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TWEET「内なる叫び」

  今日も少年の叫び声を聞いた。  夕闇どきになるときまって、小学校低学年の男の子の叫び声がする。 意味を伴わない叫びである。  彼の内の衝動が少年を突き動かす。止めることは得策ではない。  ひとしきり叫び終えると、ドアを開け、またドアを閉める音がする。  ただ、これだけの話である。

TWEET「音楽とこの絵画との出会い」

 2025年10月21日に、 「世界の一流ピアニストへの登竜門として知られる「ショパン国際ピアノコンクール」で東京都出身の桑原志織さん(30)が4位に入賞しました」 というニュースを目にした。  そして、その記事には、 「桑原志織さんを6歳から15歳ごろまで指導したピアノ教室の院長、斎藤恵美子さん」の、 「音色の豊かさについてはほかの誰にも負けておらず心を奪われました」 というコメントが付されていた。 「音色の豊かさ」とは、一つ一つの音が珠玉の輝きを湛えているということだろう。粒のそろった美しい音色のピアノ曲を何曲か知っているが、それは門外漢の私にもはっきりと自覚される。  音に色があるならば、絵に音があっても然るべきであろう。 「最後まで愛した画家ルオー」 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 「ためらいも繰り返しもない素早い筆は、(「パレットの代りの楕円形の大皿」の)表にピエロを仕上げると、そのまま速度も落さず、裏側に廻り、あっと言う間に花を描き終える、その断絶を知らぬ運動に導かれて、私は皿をひっくり返すようである。 (中略)  叩きつけられた絵具が作る斑点と、顔料を分厚く盛り上げて引かれる描線との対照は、いかにも荒々しく烈しいものだが、其処に、極めて繊細な和音が発生し、皿全体が鳴るのに気附いて驚く。これに聞き入っていると、こういう美しい物が生れて来る、創り出されて来る、その源泉とも言うべきものに向って誘われて行くような、一種の感覚を覚えるのである。〈ルオーの事〉(52頁)  音調という言葉があり、色調という言葉があるが、絵画の世界に「音色」に相当する言葉は見当たらない。色調とは適所に配され響き合う、一つ一つの色の調和のことであり、その高次の調和が、音楽を奏でる。  音楽とこの絵画との出会いはおもしろい。  が、残念なことに、私は絵画から音楽が「鳴る」のを耳にしたことがない。  圧倒的な耳の訓練、眼の訓練の不足である。

TWEET「夜もすがら」

 2025/10/06「浜名湖サービスエリア」に向かった。  名月や池をめぐりて夜もすがら  芭蕉 「夜もすがら」, 湖上を渡る名月を望んでいたかった。  皆既月食の際には、欠け満ちする明月に心穏やかではなかったが、今回は心安らけくたたずんでいられるように思った。  到着すると空は厚い雲に覆われ、時折 小雨が降った。が、湖上に広がる闇夜は美しかった。  24時過ぎから 30分ほど、雲間から名月が望まれた。明るい 月だった。神々しかった。  いつ雲隠れしてしまうのやら、心もとなく、今回も心穏やかではなかった。  満足し、その後間もなくして帰路についた。

TWEET「秋は夕暮れ」

  いま 「道の駅 潮見坂(静岡県湖西市)」にいる。   台風の余波か、遠州灘(太平洋)は、いつになく荒れている。  砕ける波頭の白さが、潮の飛沫が美しい。  間もなく陽が沈む。  空が、雲が、海が朱に染まっている。

TWEET「平衡を保つ」

 以来、叔母の認知症の進行とともにあった。そして、いまもその最中にある。叔母の姿は痛々しく、切ない。  そんな折、2025/09/07,08 に 浜名湖サービスエリアで、湖上を渡りながら繰り広げられた 皆既月食を見た。神秘的だった。2021/11/19、高野山 金剛峯寺前の駐車場で見て以来のことだった。  いまこうして書くことで、平衡を保っている。

TWEET「M」

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 静岡市の (当地から120km ほど離れた) 「應縁山 普濟寺」 さんにある、従兄弟のお墓参りに行ってきました。はじめての墓参でした。 「普濟寺」さんは 道元禅師開祖の、由緒ある曹洞宗の寺院で、決して大きなお寺ではありませんが、清楚 で好感のもてる名刹でした。 「樹木葬」  いつまでも 去り難く、ついつい長居をしてしまいました。  また 帰路「浜名湖 SA」で、湖面をわたってくる風に吹かれ、ぼんやりしていました。

TWEET「 “衝動買い” という美徳」

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2025/07/31 「THE NORTH FACE  ベクティブ タラバル ブリーズ (ユニセックス)」 が、今日の午前中に届いた。30% OFF の セール品である。 「ベクティブ タラバル ブリーズ」 「ベクティブ タラバル ブリーズ」  「日常生活からライトなアウトドアアクティビティまでサンダル感覚で履けるアウトドアスニーカーです」   「アッパーには、軽量かつ防護性が高い人工皮革とメッシュを組み合わせ、通気性を高めるスリットアッパーデザインを採用しています。ソールユニットに配置した、多方向への安定性と推進力をもたらす3D TPUプレートと、クッション性に優れるロッカー構造のEVAミッドソールが、歩行時のブレを抑えながら高い推進力を実現。アウトソールに採用したSURFACE CTRLは、さまざまな路面状況に優れたグリップ力で対応します」   「スムーズな着脱とフィット感の調整がしやすいクイックシューレースの末端にはマグネットコードエンドを採用し、ぶらつきを抑制。通気性とクッション性の高いインソールは、素足着用時の快適さを高めます」   「機能的で快適なライフスタイルを演出する一足です」  これだけの画像を見せられ、これほどの説明書きを読めば、衝動を抑えることは困難である。  想像していた以上に、機能的でスタイリッシュな一足である。  早速 素足で履いている。違和感なく、快適である。  処暑を過ぎたころ、初秋の湿原の散策に、自転車で 行こうと思っている。  ただ、アッパーの「人工皮革とメッシュ」と「 スリットアッパーデザイン」は、雨天候向きではないが、たとえば 防水透湿の 「finetrack」 のソックスを履けば、解決することである。 2025/08/05 「THE NORTH FAACE ホライズンハット (ユニセックス)」 が、今日の午前中に届いた。こちらは 33% OFF のセール品である。 「 ホライズンハット 」   「アウトドアシーンにマッチする日よけアイテムとして、THE NORTH FACEで高い人気を誇るホライズンハットです。UVケア(UPF15-30、紫外線カット率85%以上)機能をもち、頭囲にぐるりと配置したベンチレーションメッシュパネルで通気性を確保。取り外し可能なあごストラップ付き。薄くて軽く...

TWEET「二人きりの慰霊の山行」

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  「二人きりの慰霊の山行」  今日は、広島に原爆が投下されてから 80 年になる節目の年です。   この猛暑のなか、 叔父と叔母が、神石山(静岡県湖西連峰)に、二人きりの慰霊の山行に出かけました。 「ラクダ岩」  身内のこととはいえ、やはり尊く、尊敬の念を抱いています。 追伸: 「二人きりの祈りの山行」  長崎に原爆が投下され 80 年、最後の被爆地になることを祈っての 二人きりの山行です。 「ラクダ岩」  今日も酷暑でした。 追伸_02: 「二人きりの追悼と祈願の山行」 「終戦の日」に、戦没者の追悼と恒久の平和を祈願しての 二人きりの山行です。 「ラクダ岩」   今日も猛暑でした。

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され、80年の節目の年 になります。  原爆はいまだに、 “抑止力としての核 ” として使用され続けています。  私は、 “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治に、キリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は、所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。汎用性が高いとは、専門性に欠け、空手で虚ろ、という意味です。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作は、いまなお新しく、身につまされます。「永遠の今」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っております。

TWEET「慶祝!甲子園出場」

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  2025/07/27,「第107回全 国高等学校野球選手権愛知大会」において、豊橋中央高等学校が 初優勝しました。市内の高校が夏の甲子園に出場するのは、豊橋商業高等学校 以来 74年ぶりの快挙です。   くじ運がよければ、Best 8 までは駒を進めることができますが、そこには “私学4強”(東邦、愛工大名電、中京大中京、享栄) が顔をそろえ、前にはだかっ ているのが例年のことです。今年も “私学4強” が勢ぞろいしています。愛工大名電、東邦 を敗っての甲子園出場ですから、立派です。 「慶祝!甲子園出場」   愛知県は、政治・経済はもちろん 何ごとにつけ、 “西高東低”といわれています。当地はその東の端に位置していますから、推して知るべし、ということです。  斜陽の街の 大きな話題です。  豊橋中央高等学校の甲子園でのご活躍をお祈りしております。  この作文は、メールでのお問い合わせの返信に、手を入れたものです。  蚊帳の外の出来事でしたが、いまではすっかり “豊橋中央 通” になってしまいました。

TWEET「夏草や」

 昨日 屋敷内の夏草を 一通り取り終え、そして今日の夕方、45L のごみ袋 一つと、30Lのごみ袋 五つをゴミステーションへ出しにいった。   容量削減のために、取った草は所々に集めて積んでおいた。一日 日ざらしにすると干し草になり、懐かしい匂いがした。  何日間かにわたって、夕方 6 時30分 前後から薄明時までの、およそ1時間あまりを、草取りに費やした。早朝の草取りは、夏の清々しい朝がだいなしになるようで、1日で止めた。  草取りは、雨後がいいとされているが、酷暑の、夏の日照り雑草は、へたっていて、草を取るには最適か、と思っている。  蚊は  30℃ を超える日中の暑い時間には活動を停止する。蚊が活動をしはじめる時間帯に、私は草取りをしていたことになる。が、老齢のため、さして苦にはならなかった。蚊にも相手にされない年齢になった。蚊よけには、加齢臭が効果覿面である。  夏草には遠慮も容赦もなく、間もなく次の一巡が待っている。 以下、 TWEET「草むしり」 です。ご参考まで。

TWEET「TUNAMI」

 ロシア・カムチャツカ半島沖で、日本時間 8時25分ころ発生した、マグニチュード 8.8 の地震で、太平洋岸の広い地域 で、津波警報が発令された。  今日は “中潮” でした。ちょうど干潮と満潮の中ほどの時間帯に、豊川(とよがわ)にかかる “豊橋(とよはし)” を車で通りました。1m ほど水かさが増しているような気がしました。しかし、台風時等のように、旧堤防から水があふれるほどのものではなく、ひとまず 安心して帰宅しました。  海水が、豊川をさかのぼったのは、はじめてのことです。  日本は、地震といい、「TUNAMI」といい、台風といい、災害列島です。昨今では、気候変動による被害、また常態化した人事の腐敗もみられ、被災列島 日本です。

TWEET「動詞_あたける」

『 精選版 日本国語大辞典 第二版』 「あた・ける」 〘自カ下一〙 (「あだける」とも) ①あばれさわぐ。当たり散らす。乱暴する。 *歌舞伎・兵根元曾我(1697)二 「あれあの如く鼠があたけます」 ②たわむれる。おどける。 *物類称呼(1775)五 「ざれたはふるる事を〈略〉陸奥にて、あだけるといふ」  いとけない子どもの悪戯、といった語感がある。昨今の厳しい天候、見苦しい人事には使わない語であろう。  2021/04/30、 macOS版「辞書 by 物書堂(ものかきどう)」 が、「 Mac App Store」にてリリースされた。私は、一昨日知った。Mac で使用することは諦めきっていたので、気にも留めていなかった。お粗末だった。  その記念としての「動詞_あたける」 である。

TWEET「涼をとる」

 真夏日が続いている。  日がな エアコンの冷気に包まれている。 “涼をとる” といった趣 も従容としたところもなく味気ない。が、そんな悠長なことをいっている場合ではない。  旧軽井沢の別荘にいると思うことにした。土地柄は人を変える。有島武郎、室生犀星、芥川龍之介、川端康成、堀辰雄、遠藤周作らの錚々たる文豪たちの文章にあやかれればと、たいそうなことを考えてている。

TWEET「年寄りあつかい」

  ここ数年 何かと “年寄りあつかい” されるようになった。易しい言葉づかい、優しい応接が多くなった。余所目にはもう “ 年寄り ” に映るようで、たび重なれば食傷気味にもなる。  が、 いまでは、“易しさ”、 “ 優しさ” に触れ 、心地よさを感じるようになったから、本物である。  馬齢を重ね、老醜をさらすのも先々のことではなく、 遅かれ早かれ そっぽを向かれるときがくることは覚悟している。

TWEET「相談者として」

 上手に聴いていただくと、体が明るく、伸びやかになる。  精神科受診時の話である。 「聴く」ということについては、いままで随分と読み、また書いてきたが、相談者としての立ち位置については、考えたことがなかった。  15分前後と短い面接時間で、要領を得た話をするには、事前の準備が必要である。漫然とした話に終始すれば、せっかくの面接が診察・問診に転落してしまう。  要領を得た話とは、こころの深奥に秘めた内容を話題にすることである。 “死と再生の物語” であるから、恐怖をともなう。が、医師と二人で紡ぐ物語である、という安心感がある。  昨日の受診は、私が午前中最後の患者だった。N 先生はいつになく静かで、落ち着いていた。いい時間を過ごすことができ、ありがたかった。

TWEET「草むしり」

 検索すると、「除草」と「草取り」は同義語で、「草むしり」は草を根から抜き取ること、「草刈り」は道具を使って雑草を刈ること、と意外なことが分かった。  私は「草むしり」をしようとしているが、なかなか根こそぎに、とはいかない。  除草剤はまきたくない。地中の微生物が絶え、土が死んでしまう、とはいえ、今春 土の上にシートを敷きつめ、その上に玉砂利を敷くという蛮行に及んだ。が、シートの下のことは多少 気になっている 。  シートの上に生えた草は、気持ちよく根こそぎ抜ける。その網状に張りめぐらされた “ひげ根” を見ると、「草むしり」は到底かなわないと思う。  「草取り」をしながら屋敷内を一巡すると、さらに もう一巡 促される。 「草取り」は、 際限のない作業である。適当で、 いい加減な、が「草取り」の秘訣か、と思っている。  

TWEET「ほんの手遊びとはいえ」

 過去3か月間に、 木坂 涼「魚(うお)と空」の閲覧が、5101 回あった。また、過去30日間に、 3049 回の閲覧があった。そして、いまもなお読まれ続けている。 2018/06/26 木坂 涼「魚(うお)と空」 光村図書出版『国語 1』(70-71頁) 急降下。 鳥が 翼(つばさ)で 海を打つ。 鳥は もう摑(つか)んでいる。 波は 海のやぶれ目を ごまかしている 魚は 海を脱(ぬ)けでる 初めて そして たった一度だけ。 空の高見(たかみ)で もうひとつの空へ のまれる  「海のやぶれ目」の意味が解らない子どもたちが結構います。「もうひとつの空」とは、「彼岸」という意味なのでしょうか。  釣り上げた「ちびっこ(ブラック)バス君」を宙づりにすると、「キョトンとした顔つき」をしてぶら下がっていることがあります。はじめてふれた世界に何が起きたのかわからないのでしょう。「ちびっ子バス君」たちにとっては、手荒い洗礼です。水面とは、水中と空中を分かつ一枚のフィルムです。釣りとは、一枚のフィルムをはさんでの攻防です。 2018/09/03 「詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』の閲覧数について」  2018/06/26 に、手遊びに書いた、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」 の閲覧数が 100を越え、意外に思っています。   光村図書出版『国語 1』からの引用です。中学生諸君の閲覧なのでしょうか。毎日のように 読まれています。 過去 閲覧数の最も 多いブログは、 「小林秀雄が解釈する、本居宣長『敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花』」(2017/04/02) で、 総閲覧総数 32348 と、他を圧倒している。第2位が急伸の、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」( 2018/06/26) で、 総閲覧総数 9944 .。第3位が、 小林秀雄「中原中也の思い出」(2017/08/110) で、 総閲覧数 1859 。第4位が同じく小林秀雄の、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」(2017/08/11) で、 総閲覧数 1821  となっている。  閲覧数上位のブログを、つらつらと眺めていると、硬派なブログで占められていることが見て取れる。私のブログ中の “古典” である。  しかし、「 詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』」だけは解せない。ほんの “ 手遊び ”...

TWEET「山野草の盗掘」

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「コチョウラン」 「ツリガネソウ」  昨日 叔父から、鉢植えの「コチョウラン」と地植えの「ツリガネソウ」の画像が届けられた。  ゆかしさに心が和む。    希少種の多い「山野草の盗掘」はいただけないが、「花盗人に罪はなし」には一理ある。  叔父の庭に咲く「コチョウラン」と「ツリガネソウ」の出自が気になる。

TWEET「頭ごしに」

 叔母の介護に、従姉妹たちの頭ごしに携わった。もちろん叔父の依頼・了解のもとだったが、終始 息苦しさを感じていた。  “老年精神科” の O先生からお電話をいただいた。 「甥・姪が介護に関わって、上手くいった例はありません。叔父・叔母が自宅に来たとき、ガス抜きに、話を聞いてあげる程度にしてください。あなたがまいってしまいますよ」  介護は家族皆の納得のもとで、協力して行われるのが本来の姿であろう。  いったんは、私の手から家族のもとへ移ったかにみえた介護も、依然 私の内で燻っている。  「頭ごしに」は「頭ごなしに」であり続けている。

TWEET「なによりも日本語です」

  “介護” にことよせて。  活字を読み理解する習慣さえあれば、例えば私が送った、適当な書物の内容を、容易に共有することができる。もしそうでなければ、簡潔に口頭で伝えるか、メールを書くしかない。いずれにしても言葉たらずである。  要は「なによりも日本語」である。  あるいは、「メディアリテラシー」。  「メディアリテラシー」とて、しょせんは「日本語」の範疇のことである。

TWEET「容赦無く、頑なで、執拗な」

 容赦無く、頑なで、執拗な方たちとのおつき合いは、避けたいものである。 が、介護に熱心な従姉妹たちのご依頼・ご相談ごととなれば、話は別である。  一つのご依頼・ご相談ごとが解決すれば、またたく間に 私は置き去りにされる。この落差に、私はしばしの間 抑うつ状態に陥る。そして、次のご依頼・ご相談ごとが舞い込む。  私は口先の人であり、従姉妹は実際に介護をする人たちである。 「 容赦無く、頑なで、執拗な」は、熱意の表れである。  頑張りすぎないこと。  無理をしすぎないこと。  早めに音をあげ、周囲に助けを求めること。  私の従姉妹たちへの願いである。

TWEET「セツブンソウ」

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 叔父が、「YAMAP(アプリ)」に投稿している。  雨天時以外は夫婦連れ添って、主に「 湖西連峰( 静岡県西部 )」をトレッキングしている。  以下、2025/02/ 11 に撮影された「セツブンソウ」である。 「セツブンソウ」  シックな装いの「セツブンソウ」は上品である。叔父夫妻の性格にも似て、会心の一枚である。  そんな叔父が今日、81歳の誕生日を迎えた。

TWEET「令和7年1月2日」

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 午前中、叔父と叔母がお年賀の挨拶に来てくださった。  お年賀に、叔母に、 ◇ 安野光雅『御所の花』朝日新聞出版 を差し上げた。すると、 「牧野富太郎さんの本はありませんか? 」 と聞かれたので、 手元にあった、 ◇『芸術新潮 - 博士の愛したフローラ- 2023年7月号」 を渡した。2023/06/26 DちゃんとKさんの結婚式の一日を、「栂尾山・高山寺」で過ごした帰途、「くまざわ書店 京都ポルタ店(駅ナカ)」で買い、以来 積読してあった品だった。  その後、Amazon から、 ◇『牧野富太郎の植物図鑑』高知県立牧野植物園 ◇『牧野富太郎の植物画集』高知県立牧野植物園 をお送りした。楽しんでいただければ、という祈りにも似た願いからだった。  叔父へのお年玉として用意してあった日本酒、 ◇「久保田 千壽 純米吟醸」 を渡し忘れた。  帰り際、従兄弟の一周忌のお供えに、唐招提寺参観時( 2023/06/06 / 鑑真和上の命日) に購入した「天平香」のセットをあつらえた。  午後には、近所の方から、一枝(いっし)の 「山茶花」と、ふた枝の「 「チェリーセージ」 の花をいただいた。花瓶といった洒落たものもなく、醤油差しと小鉢に挿した。 春先に移植すれば根付きますよ、とのことだった。  突然 春が舞い込んできた。  生気に満ちている。  断章が続きます。 「山茶花 大和富士 」 「チェリーセージ」

「頌春」

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「バラ(エンブレスミチコ)」 安野光雅『御所の花』 朝日新聞出版 (69頁)