TWEET「病気療養中につき_07」
歩く際には(帯状疱疹による)痛みをともなうものの、我慢できる程度にまで回復した。しかし、軟膏を塗布するとき、塗り薬をつけたガーゼが、患部に触れると刺すような痛みが走る。
足元には、手の届くところに、
「浄瑠璃寺の九体佛」
「秋の長谷寺」
「東大寺三月堂」
「法隆寺ノート」
「渡岸寺の十一面観音像」
「東寺の講堂と龍安寺の石庭」
「鑑真和上坐像」
「日本の塔、異国の塔」
「水分神社の女神像」
「漆胡樽と破損仏」
「タジ・マハル」
「バーミアンの遺跡」
「扶余の旅、慶州の旅」
「飛鳥の石舞台」
「十一面観音の旅」
足元には、手の届くところに、
◇ 井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋
があるが、手を伸ばす気がしない。
があるが、手を伸ばす気がしない。
以下の、2022/12/25 に写した「目次」を見れば、私の処処での「美しきものとの出会い」、また美の体験が思い出される。
井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋
「目次」
「室生寺の五重塔」「浄瑠璃寺の九体佛」
「秋の長谷寺」
「東大寺三月堂」
「法隆寺ノート」
「渡岸寺の十一面観音像」
「東寺の講堂と龍安寺の石庭」
「鑑真和上坐像」
「日本の塔、異国の塔」
「水分神社の女神像」
「漆胡樽と破損仏」
「タジ・マハル」
「バーミアンの遺跡」
「扶余の旅、慶州の旅」
「飛鳥の石舞台」
「十一面観音の旅」
美は直覚されるが、よく見ることは難しい。たとえば、私が井上靖の文章を読み、また土門拳の写真を見るのは、私の眼には映らないものがみたいからである。しかし、土門拳の写真をよく見ることは難しい。
最後に付言しておけば、小林秀雄の文章はどんな媒体にもひけをとらない。それは自ら発明した文体によるものである。文章には力があることを知らされる。