは書けません。 司馬  よくわかります。 岡  わかっていただけるでしょう。それとなくいうのが一番いい。全く無色透明なもを天皇に置くのが、皇統の趣旨です。これなくしてはボスの増長を除くことはできません。 司馬  是非いりますね。(後略)(36-37頁)  私は、たとえば政治や経済等の、世の中の現象については、あまり興味がない。ゆえに疎い。  今回は偶然にも、信用のおけるおふたりの対談を読み、天皇制の核心部分について知った。「 無為にして化す」ことが絵空事でないことを知るにいたった。日本とは、日本民族とはたいしたものであると思った。  私は政治や宗教等の、人のこころの最もやわらかな 部分にふれることを極端に忌む者である。 “勧誘 ” などという勇ましい言葉...

岡潔『岡潔対談集』_司馬遼太郎 3/4

岡潔,司馬遼太郎「仏によって神を説明していたのですからね」 岡潔 司馬遼太郎「萌(も)え騰(あが)るもの」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 司馬  こういう連中が出てきてだめになってきたのです。日本の天皇は気の毒なことになってきたのです。 岡  明治維新のために必要になってきたのでしょうが、国学者の平田篤胤(あつたね)、あそこから間違ってきていますね。また宋学の尊王攘夷の王というのを日本の天皇にあてはめた朱子学、陽明学の徒もやはり間違っている。しかし、平田篤胤がもっともいけません。 司馬  平田篤胤は困る。(38頁) 司馬 (前略)明治になって、彼らに報いなきゃいけないというので神祇院をつくったのです。神祇院をつくりまして、神祇院に平田門下を全部入れました。神祇院で神主さんのことを取り扱わせる。ところが、神主のことをやっているだけでは満足しなくて、排仏毀釈(きしゃく)を実行したのです。それは明治政府、最大のミスです。 岡  廃仏毀釈をすれば、神道を説明する言葉がなくなってしまう。 司馬  仏によって神を説明していたのですからね。 岡  そうですよ。そのために聖徳太子が仏教をお取り入れになったのです。 司馬  神道はボキャブラリイを失ったわけですね。 岡  ボキャブラリイがないわけです。あと、お稲荷さんだの、なんだのいっても、全然神道にはなりません。(40頁) 「神 道 (7) 」 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神道に教義がないことは、すでにふれた。ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、沈黙がその内容にふさわしかった。  『万葉集』巻第十三の三二五三に、  「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら、言挙(ことあ)げせぬ国」  という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。  神(かん)ながらということばは、 “神の本性のままに” という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。  神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性として ー神ながらにー 生きているだけのことである。くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のよ...

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岡潔「くそ坊主は追い払いましょう」 岡潔 司馬遼太郎「萌(も)え騰(あが)るもの」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫  昨日(2022/12/25)のブログで、「三日坊主」という言葉を用いましたので、せっかくですから、おふたりの対談を引用しておきます。 司馬 (前略)禅とはそれそのものはたいへんなものですけど、これはやはり生まれついた人間がやらなければいけませんね。道元、白隠にしてやれることであって、あとは死屍累々(ししるいるい)ですな。 岡  まあ、せいぜい一万人に一人。 司馬  その割合はあるいは甘いかもしれませんね。十万人に一人です。 岡  禅に限らず、僧侶は十万人いる。ところが本物は百人だと、薬師寺の前管長橋本凝胤(ぎょういん)もいっています。 司馬  そんな割合なら、うどん屋の同業組合のなかで選べますからね。 岡  選べますとも。巷(ちまた)にそのくらいはおります。 司馬  だけどお坊さんを改悛(かいしゅん)させて俗人にしなきゃいかんことが、岡先生のご任務じゃないでしょうか。奈良に住んでらっしゃるから。 岡  仏教廃止にしましょうか。 司馬  仏教廃止もよろしゅうございますね。えらいところで共鳴してきたな。 岡  でも、いろんな仏たち、たとえば法隆寺でいえば救世観音、新薬師寺の十一面観音、みんな残さなきゃいけません。 司馬  仏たちは尊うございますからね。お坊さんと仏たちとは違うんだから。 岡  くそ坊主は追い払いましょう。お前たちにはご用ずみだ、迷信と葬式仏教によって食べていこうとするな。(44-45頁)  過激な対談と言うことなかれ、溜飲がさがる思いを抱いている。「お坊さんを改悛させ」ると「俗人に」なるところが面白い。  両氏の対談「 萌え騰るもの」からは、多くのことを学んだが、理解のおよばないことも多々ある。これを機に再読することにする。  今回の「古社寺巡礼の道ゆき」では、救世観音の秋の特別展は終わり、また新薬師寺へは行く時間がなかった。 “美” の前に立ちつくすと、時間の感覚があやふやになる。計画など立てようがない。

岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 1/4

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『岡潔対談集」 この「対談集」の興趣は、岡潔の “情緒” のおもむく行方にある。対談者の人選の妙にある。

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_本居宣長について」9/9

小林  私はいま「本居宣長(もとおりのりなが)」を書いていますが、あなたがおっしゃる情緒という言葉から、宣長の「もののあはれ」の説を連想するのですが。これはやはり情緒が基本だという説なんです。あの人には、ほんとうは説としてまとまったものはなくて、雑文みたいなものの集まりがあるだけなのです。それで大体こういうことが言いたかったのであろうということを、私は推量するわけです。宣長は昔の人ですから、今の人みたいに理論的に神経質じゃありません。首尾一貫したもののあはれの理論をこしらえるなんていう考えは毛頭ないのです。だから勝手なことを言っているわけです。 岡  理論とか体系とかは、欧米から学んだもので、以前にはなかったのです。 小林  あの頃の日本人には一つもないのです。システムなんて言葉は何だかわからないのです。ですから推量するわけですが、もちろん宣長自身としては、一貫しているのです。言いたいことがわかっているから、こうだろう、ああだろうと、こっちから推察するのです。そういうふうに見ますと、ああいう説は、あとから、例えば坪内逍遥が採りあげるような美学じゃないのですよ。文学説でもないのです。あれはあの人の人生観で哲学なんですよ。あはれを知る心とは、文学に限って言ったわけではなく、自分の全体の生き方なんです。それが誰もの生き方なんですね。そこまで確信してしまった人なのです。 (中略)  詩人ではないが、たいへん詩人的なところがありまして、どんどん一人で歩いていって、もう先きはないというところまできて、ぽっくり死んだのです。そういう意味で宣長さんの考えた情緒というものは、道徳や宗教やいろいろなことを包含した概念なんです。単に美学的な概念ではないのです。 (82-83頁) 小林  本居宣長さんという人は歴史家としてはペケですな。なんにも掘り返さないんです。掘り返しちゃいかんと言っている。「古事記」であろうと「日本書紀」であろうと事実である、「万葉集」と同じ種類の事実である。掘り返してはいかん。 (中略) 実に健康的で簡明な思想です。 (102頁)  ここにきて、岡潔の一貫して主張する「情緒」と本居宣長の「もののあはれ」が結びついた。  「そういう意味で宣長さんの考えた情緒というものは、道徳や宗教やいろいろなことを包含した概念なんです。単に美学的な概念ではないのです。」 という、小林...

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_確信したことしか書かない」8/9

小林  (前略)それからもう一つ、あなたは確信したことばかり書いていらっしゃいますね。自分の確信したことしか文章に書いていない。これは不思議なことなんですが、いまの学者は、確信したことなんか一言も書きません。学説は書きますよ。知識は書きますよ、しかし私は人間として、人生をこう渡っているということを書いている学者は実に実にまれなのです。そういうことを当然しなければならない哲学者も、それをしている人がまれなのです。そういうことをしている人は本当に少いのですよ。 (中略)  私は文章としてものを読みますからね、その人の確信が現れていないような文章はおもしろくないのです。岡さんの文章は確信だけが書いてあるのですよ。 岡  なるほど。 小林  自分はこう思うということばかりを、二度言ったり、三度目だけどまた言うとか、何とかかんとか書いていらっしゃる。そういう文章を書いている人はいまいないと思ったのです。それで私は心を動かされたのです。 岡  ありがとうございます。どうも、確信のないことを書くということは数学者にはできないだろうと思いますね。確信しない間は複雑で書けない。 小林  確信しないあいだは、複雑で書けない、まさにそのとおりですね。確信したことを書くくらい単純なことはない。しかし世間は、おそらくその逆を考えるのが普通なのですよ。確信したことを言うのは、なにか気負い立たねばならない。確信しない奴(やつ)を説得しなければならない。まあそんなふうにいきり立つのが常態なんですよ。ばかばかしい。確信するとは2プラス2がイコール4であるというような当たり前のことなのだ。 (中略)  ところで新風というものが、どこかにありますかなあ。こんな退屈なことはないですね。もしみんなが、おれはこのように生きることを確信するということだけを書いてくれれば、いまの文壇は楽しくなるのではないかと思います。 岡  人が何と思おうと自分はこうとしか思えないというものが直観ですが、それがないのですね。 小林  ええ、おっしゃるとおりかも知れません。直観と確信とが離れ離れになっているのです。ぼくはなになにを確信する、と言う。では実物のなにが直観できているのか、という問題でしょう。その点で、私は噓(うそ)をつくかつかぬかという、全く尋常な問題に帰すると考えているのですが、余計な理窟(りくつ)ばかり並べているの...

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_素読教育の必要」7/9

小林  話が違いますが、岡さん、どこかで、あなたは寺子屋式の素読(そどく)をやれとおっしゃっていましたね。一見、極端なばかばかしいようなことですが、やはりたいへん本当な思想があるのを感じました。 岡  (前略)これほど記憶力がはたらいている時期だから、字をおぼえさせたり、文章を読ませたり、大いにするといいと思いました。 小林  そうですね。ものをおぼえるある時期には、なんの苦労もないのです。 岡  あの時期は、おぼえざるを得ないらしい。出会うものみなおぼえてしまうらしい。 小林  昔は、その時期をねらって、素読が行われた。だれでも苦もなく古典を覚えてしまった。これが、本当に教育上にどういう意味をもたらしたかということを考えてみる必要はあると思うのです。素読教育を復活させることは出来ない。そんなことはわかりきったことだが、それが実際、どのような意味と実効とを持っていたかを考えてみるべきだと思うのです。 (中略) 「論語」はまずなにを措(お)いても「万葉」の歌と同じように意味を孕(はら)んだ「すがた」なのです。古典はみんな動かせない「すがた」です。その「すがた」に親しませるというという大事なことを素読教育が果たしたと考えればよい。「すがた」には親しませるということが出来るだけで、「すがた」を理解させることは出来ない。とすれば、「すがた」教育の方法は、素読的方法以外には理論上ないはずなのです。実際問題としてこの方法が困難となったとしても、原理的にはこの方法の線からはずれることは出来ないはずなんです。私が考えてほしいと思うのはその点なんです。 (144-146頁)

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_西洋人のことがわからなくなってきた」6/9

小林  (前略)ピカソにはスペインの、ぼくらにはわからない、何と言うか、狂暴な、血なまぐさいような血筋がありますね。ぼくはピカソについて書きましたときに、そこを書けなくて略したのです。在るなと思っても、見えてこないものは書けません。あのヴァイタリティとか血の騒々しさを感じていても、本当には理解はできないのです。それがわからないのは、要するにピカソの絵がわからないことだなと思った。ぼくら日本人は、何でもわかるような気でいますが、実はわからないということを、この頃つよく感じるのですよ。自分にわかるものは、実に少いものではないかと思っています。 岡  小林さんにおわかりになるのは、日本的なものだと思います。 小林  この頃そう感じてきました。 岡  それでよいのだと思います。仕方がないということではなく、それでいいのだと思います。外国のものはあるところから先はどうしてもわからないものがあります。 小林  同感はするが、そういうことがありますね。だいいちキリスト教というものが私にはわからないのです。(後略) (98-99頁) 小林  ぼくはこのごろ西洋人のことがだんだんわからなくなってきたのです。 岡  何か細胞の一つ一つがみな違っているのだという気がしますね。 小林  そういうことがこの頃ようやくわかってきた。 (116頁)  両氏が口をそろえていう、これが井筒俊彦が措定した「存在はコトバである」ことの証左なのであろう。「コトバ」が文化を規定する。  小林秀雄は、対話のなかで、 「言葉が発生する原始状態は、誰の心のなかにも、どんな文明人のなかにも持続している。そこに立ちかえることを、芭蕉は不易と呼んだのではないかと思います。」(133頁) といい、また、 小林  (前略)それはやはり自然に帰れということですよ。これは土人に帰れ、子供に帰れということですが。そういうことになるのも、これは決して歴史主義という思想に学ぶのではない、記憶を背負って生きなければならない人の心の構造自体から来ているように思えるのです。原始時代がぼくの記憶のなかにあるのです。歴史の本のなかにではなくて、ぼく自身がもっているのです。そこに帰る。もういっぺんそこにつからないと、電気がつかないことがある。あまり人為的なことをやっていますと、人間は弱るんです。弱るから、そこへ帰ろうということが起ってくる。 岡...

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_あれ、哲学の専門書じゃないからです」5/9

岡  プラトンをお好きで、ずいぶんお読みになったようですね。 小林  好きなんですが、ただ漫然と読むので。好きな理由は、たいへん簡単なことなのでして。あれ、哲学の専門書じゃないからです。専門語なんてひとつもありません。定義を知らないものにはわからないという不便がないからです。こちらが頭をはっきりと保って、あの人の言うなりになっていれば、予備知識なしに、物事をとことんまで考えさせてくれるからです。材料は具体的で豊富ですし。 (136-137頁)

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_思索は言葉なんです」4/9

小林  岡さんの数学というものは数式で書かれる方が多いのですか、それとも文章で表されるのですか。 岡  なかなか数式で表せるようになってこないのです。ですから、たいてい文です。 小林  文ですか。つまり、その文のなかにいろいろな定義を必要とする専門語が入っているというわけですね。 岡  自分にわかるような符牒(ふちょう)の文章です。人にわからす必要もないので、他人にはわからないものです。自分には書いておかないと、何を考えたのかわからなくなるようなものです。やはり次々書いていかないと考え進むということはできません。だけど数式がいるようなところまではなかなか進みません。 小林  そうすると、やはり言葉が基ですね。 岡  言葉なんです。思索は言葉なんです。言語中枢(ちゅうすう)なしに思索ということはできないでしょう。 小林  着想というものはやはり言葉ですか。 岡  ええ。方程式が最初に浮かぶことは決してありません。方程式を立てておくと、頭がそのように動いて言葉が出てくるのでは決してありません。ところどころ文字を使うように方程式を使うだけです。 小林  そうですか。数学者の論文というのはそういうものですか。 (中略) 小林  私みたいに文士になりますと、大変ひどいんです。ひどいということは考えるというより言葉を探している言ったほうがいいのです。ある言葉がヒョッと浮かぶでしょう。そうすると言葉には力がありまして、それがまた言葉を生むんです。私はイデーがあって、イデーに合う言葉を拾うわけではないのです。ヒョッと言葉が出てきて、その言葉が子供を生むんです。そうすると文章になっていく。文士はみんな、そういうやりかたをしているだろうと私は思いますがね。それくらい言葉というものは文士には親しいのですね。岡さんの数学の世界にも、そういう独特の楽しみがあるでしょう。 (121-123頁) この小林秀雄の問いかけに対する、岡潔の回答はなく、話題が飛躍している。編集時に省略されたことがはっきり見てとれる。惜しいことをしたものである。 

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_飛躍的にしかわからない」3/9

  小林  (前略)国語伝統というものは一つの「すがた」だということは、文学者には常識です。この常識の内容は愛情なのです。福田(恆存 つねあり)君は愛情から出発しているのです。ところが国語審議会の精神は、その名がいかにもよく象徴しているように、国語を審議しようという心構えなのです。そこに食いちがいがある。愛情を持たずに文化を審議するのは、悪い風潮だと思います。愛情には理性が持てるが、理性には愛情が行使できない。そういうものではないでしょうか。 岡  理性というのは、対立的、機械的に働かせることしかできませんし、知っているものから順々に知らぬものに及ぶという働き方しかできません。本当の心が理性を道具として使えば、正しい使い方だと思います。われわれの目で見ては、自他の対立が順々にしかわからない。ところが知らないものを知るには、飛躍的にしかわからない。ですから知るためには捨てよというのはまことに正しい言い方です。理性は捨てることを肯(がえん)じない。理性はまったく純粋な意味で知らないものを知ることはできない。つまり理性の中を泳いでいる魚は、自分が泳いでいるということがわからない。 小林  お説の通りだと思います。 (146-147頁) これを機に、この話題は唐突に打ち切られている。残念である。

「小林秀雄,岡潔『人間の建設』_理論物理学者とは、そして数学者とは」2/9

小林  アインシュタインは、すでに二十七八のときにああいう発見をして、それからあとはなにもしていないようですが、そういうことがあるのですか。 岡  理論物理学者は、一つの仕事をすると、あとやらないのがむしろ原則ではないでしょうか。幾幕かの理論物理という劇で、個々の理論物理学者は一つのシーンを受持っている。その後はもうやらない。そんな気がします。 小林  ある幕に登場するわけですね。 岡  数学者はそうではない。その人のなかに数学の全体というものをもっている。自分の分野はしまいまでやります。物理学者とは違うのです。 小林  はああ、それは面白い御意見です。すると、岡さんの若いときに発見なさった理論は、一貫して続いているわけですね。 岡  そうです。 (中略) 岡  その当時出てきていた主要な問題をだいたい解決してしまって、次にはどういうことを目標にやっていくかという、いまはその時期にさしかかっている。次の主問題となるものをつくっていこうとしているわけです。 小林  今度は問題を出すほうですね。 岡  出すほうです。立場が変るのです。中心になる問題がまだできていないというむつかしさがあるのです。 (68-69頁)

小林秀雄,岡潔『人間の建設』新潮文庫 1/9

小林秀雄,岡潔『人間の建設』新潮文庫  昨夕(2018/07/30)届き、今日の午前中には読み終えた。その後拾い読みした。  小林秀雄と岡潔による高級な「対話編」である。話題は多岐におよぶが、両氏がうなずき合っているところがおもしろい。  岡潔の日本を日本人を思う気持ちは深刻である。それは小林秀雄に、 「あなた、そんなに日本主義ですか」(139頁) と言わしめるほどである。岡潔の憂いは、故国日本の再評価と表裏をなすものである。  以下、再掲である。 「対話・人間の建設」  河上徹太郎『わが小林秀雄』昭和出版   「こんなにうまの合つた、ほのぼのと暖い(小林秀雄と岡潔の)対談は、当今どんな誌上にも見当らない。聞けばこの初対面の二人が、延々十一時間しやべり続けて、一度も中座しなかつたさうである。  私の読後感を一言でいへば、これを読んで非常に安心した、気持が落着いた、といふことである。つまり今の時節に誰かがいはねばならぬ一番大切なことを、はつきりと、声を大きくしていひ切つてくれたといふ同感の念である。」(193頁) と、河上徹太郎は述べ、そしてそれは以下に続く。 「学問は苦しんで、そして自分で発見するものである。さういつたことを、例へば小林君は評論を書く時言葉 を発見する上で苦労し、岡さんは函数理論を築いてゆく上で苦労してきた。この苦労の打明け話がたまたま二人の共鳴を呼び、話に花を咲かせたのである。  だから二人共全然理論を弄ばない、実感だけで語つてゐる。それも専ら体験的な苦労による実感だから、重厚であつて、重なり合ふと狂ひがない 」(194頁) 下記、岡潔「『春宵十話』角川ソフィア文庫_まとめて」です。 ◇  岡潔「一つ季節を廻してやろう、という岡潔の気宇壮大」 ◇  岡潔「情緒、その人の中心をなすもの」 ◇  岡潔「数学に最も近い職業は百姓だといえる」 ◇  岡潔「たちまちのうちに解るとき」 ◇  岡潔「すべて成熟は早すぎるよりも遅すぎる方がよい」

TWEET「生命の連続のなかの結節点」

 小林秀雄におけるベルグソン、井筒俊彦におけるイブン・アラビー。あるいは 中井久夫におけるサリヴァン。三氏が師叔した人物が、みてとれるのは興味深い。小林秀雄については不明だが、井筒俊彦、中井久夫は原書で読み、その後 翻訳を出版している。  出会うべくして出会ったのだろう。  昨日乱読中に、 「あらゆるものは生命の連続のなかに生きる。その連続の過程をどれだけ充たしてゆくことができるのか、そこに生きることの意味があるといえよう」( 「31 生と命」 白川静『漢字百話』中公新書 96頁) との、白川静の言葉に出会った。三氏は、また白川静は、「生命の連続のなか」に結び目を作った。ふり返ると思いがけずも結節点ができていた、といった方が正確かもしれない。渦中には顧る余裕もなく、ただ充溢した時間の中にあったのだろう。

最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして_03」

 2024/01/01 の能登半島地震後、以下のブログが、ぽつりぽつりと閲覧されるようになりました。情報を必要とされている、一人でも多くの皆様の目に留まることを願い、再掲いたします。 最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして」 2021/01/17  1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から26年が経ちました。「災害関連死」も含めて、6434人の方が亡くなられました。  中井久夫先生には、以下の著作があるのは承知していますが、そのままになっています。 ◇ 中井久夫『災害がほんとうに襲った時 ー 阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房 ◇ 中井久夫『復興の道なかばで ー 阪神淡路大震災一年の記録』みすず書房 負い目もあって検索していますと、 「阪神大震災のとき / 精神科医は何を考え、/ どのように行動したか」 「中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 「電子データの公開および無償頒布につき まして(最相葉月)」 と題されたサイトに出会いました。 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin00.html 以下、 中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin01.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/shinall.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/mae.epub の無料頒布先です。 無料頒布は、 「まことに僭越と思いつつ無償配布のご提案を中井氏にいたしましたところ、「かまいません」と瞬時にご快諾いただきました。版元のみすず書房の担当編集者である守田省吾氏のご協力も得て、ここに公開させていただきます。一人でも多くの皆様に届きますよう、心当たりの方がおられましたらご案内いただけると幸いです。今、困難な任務に就いておられる皆様を心より応援いたしております。(2011年3月20日最相葉月)」 の経緯を経てなったものです。  26年目の今日、貴重な資料として大切に読ませていただきました。  震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りしております。また、一刻も早い復興をご祈念しております。 本多勇夫

「中井久夫先生のすごさとすごみ」

中井久夫『いじめのある世界に生きる君たちへ - いじめられっ子だった精神科医の贈る言葉』中央公論新社  はじめは、いわさきちひろさんの絵を懐かしく思いながらながめていましたが、本文を読み進めるうちに、そんなのん気な気分は一掃され、何度も戦慄が走りました。戦慄を覚えるたびにつらくなり、休み休み読み終えました。 「このような文を書くと、(いじめの)対策はどうなのだという質問がさっそくでてきそうです」(77頁)  中井久夫先生のこの質問に対するお答えは、この一文に続く12行、視点をかえて数えれば、それはわずか 6行のみです。そして、それは以下の文へと続きます。 「これ以上の対策をあれこれあげることは、実行もせずに絵空事を描(えが)くことになり、かえって罪なことになります。その場に即(そく)して有効な手立てを考え出し、実行する以外にない世界です。わたくしのように初老期までいじめの影響に苦しむ人間をこれ以上つくらないよう、各方面の努力を祈ります。  ひょっとすると、この文章は、いじめられっ子に、他の誰よりもよく理解してもらえるのではないかという気がします。あえてわたくしごとを記しました」(79-80頁) 「これ以上の対策をあれこれあげることは、実行もせずに絵空事を描(えが)くことになり、かえって罪なことになります」  この謙虚さ、このわきまえ方、実際にいまいじめの問題と向き合っている誠実な方たちへのご配慮は、臨床家として、常に「わたくしごと」の域を越えないという中井久夫先生の「すごさ」です。 神田橋條治「ボクにとっての中井久夫先生」 『中井久夫 精神科医のことばと作法』KAWADE 夢ムック 文藝別冊 河出書房新社    (『中井久夫著作集 第II期 精神医学の経験』パンフレット 創元社) 「すいせんの言葉」の中心に「仁」と「義」を置いたのは、先生の身の処し方に、高倉健が演じる任侠映画の匂いを嗅ぎ取ったからです。  数年前、阪神・淡路大震災の回想を書かれているのを読みました。先生は当時、関東大震災の際に流言飛語に煽られて起こった朝鮮人虐殺の歴史を想起されて、今度も同じことが起こったら、「私には覚悟がある、と思っていた」と書いていらっしゃいました。そのコトバに出会って、からだの芯が震えました。しばらくして気がつきました、先生は硬派ボクは軟派、月とスッポンの差はあれど、大...

中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」

中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」 中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院  2015/08/10  中井久夫先生はその著書『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 のインタビュー記事の中で、  「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないすけどね。」 とおっしゃられています。   そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終わっています。 ◇「こんなこと言うでしょ?」の文末には,「?」が付されています。 ◇「年を取ってくると、 病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる」のでしょうか。  中井久夫の全存在が、患者さんの一切を受容するから、「患者さんはよくなる」のでしょうか。 「何もしないからよくなる」のかもしれませんが、「何もしない」ことは一大事です。  河合隼雄さんは、京都大学の「こころの最終講義」で、「余計なことをしない、が心はかかわる」とおっしゃられています。講義名は、「コンステレーション ー 京都大学最終講義」でした。 「究極の指揮者はふらない」 茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー選書 江村  音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、全然テクニックがないらしい。でもそれでいいんだと言う。「テクニックなんて全く持ってない。ただハートがすばらしい。あの人が来るだけで、あのハートに酔っちゃうんだ」と言っていました。 茂木  バーンスタインについては同じような話を僕も聞いたことがある。前に立つだけで音楽が変わっちゃうって言いますね。 江村  あの人が出てくると棒なんてものは、はっきり言っていらないんだって(笑)。 茂木  江村さんのご友人の大野和士さんも、先日私が司会をしているNHKの番組( 『プロフェッショナル 仕事の流儀』)に出られたときに、「最後は指揮者...

中井久夫「もし精神科医のごときものにも一言弁明が許されるとすれば」

「思春期患者とその治療者」 『思春期の精神病理と治療』所収、岩崎学術出版社、一九七八年 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫  もし精神科医のごときものにも一言弁明が許されるとすれば、私はしばしば、揺れて止まない大地の上に家を建てることを求められ、強風の中に灯をともすことを命じられているように感じている。われわれが全面的に臨床に目を向けるようになってから日の浅いことは蔽うべくもなく、なお経験を積み、新しい可能性に目が開かれることを努めつつ時を待つべきであろうが、しかし、時に私は、ビルマ戦線に仆れた若き英国詩人アラン・ルイスのことばをゆくりなくも思い出す。  ーー「われわれの悲劇は何が善であり悪であるかにあるのではない。何が良く、何が悪であるかがわからないのにしかも決断し行動せねばならないことだ」ということばを。  「詩人はただ警告するだけだ」ーーこれは第一次大戦に仆れた、やはり英国の詩人ウィルフリド・オウエンのことばであるが、精神科医がただ警告するだけで足りるならばこれほど幸福なことはない。しかし医師たるものは、技術者一般と異なり技術それ自体の成熟を待つことができない。患者の存在自体が「とりあえず」問題に立ち向かうことを強いる。それはかつてもそうであったし、これからもおそらくいつもそうであろう。けれども、思春期の精神医療に立ち向かわざるを得ない時、単に思春期というのではなく、一九七〇年代にたとえば十四歳であること、十七歳で、二十歳であることの重さ、をとくに感じないわけにはゆかない。(48-49頁)

中井久夫「教育と精神衛生」

「教育と精神衛生」 (「学校保健研究」一九八二年十月号、日本学校保健協会) 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫  このような心の中のせめぎ合いの中から辛うじて私の言えることはなんだろうか。  基本的には、精神健康をめざす人間固有の力への信頼が一つ。とにかく人間は数百万年生き延びてきたのである。もう少し特殊的には、カウンセリング、相談、というものは、狭い意味では一つの技術であろうが、実際には、食事や睡眠と重要性においてさほど劣らない人間の基本的活動である、と私は考えている。  この基本的活動が不活発になることは、精神健康を掘りくずすものであると私は思う。私に凄絶な感銘を与えたのは、世界の遠隔地で働いている駐在員の話で、ホテルへ戻ってから大声でひとり言をいうことが精神衛生上絶対必要だという。「今日はまあよくやったほうだな。イヤなこともあったけどな。いいじゃないか。明日はこうしてああしてって。まあ、今日はビールをのんで演歌でも歌おう」。精神医学の重鎮で国連の任務で単身英語の通じない地域によく出張されるK先生は大きく相槌を打たれた。「そうだ。ひとり言をいわないとクレージーになるよ。あれは大切だ」。精神医学では独語はあまり精神衛生のよい状態とされていない。たしかに人に話しかけるほうが壁に話しかけるよりもよい。しかし状況によっては、壁にでも相談するほうが、頭の中で想念をわだかまらせているよりよいのである。教育が「引き出す」ということだと、西洋の語源に沿って言われるのは、教育者がよい「聞き手」になることを含意していないか。教師は「送り手」であると同じくらい「聞き手」であることが重要だと、これは大学教師であった私の反省も含めて思う。  この一般論を背景にして、次は、当人(子ども、患者)の頭越しにものを決めないことが重要だと思う。精神科医は、子どもの患者を相手にする時、特に子どもは、大人というものは皆グルだ、という外傷体験を持っていると考えてかかるべきだ、ということを味わされている。「親にだけ」と、心をこめて打ち明けたら先生に伝わっている。逆の方向もある。時には子どもの真剣な思いが笑いものにされる。子どもはペットの次に大人の慰みものにされやすい存在である。「この先生は秘密を守ってくれる」ということを言葉でなく態度によって実践によって知って、はじめて子...

中井久夫「秘密を守ることの意義」

「秘密を守ることの意義」 「精神科医からみた学校保健衛生」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫」  成人の場合には、治療を拒む権利がある。実は精神障害の場合にはその権利は法的には大幅に制限されているのだが、しかし、いやそれだけいっそうに医者は患者と治療についての合意を得る努力を放棄してはよくないだろう。実際にもこの努力自体が患者の治癒可能性を大幅に増大する。精神科医の腕のほんとうの見せ所の一つだと私は考えている。  未成年の場合にもこれが手抜きされてはならないと思う。なるほど、未成年に対しては親の権利と義務がある。学校の先生にも責任がある以上発言権がある。しかし、できるだけ、本人抜きの決定は避けたいところである。子どもは、大人は皆通じあっているという感じを持つものである。たしかに経験はそれを証明しがちである。母に打ち明ければ翌日にもう父が知っている。親に話せばあっという間に先生に伝わっている。先生に訴えれば父兄会で親が聞いて帰ってくる、など。実際は、大人といえども自分ひとりで打ち明けられた秘密を荷うのは重いから分担してもらおうと話してしまうのだが、子どもは失望し、また警戒心を強める。  精神科医は子どもとの対話の秘密を親や先生に対しても守るのが治療的である、と私は考えている。子どもが芯からこの医者は秘密を守ってくれると実感しなければ、治療はそもそもはじまらない。この辺は、よく話せば理解してもらえることなので、精神科医はもっとちゃんとこういったことを親や先生に告げて了解してもらう努力が必要だ、と自戒をこめて記しておく。似た事情は、しばしば、面接の内容を、親がいっしょに帰る途中に子どもから聞き出そうとする場合に起こる。この親の行動は自然なのだが、精神科の面接の場合には、せっかく面接の場で得られたものの気が抜けてしまう。ひそかな“発酵”が起こらなくなる。こうして全く無駄になるだけでなく、同じ内容の面接は二度行うことができないから、しばしば治療全体を流産させてしまう。このことも、医者からあらかじめーー初診の時にーー親に了承してもらわねばならないことである。「気が抜けますから」と話すとわかってもらえることが多い(その代わり家族面接を準備する必要が起こる)。しばしば面接の緊張を下水に流そうとして患者のほうから話したがるので、親に了承してもらうこ...

中井久夫「『踊り場のない階段』から巧みにオロしてあげる」

「精神科医からみた学校精神衛生」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 「生理学者遠藤四郎氏の言では、踊り場のない階段ほど人を疲労させるものはない、という。たとえ、エスカレーターのように人間が受動的に運ばれて行く場合でも、踊り場のない長いエスカレーターは非常に疲労させるとのことである。とすれば、これは脚の問題でなく、神経の問題である。私には現在の教育が「踊り場のない階段」に見えてくる」(82-83頁) 「3 踊り場(中間休止)のない現代社会」 「私は時として思春期の子どもに話して休学をすすめることがあります。こういう踊り場をつくるということです。その子にとって、何かのめぐり合わせで踊り場が必要な時期に来ているという必要性を感じて、積極的に休学をすすめるわけです。休学中の過し方をどうするかというのは、また別の問題ですが、私の知っている、いま大学生の患者が、中学二年の頃が一番楽しかったといいましたが、思春期の中で一年しか明るい日がさしている時期がなかったというのは非常にいたましい気がします」(25-26頁) 「思春期患者とその治療者」 『思春期の精神病理と治療』所収、岩崎学術出版社、一九七八年 「思春期の人たちは、例の渦巻構造※の中で、一方では、片時でも立ち止まれば、世の中に、同級生に、とにかく無形の何かの流れに、おくれをとると感じている。たしかに一刻の遅れでも、取り戻すのは予想外に困難である。誰しも、遠足で、靴の紐を結び直している間に見る見る隊伍が遠ざかる心細い体験を持っているだろう。しかし他方では、思春期の人たちが内外の衝迫によって「踊り場のない階段」を駆け上がるように強いられていることはまぎれもない事実であり、この憩いなき登りから「オリる」ことは彼らの秘かな、しかし単独では現実化しえない願望である。医師が、「オリる」ことを保証することが一般に必要だし、一、二年を「支払った」後、「自分は自分だ」という自覚が生まれることもないわけではない。もっとも、むやみに「オロ」そうとすれば患者は当然「踊り場のない階段」の方にしがみつく。ある意味では、精神科医とは「巧みにオロしてあげる」者でなければならない。ここで「巧みに」とは安全感を失わずにということであり、そのためには十分な間接的アプローチ、すなわち根まわし地固めが必要である。しかし時には端的な...

中井久夫「踊り場のない階段」

「精神科医からみた学校精神衛生」 「3 踊り場(中間休止)のない現代社会」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫  そういう思いを重ねるにつれて、次第に痛感されてくるのは、治療と両立するような学校生活の時期が実に少ないことである。とくに、中学、高校の場合、いずれも、三年間のうち、辛うじて二年生の時だけがそういう時期であるかのようだ。しかし、高校二年はすでに侵食されているらしく、多くの患者ーー卒業生も含めた“一般患者”ーーに問うと、「楽しかったのは中学二年生だけ」という答えがいちばん多かった。  生理学者遠藤四郎氏の言では、踊り場のない階段ほど人を疲労させるものはない、という。たとえ、エスカレーターのように人間が受動的に運ばれて行く場合でも、踊り場のない長いエスカレーターは非常に疲労させるとのことである。とすれば、これは脚の問題でなく、神経の問題である。私には現在の教育が「踊り場のない階段」に見えてくる。  大多数の少年少女がよくこれに適応しているのは、最近も福島章氏が指摘しておられる通りであろう。おそらく、古くサリヴァンが言い最近ラターが示しているように、人生の節目節目においては、その変化の中で、それ以前の不利な点、不幸な体験が、“償却”されるという面があるのだろう。たとえば思春期の到来がそれ以前の問題をしばしば止揚する。しかし、その裏を返せば、まず、それ以前の順調な発達も、その後を必ずしも保証しないということだ。また、この節目がどっちに転ぶかわからない非常に重要な時期、つまり危機だということも出てくる。その辺を考え合わせる時、子どもの適応能力をぎりぎりまで試してはならないように思う。私のような者は、適応能力がいったん破綻した人を引き受けて治療する立場であるけれども、少年少女期においては、現在への適応だけでなく、将来の成長と成熟と社会化のための余力が蓄えられてゆくことが、生涯の精神衛生を全うするために必要だと思うからである。(82-83頁)

中井久夫「高度成長によって、われわれは大量の緑とともに大量の青春を失った」

「ある教育の帰結」 中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫  高度成長は終わったが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったと言えなくもない。(68頁) 「思春期患者とその治療者」 『思春期の精神病理と治療』所収、岩崎学術出版社、一九七八年  「若さ」はそれ自体何の倫理的価値体系にも属さない。しかし、凝倫理としての「若さ」は社会から思春期患者にしばしば押しつけられるものである。時には彼らもそれを無理にでも信じこもうとする。と同時にヘンダーソン G.Henderson が韓国社会に指摘したように吸い込み穴のような教育を介して社会的上昇を迫られる渦巻構造 vortex structure が日本にも(ややおくれ、韓国ほど激しくはないが)成立しつつある中で、「若さ」はほとんど自然な開花をゆるされなくなっている。知的に、成長のための余力を残さず、現在のために全力を吐き尽くすべく迫られているのが彼らである。彼らもうかうかそれに賛成してしまっていることが多いのだがーー。 (中略)  「教育爆発」は、階級という「悪」に代わるものとしてフランス革命の発見した「教育による社会上昇」が二世紀に足らずして早くもゆきづまった結果なのか、過渡的な一事象かわからないが、社会主義国にも早くみられる現象である。どうやら人類はまだ第三の途を発見していないようだ。そしてすくなくともわが国にみる限り、ただ、皆が高学歴をめざすが故に問題なのではない。問題は教師も青少年も家族すらも、教育の内容や受験の意義、学校選択が、一つの人生選択にふさわしい重みをもはや感じられなくなってきていることである。このような空疎化とともに、学校はただ、脅迫的なるものの網をすっぽり児童と思春期の者にかぶせる場になりつつある。もとより、強迫的なものは人間の内に潜んでいるが、それを誘惑して明るみに出し、賞揚し、磨きをかける大道場が学校というものの大きな側面である。(44-48頁) 「ある教育の帰結」 ※ 本稿は特集「学ぶこと、生きること」(「教育と医学」一九七九年八月号、慶応通信)の一部である。  発達期は、現在の課題に応答しながら別に成長のための分をとっておかねばな...

中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫

中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 【内容紹介】  人生にとって始まりは重要であり、その後の行路に無視できない影響を及ぼす。精神科医として、患者の治療を通して時代を眺めてきた著者は「高度成長は終わったが、そのバランスシートはまだ書かれていない。しかし、その中に損失として自然破壊とともに、青春期あるいは児童期の破壊を記してほしいものである。われわれは大量の緑とともに大量の青春を失ったといえなくもない」と指摘している。思春期の難しさを丁寧に描き出した作品を中心に、豊かな視野と透徹した洞察を物語る「サラリーマン労働」「病跡学と時代精神」「サリヴァンの統合失調症論」などを収める。  遅読を心がけながら読んだのですが、平易な日本語で書かれていますので、どうしても先を急いでしまいます。じゅうぶんにゆっくり読んだ、という実感がありません。  中井久夫コレクション『「思春期を考える」ことについて』ちくま学芸文庫 の「教育と精神衛生」について書かれた第一章を読み終えました。(2016/02/05) 1 「思春期における精神病および類似状態」 「思春期患者とその治療者」 「ある教育の帰結」 「精神科医からみた学校精神衛生」 「『思春期を考える』ことについて」 「学校精神衛生ーー世界精神衛生連盟会議、マニラ、一九八一年の報告」 「教育と精神衛生」  身につまされながら読ませていただきました。教育という名の下に、何の反省もなく、至極当然のように行われていることが、いかに子どもたちを追い詰め、病の温床になっているかに思いをいたしたとき、いたたまれない気がいたします。  中学生を対象とした少人数制の学習塾を営んでおります。私が描いている塾の姿と、子どもたちや多くの保護者の方々が求めている塾の姿との間には懸隔があります。  子どもたちのこころに気くばりのできる塾、という初心はいつしかどこへやら、しだいに勉強に、受験へと子どもたちを駆り立てるようになってきている自分、加害者に組するようになっている自分を感じています。ときに二律は背反することはわきまえているつもりです。河合隼雄は、『こころの処方箋』新潮文庫 に、「ふたつよいことさてないものよ」と書かれています。また、「ふたつわるいこともさてないものよ」とも書かれています。これを機に、私のスタンスとして、「塾と精神衛...

「いまなぜ中井久夫なのか」

「いまなぜ中井久夫なのか」   精神医学とは縁もゆかりもない一般読者である私が、「いまなぜ中井久夫なのか」といえば、それは、中井久夫先生の患者さんに対する眼差しであり、姿勢であって、患者さんご本人やそのご家族、また医師や看護師、さらには職員の方々への「言葉」です。お心配りであってご配慮です。文章であってその巧みな比喩表現です。そして何よりも、中井久夫先生の著書を拝読していると、気持ちが楽になります。  須賀敦子さんの「トリエステの坂道」が読みたくて、中央図書館に行き、女性司書の方を目にし、中井久夫先生のことを思い出し、何を期待するわけでもなく検索すると、リクエストしておいた中井久夫先生の書籍が、思いがずも 32冊も入っており、一番のお目当てだった『中井久夫の臨床作法 』を借りてきて早速読んでいます。偶然の出会いを大切にしています。私の頭の片隅にはいつもコンステレートという言葉があります。  私は、2015/08/06 に 「聴くということ」 のなかで、下記のように書きました。 「今仮に映画やテレビ・ラジオドラマ等のシナリオ、演劇の台本等々の書き言葉(台詞)を「言語」。声色や顔の表情・身振り手振り等を含めた、書き言葉(台詞)が実際に発語された際の話し言葉を「ことば」とするならば、「言語」と「ことば」の関係は、音楽でいう「楽譜」と「演奏」の関係とよく似ている。「演奏」は一回限りのものであり、指揮者の数だけ解釈があり、演奏者の数だけ曲がある。「ことば」は意味の乗り物であると同時に感情の乗り物でもあり、「言語」が「ことば」の形をとったとき、そこには無数の感情の表出がある。  中井久夫先生の「話しことば」に思いを巡らすことがあります。中井久夫先生の「ことば」をお聴きしたいな、と思うことがよくあります。  しばらくの間、中井久夫著の本を読みたいと思っています。私の「中井久夫読書週間」です。偶然の賜物です。  なお、ブログのタイトルは、白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 から拝借いたしまし た。

中井久夫「マッサージ師はお客さんの病気をいただくのか、命が短いのです」

中井久夫「マッサージ師はお客さんの病気をいただくのか、命が短いのです」 2016/02/18 中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院  マッサージ師にかかっている医療者がじつに多いですね。ただ、これは相性が重要です。お客さんが即効性を要求するからでしょうが、一般にマッサージが強すぎます。私の名古屋時代のマッサージ師はじつに私に合っていて、「今日はむずかしい患者を診てこられましたね」などと当てたものです。施術の後にぬるいお茶を一杯くださって、ちょっと離れた畳部屋で十五分寝かせてくれました。わかっている人だなと思いました。マッサージでは一般にノドが渇きますから。また、終わってすぐお金を払って出て行くと、それまでのくつろぎが吹き飛びます。特に人ごみの中へ戻るのでは。  私がむずかしい患者と連日取り組んでいたときですが、この方は、一回マッサージをした後、三週間休まれました。再開してから「センセイの身体をもんでから何か妙な感じがして働けなくなりました」と言われました。  一年後に亡くなられて息子さんの代になりましたが、息子さんは「私たちはお客さんの病気をいただくのか、命が短いのです。父のようなことはできません」と言われ、そのとおりの施術でした。  これは、患者の自己身体イメージと実際の身体を測る研究のきっかけにもなりました。 (中略)  ところが、論文を二、三書いただけでこの研究を切り上げたのは、研究者が先のマッサージ師と同じ反応を起こして診療にも日常生活にも差し支えるに至ったからです。タフな男を選んだのですが。いや、タフだったから、かえってよくなかったのかもしれません。(114頁)