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最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして_02」

 2024/01/01 の能登半島地震後、以下のブログが、ぽつりぽつりと閲覧されるようになりました。情報を必要とされている、一人でも多くの皆様の目に留まることを願い、再掲いたします。 最相葉月「中井久夫『災害がほんとうに襲った時』 電子データの公開および無償頒布につきまして」 2021/01/17  1995年1月17日に発生した阪神・淡路大震災から26年が経ちました。「災害関連死」も含めて、6434人の方が亡くなられました。  中井久夫先生には、以下の著作があるのは承知していますが、そのままになっています。 ◇ 中井久夫『災害がほんとうに襲った時 ー 阪神淡路大震災50日間の記録』みすず書房 ◇ 中井久夫『復興の道なかばで ー 阪神淡路大震災一年の記録』みすず書房 負い目もあって検索していますと、 「阪神大震災のとき / 精神科医は何を考え、/ どのように行動したか」 「中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 電子データの公開および無償頒布につき まして(最相葉月)」 と題されたサイトに出会いました。 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin00.html 以下、 中井久夫「災害がほんとうに襲った時」 http://lnet.la.coocan.jp/shin/shin01.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/shinall.html http://lnet.la.coocan.jp/shin/mae.epub の無料頒布先です。 無料頒布は、 「まことに僭越と思いつつ無償配布のご提案を中井氏にいたしましたところ、「かまいません」と瞬時にご快諾いただきました。版元のみすず書房の担当編集者である守田省吾氏のご協力も得て、ここに公開させていただきます。一人でも多くの皆様に届きますよう、心当たりの方がおられましたらご案内いただけると幸いです。今、困難な任務に就いておられる皆様を心より応援いたしております。(2011年3月20日最相葉月)」 の経緯を経てなったものです。  26年目の今日、貴重な資料として大切に読ませていただきました。  震災でお亡くなりになられた方々のご冥福をお祈りしております。また、一刻も早い復興をご祈念しております。 本多勇夫

「永井荷風_破蓮」

 『曇天』 永井永光,水野恵美子,坂本真典『永井荷風 ひとり暮らしの贅沢』新潮社 「破れた蓮の葉はひからびた茎の上にゆらゆらと動く。長い茎は動く葉の重さに堪へず已に真中から折れてしまつたのも沢山ある。揺れては触合ふ破蓮(やれはす)の間からは、殆んど聞き取れぬ程低く弱い、然し云はれぬ情趣を含んだ響が伝へられる。」 (92頁) 荷風が見て取った、蕭条たる景色の美である。 以下、孫引きです。 「余韻が縹渺と存するから含蓄の趣を百世の後に伝ふるのであらう」(漱石『草枕』)

TWEET「インフルエンザ 蔓延の、兆候の報に接し」

 百閒先生に倣いて、玄関先の入り口に制札を貼ろうか、と考えている。 「予防接種を受けられたあなたへ 吾 保菌者との接触を好まず。 また、流行を追わず」 破蓮(やれはす)敬白 いかがなものであろうか?

TWEET「胡乱者」

  父の相続の手続きで、下地郵便局、豊橋信用金庫 下地支店、岡崎信用金庫 下地支店、小川会計事務所さんを、毎日のように詣でている。  日参すれば次第に顔見知りになる。見るほどに知るほどに、この頃では、胡乱者(うろんもの)でも見るかのような目線を感じている。胡乱者とは喜ばしいことだ。が、なぜか分からない。自覚症状はまったくない。  胡乱者とくれば、次は空者(うつけもの)か、と勇んでいる。  それにつけ、連日同じ町内巡りとは、あまりに哀しいお話である。

「とにかく一ケタ違った本多勝一_その2」

 父の相続の手続きで、昨年末来 毎日 数字を眺めている。「三ケタ区切り」の数字は「不合理」で、その都度 ケタ数を目で追うのは不都合である。「植民地的」であり、「愚挙」である。 以下、2015/08/29 のブログ、 「とにかく一ケタ違った本多勝一」 の改訂編です。 「四ケタで点を打つ運動」 ( 158-160頁) 本多勝一『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』朝日文庫 「ここでとりあげる『数字表記の際の点(コンマ)の打ち方』もまた、明白に不合理なまま強引な “慣習 ”として 一般化を押しつけられている例であろう。」 「たとえば 100,000,000 という数字表記を見て、もし一目で読める日本人がいれば、それは銀行マンや会計係のような、こういう表記になれた特別な職業の人とみてよいだろう。普通の人は、いちいちマルを数えないとわかりにくい。これでは何のために点を打ったのかわからなくなる。」 「なぜか。日本語は四ケタごとに(万、億、兆と)呼称単位が変わる万進法だからである。 」 「◆ 123,4567,8912,3456 例えば、「四ケタずつ」に区切られた上記の数字は、「123 兆  4567 億  8912 万  3456」と簡単に読むことができます。」 「なお、欧米は三ケタごとに「thousand(1,000)」,「million(1,000,000)」,「billion(1,000,000,000)」と呼称単位が変わる「千進法」ですから、「三ケタずつ」に区切られた下記の数字は、 ◆12,345,678,912 「12 billion 345 million 678 thousand 912」 と容易に読むことができます。」 「遠山啓(ひらく)氏(数学者)の言葉を借りれば、(中略)日本語は四ケタでないと不合理だし、使いにくい。三ケタ区切りは明治の欧化政策で直輸入したまま一般化したもので,物まねの典型といえます。」 「『植民地的三ケタ法』とも『 植民地的愚挙』とまでもいっています。」 ◆ 2015/08/15 本多勝一の著作で、いま 私の手元にあるのは、 ◇『日本語の作文技術』朝日文庫 ◇『山を考える』朝日文庫 ◇『カナダ=エスキモー』朝日文庫 ◇『植村直己の冒険』朝日文庫 ◇『北海道探検記』集英社文庫 の五冊の文庫本だけです。  では、私は「日本語の四ケタ区切り」について、

「老後無事」

 父の相続の手続きであたふたしている。年をまたぎ、その煩雑さの内に明け暮れしている。 Amazon に、 橘慶太『ぶっちゃけ相続「手続大全」 相続専門 YouTuber 税理士が「亡くなった後の全手続」をとことん詳しく教えます! 』ダイヤモンド社 を注文し、2024/01/08 に届いた。  多少の知識とわずかばかりの理解が役に立つ。  それにつけても思うのは、自らの老後のことばかりである。 「老後無事」 河上肇『閉戸閑詠』 捨て果てし身の なほもいのちのあるまヽに、 飢ゑ来ればすなはち食ひ、 渇き来ればすなはち飲み、 疲れ去ればすなはち眠る。 古人いふ無事是れ貴人。 羨む人は世になくも、 われはひとりわれを羨む (茨木のり子『詩のこころを読む』岩波ジュニア新書)  満ち足りた、自足した者の詩(うた)である。 白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁) 「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき」(125頁) 「生涯此の如く徒者に成り還らば豈(あに)徒(いたづら)なることあらんや」(「遺訓」 125-126頁)  喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。真理とは身辺にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。  良寛また然りであった。  私たちは、 行き着く先を、よくわきまえておく必要があると思う。    私ごとき者のために、人の手を煩わしたくない。死期を知りたいと思う。息をひき取ると同時に雲散し、霧消することを願っている。 以下、 「拝復 P教授様_河上肇『老後無事』」 「明恵上人における徒者(いたづらもの)」 です。