TWEET「かつ消えかつ結びて」
以来、事あるごとに「般若心経」を唱えている。いささか偏執狂的である。 口をついて出てくる経文は、「かつ消えかつ結びて」、時の流れ、 “いま”という刻を感じる。 捕らえどころのない “いま”を手中にするには、「般若心経」に沈潜するしかないだろう。沈潜するとは、「色こそ空なれ」,「空」となれ合う ことである。 私は、「かつ消えかつ結」ばれる経文の一音節を、聞くともなく聞いている。 そしてまた、2023/06/06(鑑真和上の命日)に唐招提寺の本堂で昌和した、いのちの生動の調べとでもいうべきリズムに身を委ねている。 「明の董其昌が『画禅室随筆』のなかで、「いわゆる宇宙、手に在るもの」というゆえんであろう。禅や念仏は、その場合手中に生動する宇宙・自然のいのち(無量寿)を呼吸するパイプにほかならない」(『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 8頁) わずか18日間の「般若心経」体験ではあるが、確かにこころに響いている。「いささか偏執狂的」であり続けることに意義がある、と思っている。 断片が続きます。