「岡 潔『世間と交渉を持たない』に事よせて」
岡 潔・森田真生 編『数学する人生』新潮文庫
「私は毎日、大学の研究室で学生たちに数学の講義をし、自分の研究をしているものである。研究室は組織をもたぬ、私単独のものであるが、一つだけ規約を置いている。それは「世間をもち込むな」ということである。 私は世間と交渉を持つこと、毀誉褒貶(きよほうへん)に一喜一憂することを極力避ける。
(中略)
最近は特に研究の方が忙しくなってきたので、テレビ、ラジオ、新聞なども目や耳から遠ざけている。
(中略)
しばらく前、プッツリとテレビを見るのをやめてしまった。すると、とても気持ちがよい。まるで春先の気分のようで、浮き浮きした気持である。おかしなこともあるものだと思ったが、かりに『解放された気持をよろこんでいるのかもしれぬ』と名付けてみた」(230-231頁)
私も「テレビ、ラジオ、新聞なども目や耳から遠ざけている」が、時折「NHK ONE ニュース 防災(アプリ)」の大見出しは見る。
しかし、「世間と交渉を持つこと、毀誉褒貶に一喜一憂することを極力避ける」となると少し怪しくなる。
そして、「世間をもち込むな」については、絶望の淵に立たされている。
世間が私を追ってくる。ときに世間に追いつかれ、追い越され、世間が先、私が後という凄惨なことが起こる。世間は仮借なく執拗である。
兼好,島内裕子校訂訳『徒然草』ちくま文庫
「日、暮れ、道、遠し。我が生(しやふ)、既に蹉陀(さだ)たり。諸縁を放下(ほうげ)すべき時なり」
また、小林秀雄の随筆で知った 「陸沈 」。水に沈むのはやさしいが、水なき陸に沈むのはむつかしい。
「我が生、既に蹉陀たり」、陸に沈むしかないだろう。
何事も、辺土は賤(いや)しく頑なであり、「あまざかる鄙(ひな)」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりである。
「ざっくばらんが大きらい」(梅棹忠夫)