TWEET「執着を捨てる」

 北風が吹きはじめたころ,「煤払い」を終えた。その後 専ら,「捨てる」ことに専念している。
「捨てる」とは執着を「捨てる」ということである。苦渋の一巡目、逡巡の二巡目、三巡目の未練。少しずつ歩を進めるしかないように感じている。目標は「人・もの・こと」からの解放である。


荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫
2022/02/22
「ぬす人に取り残されし窓の月」
人はこれほど「無一物」になれるものか。
良寛はこの期におよんでも風流である。
 良寛に印可を与えた、備中玉島 円通寺の大忍国仙和尚をして「大愚良寛」といわしめた所以の一端がうかがえよう。
「一九九四年にパリの地下鉄内に世界各国の詩人の詩が掲示された。その時、この句が人気投票で一位に選ばれたというから」(138頁)、国際派である。


辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社
2021/12/31
「道後温泉のすぐそば」にある、「法厳寺(ほうごんじ)」は、「『捨て聖(ひじり)』といわれた時(じ)宗の祖、一遍上人(しょうにん)の生まれたところといわれている。詩人、坂村真民(しんみん)さんは『四国が生んだ二人の偉大な宗教家』として、空海と一遍をあげている。空海がたくさんの文章や書を残したのに対して、一遍は自分の記録をなにもかも捨てている。五十一歳で没するまで、生涯、旅びとだった。念仏勧進(かんじん)をいのちとし、破れ衣を着て、踊り念仏をひろめた。
(中略)
 一遍の言葉は厳しい。「衣裳を求(もとめ)かざるは畜生道の業(ごう)なり。食物をむさぼりもとむるは餓鬼道の業なり。住所をかまふるは地獄道の業なり。しかれば、三悪道をはなれんと欲せば、衣食住をはなれるべきなり」
(中略)
 一遍像を見ながら、歩き遍路の大々先達(せんだつ)がここにこそいると思った。
 一遍は『はねばはね、踊らば踊れ」といって、歓びの踊りを踊りながら、念仏を唱えた」(259-260頁)
「畳一畳しきぬれば / 狭(せばし)とおもふ事もなし」( 205頁)
「よろづ生(いき)としいけるもの、山河草木、ふく風たつ浪の音までも、念仏ならずといふことなし」(252頁)


 一遍上人に倣うことはとてもできないが、捨てるという主体も捨ててこそ、他力の本願があると思う。