「看護科を受験する Pさんへ_ご参考まで」

 下記、「自己の特性_文例集」からです。代筆した、代筆させられた作文ばかりです。「一分間程度」とは文字数にすると「300字程度」です。「頑張ります」「頑張りました」、「努力します」「努力しました」、「一生懸命」という言葉は、中学生の常套句です。どうしても避けたい言葉でしたが、最後の一文では使ってしまいました。八十あまりある「三分間自己PR文」のツギハギです。ほとんどがコピペです。

「2017年度 愛知県公立高校 推薦入試」
 面接会場で与えられたテーマについて、一分間程度で述べるというものでした。しかし、豊橋商業高校のように「一分間程度で自己の特性を述べてください」という高校もあったようです。面接会場での即興の一分間程度のスピーチはつらいですね。時間の経過もわかりませんし、表現力の差がはっきり出ますよね。しかし、推薦の合否の判断は違うところでなされると考えています。

◇ 各校の「推薦選抜等合格者数」が発表されました。
平成29年度愛知県公立高等学校(全日制課程)入学者選抜における一般選抜等の合格者数について
です。


「愛知県公立高校_推薦入試_自己の特性_文例集」
2017/03/10/TS高校
 中学校ではソフトテニス部に入っていました。中学最後の夏の大会では、目標にしていた東三大会に出場しました。初戦で負けてしまいましたが、最後まで諦めることなく集中してプレーできた最高の試合でした。
 貴校入学後もソフトテニス部に入部したいと思っています。県大会での上位入賞を目標に、常に向上心をもって日々の練習に取り組みたいと思っています。
 二年生からは、情報処理科に進み、プログラミングに関する知識と技能を学び、多くの情報処理能力を身につけ、できるだけたくさんの資格を取りたいと思っています。将来の夢は、優秀なプログラマーになり、自立した女性として社会に貢献することです。(282文字)

2017/03/10/H高校
 私は「かわきた健児太鼓」の一員として三年間活動してきました。
 体中を使って表現する和太鼓の演奏が好きです。また、演奏中の緊張感がとても好きです。そして何よりも、無心で太鼓を叩き終わった後の充実感や、演奏後にもったいないくらいの大きな拍手を頂いたときの喜びは何ものにもかえられません。
 小学校五年生のときに父が急逝しました。その際には、医師や看護師さんの父への献身的な姿を目のあたりにしました。尊い職業だと思いました。漠然として抱いていた看護への道が、確かな信念に変わりました。貴校で看護学を学び、確かな知識を身につけ、手厚い看護、行き届いた看護のできる看護師になることが私の夢です。(289文字)

2017/03/10/Y高校
 貴校入学後は、大学進学を目指し、大学受験に必要な学力を身につけたいと思っています。大学での専攻分野はまだ決めていませんが、将来の夢は、確かな専門知識と豊かな教養を身につけた自立した女性として社会に貢献することです。
 中学校ではソフトテニス部に入っていました。中学校最後の夏の大会では、不本意な結果に終わり、悔しい思いをしましたが、テニスを愛する気持ちにいまも変わりはありません。貴校入学後もソフトテニス部に入部したいと思っています。県大会での上位入賞を目標に、常に向上心をもって日々の練習に取り組み、完全燃焼したいと思っています。
 文武両道・自主自立を心がけ、努力だけは決して惜しまないつもりですので、よろしくお願いいたします。(312文字)

以下、
「愛知県公立高校_推薦入試_三分間自己PR文編選集」
です。


「看護できない患者はいない」
 看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ。
 病気の診断がつく患者も,思うほど多くない。診断がつかないとき,医者は困る。あせる。あせらないほうがよいと思うが,やはり,あせる。しかし,看護は,診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」──看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際,医者の治療行為はよく遅れるが,看護は病院に患者が足を踏み入れた,そのときからもう始まっている。
(2頁)

『中井久夫の臨床作法』日本評論社
2015/09/09 に出版されたばかりのムックです。
「精神科医・中井久夫が患者と家族に接する流儀は、絶望の淵にある人びとの治療への士気を高め、「希望」を処方することだった──その卓越した治療観から学んだ人びとによる中井流対人作法のエッセイ決定版!」


◇ 以下、「エントリーシート_05」です。
◇ 2015年 / N大学・看護学部・看護学科
 母が勤める病院の師長さんから一枚のコピーを頂きました。高校3年生の夏のことでした。「医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。」中井久夫先生の『看護のための精神医学』の冒頭部分のコピーでした。漠然として抱いていた看護への道が、確かな信念に変わりました。説明会にお邪魔させて頂いた際には、新設される看護学部に寄せる先生方の情熱を感じました。時代が求める「国際看護学」や数々の「強化プログラム」、「終末期看護学」の受講等々、あれもこれもという欲張りな夢を描いています。N大学 看護学部 看護学科でなければ決してかなわない贅沢な希望を抱いています。

◇ 自己PR(大学に入学するまで努力してきたこと)について記入してください。これまでの学校内外における活動(クラブ活動、生徒会活動、ボランティア活動など)のなかで、あなたが果たした役割や感じたこと、資格取得、特技を身につけるなかで学んだこと、努力したことなどについて記入してください。
 自主活動部で活動していました。私学助成を求め、県議会議員さんたちを前に1000人の仲間達とともに群舞を披露しました。真夏の暑い盛りにリヤカーを引きながらゴミ拾いをしました
。8時間に及ぶ行程でした。私学助成のための1億円募金にも参加しました。休日には半年間 街頭で募金への協力を呼びかけました。1億円をゆうに越える募金が集まり「善意」と「絆」を肌身で感じました。豊橋市主催の「海外派遣」にも参加させて頂きました。アメリカのトリード市で2週間のホームステイを経験しました。貴重な体験でした。悔いのない3年間でした。充実した高校生活でした。


中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」
2015/08/10
中井久夫先生のいずれかの書物の中での言葉です、と断言できるのですが…。
◇ 中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院
のなかに書かれていたような気がしてならないのですが…。インターネットで検索しても出てきません。わかりしだいお伝えいたします。
 五冊の『こんなとき私はどうしてきたか』を購入しましたが、今私の手元には一冊もありません。残されているのは Amazon の購入履歴ばかりです。学習塾をはじめてから、お貸しするやら差し上げるやらを繰り返しているうちに、私の書籍はすっかり散逸してしまいました。馬鹿なことをしたものだ、といまになって後悔しています。
 福岡伸一さんの『生物と無生物の間』講談社現代新書 は、Amazon から九冊を購入しています。書店で購入したものも合わせると十数冊の『生物と無生物の間』を購入したことになります。もちろん私の手元には一冊もありません。結構な金額になります。出るのはため息ばかりです。
『生物と無生物のあいだ』は 2007/05/18 に出版されました。私が『日経BP』の書評欄を見て、買いあさり始めたのが 2007/06/25 のことです。
 そして、福岡伸一さんは、
2007年には【第29回サントリー学芸賞<社会・風俗部門>】
を受賞され、
2008年には【第1回新書大賞】
を受賞されました。
 そして、また幾星霜が過ぎ、Amazon の履歴の最後には 2015/05/15 の日付が付されています。
 我ながらあきれるばかりです。


中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」の行方
2015/08/10
 やはり、中井久夫『こんなとき私はどうしてきたか』医学書院 (200頁)に書かれていました。中井久夫先生はその著書『こんなとき私はどうしてきたか』のインタビュー記事の中で、
 「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね。」
とおっしゃられています。そして、この言葉を最後にこのインタビュー記事は終わっています。

◇「こんなこと言うでしょ?」の一文には「?」が付されています。
◇「年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる」って。
◇「まあ『それくらいのこと』は『私も言える』『かもしれない』『ですけどね。』」
「年を取ってくると」、「病気」の一々や「病人」の一々がわからなくても「なぜか患者さんはよくなる」と中井先生はおっしゃられています。
が、いったい、
「なぜ」
「患者さんはよくなる」のでしょうか。
「中井久夫という全体」が「全身全霊」を傾けて、患者さんの「つらさ」「悲しみ」「苦しみ」のまるごとを、そのままに受け容れているから、「患者さんはよくなる」のでしょうか。大切したい言葉です。このことにつきましては、「思いついた分」だけ、またの機会に書かせていただきたいと思っております。急ぐ必要はないと思っています。
追伸:「何もしないから治る」のかもしれません。が、「何もしない」ことは一大事です。
追記:河合隼雄さんは、京都大学の最終講義で、
「余計なことをしない、が心はかかわる」
とおっしゃられています。
河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫

講義名は、「コンステレーション ー 京都大学最終講義」でした。


中井久夫「なぜか患者さんはよくなる」ことの因るところ
2015/08/22
「こんなこと言うでしょ?『若いときは病気はわかるけど病人はわからない。中年くらいになってくると病人がわかってくる。年を取ってくると、病気も病人もわからないけど、なぜか患者さんはよくなる』って。まあそれくらいのことは私も言えるかもしれないですけどね。」

◇茂木健一郎 / 江村哲二
江村 音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、全然テクニックがないらしい。でもそれでいいんだと言う。「テクニックなんて全く持ってない。ただハートがすばらしい。あの人が来るだけで、あのハートに酔っちゃうんだ」と言っていました。
茂木 バーンスタインについては同じような話を僕も聞いたことがある。前に立つだけで音楽が変わっちゃうって言いますね。
江村 あの人が出てくると棒なんてものは、はっきり言っていらないんだって(笑)。
茂木 江村さんのご友人の大野和士さんも、先日私が司会をしているNHKの番組( 『プロフェッショナル 仕事の流儀』)に出られたときに、「最後は指揮者は振らなくていいんだ。究極は、じいっと彫像のようにそこにいるだけで音楽が変わるということが指揮者の理想なんだ」と言っていました。(四八-四九頁)

祈!ご健闘!!
GOOD LUCK!
FROM HONDA WITH LOVE.