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「特別展『南都仏画』,東大寺,そして唐招提寺,また薬師寺」

1泊2日の予定でしたが2泊し、3日目には「唐招提寺」と「薬師寺」を参拝しました。  「奈良国立博物館」 特別展「南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー」 今回は「後期展」を参拝・拝観した。 展覧は8つの章に分かれていた。 「第1章:法隆寺金堂壁画 ー 日本仏画の黎明」 「第2章:天平の彩り」 「第3章:南都の平安仏画」 「第4章:追憶の天平仏」 「第5章:内山永久寺 ー 南都仏師・絵仏師の競演」 「第6章:南都仏教の復興と絵所」 「第7章:春日曼荼羅と神々の絵画」 「第8章:よみがえる奈良・天平の美」 前回( 2026/08/01)の「前期展」 は1日では間に合わず、今回は2日かけて参拝・拝観した。 仏画にしろ仏像にしろ、参拝・拝観するには、それぞれに見合った立ち位置がある。 それ以上近づいて、細部をあれこれうかがうのは本来の姿ではなく、礼を欠くような気がしてならなかった。 今回は美術品や工芸品の展覧ではない。 祈りの対象としての「南都仏画」である。 心がけだけは立派だった。 2026/09/03 06:40豊橋発、07:55京都着「こだま」乗車 「奈良国立博物館」 特別展「南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー」 「第1章:法隆寺金堂壁画 ー 日本仏画の黎明」 ◇「3-2 法隆寺金堂壁画第6号壁 模写 入江波光ほか筆 奈良 法隆寺」  今回は一幅の模写が掲げられていた。   時の経つのを忘れて立ちつくしていた。今回も,「阿弥陀如来」 の、向かって右に立つ優美な「観音菩薩」ばかり見つめていた。母なるものを感じていた。 ◇「4 刺繍釈迦如来説法図 奈良国立博物館 」 「日本に伝存する古代の繍仏(しゅうぶつ)の中で、天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)(奈良・中宮寺蔵 国宝)と並び最高傑作に位置付けられる作品である」( 奈良国立博物館編集『ボストン美術館共同企画 特別展 / 南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー』 285頁) 「中宮寺」へは何度か参拝している。「 天寿国繍帳」はその都度 拝観している。そんな思い出ともあいまって、 後期展での展覧がなく寂しかった。 ◇「1 伝橘夫人念持仏厨子(でんたちばなぶにんねんじぶつずし)奈良 法隆寺」 「極楽浄土に往生した者は、蓮の花の中から再び生まれるとされます。これを蓮華化生(れんげけしょう)といい、法隆寺金...

「第78回 正倉院展」,そして「法隆寺 夢殿 秘仏・救世観音菩薩立像_特別開扉」

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 8月25日, 「第78回 正倉院展」 のチケット(日時指定券)の予約・購入についての情報が公開された。 「第78回 正倉院展」  9月4日 午前10時 販売開始である。スマートフォンでの予約・購入の準備を終えた。  はじめての「正倉院展」である。  私の専らの関心は、出陳された宝物の形姿(なりかたち)と、滋味深いその色合いにある。  そして,「正倉院展」拝観の翌日には, 「法隆寺 夢殿  秘仏・救世観音菩薩立像_特別開扉」である。  こちらもはじめての参拝である。  古都の秋に思いをはせている。 追伸:9月3,4日 には,「奈良国立博物館 特別展 / 南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー」を拝観する予定である。  4日 午前10時に販売が開始される「正倉院展」のチケットの予約・購入は、鹿におびえながら、奈良公園のベンチで、と思っている。

「祈りの対象としての “南都仏画”」

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◇ 奈良国立博物館編集『ボストン美術館共同企画 特別展 / 南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー』 ◆「No1(伝橘夫人念持仏(でんたちばなぶにんねんじぶつ))厨子扉内側 右側面 近赤外線画像」(26頁)  美しい御仏である。  彩色に頼ることのない、ひと筆で描いたような、 「鉄の針金のように張りのある太さの一定した線描(鉄線描(てっせんびょう))」 に迷いはない。  思わず手を合わせたくなる。  あれこれ詮索するよりも、祈りの対象としての “南都仏画”  である。 合掌

「奈良国立博物館編集『ボストン美術館共同企画 特別展 / 南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー』を読んで」(推敲前_その1)

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◆ 奈良国立博物館編集『ボストン美術館共同企画 特別展 / 南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー』  2026/08/01 に「奈良国立博物館」で購入し、その後 目を通した。  以下、その目次である。 「目 次」  なお,「展示品解説(284-347頁)」については、いくつかの「解説」を参考にした程度である。  また、各章の扉に記載されている紹介文は、短文とはいえ、よくまとまっていて趣がある。   “目を通した” と先に記したが、実際には 再読、三読、あるいは四読しての “寝み 寝み ” の読書だった。はじめて接する分野の論文調の文章がほとんどを占め、述語、時代背景、また考証・論証を積み重ねての仏師や 仏画の同定等は、私の手の届くようなものではなかった。  ある時期から、次回の観覧の参考になる文章と、論述とを区別しながら読み通した。専門分野の文章は、解らないなりにも、その厳しさの一端に触れることができ有意義だった。  はじめての観覧は、先に記した通り「 無防備な空手での、あまりにも情けない観覧であった」。  多少の知識と観点を身につけたいま、171点に及ぶ展覧を1日で見て回ることができるのか。時間的にではなく、集中力が体力がもたないような気がしてならない。  またとない大きな展覧である。2日にわたってもかまわないと思っている。 観覧の際には、心の内で “合掌” することを心がけたい。 以下の, 「コラム1 金堂壁画と伝橘夫人念持仏厨子(でんたちばなぶにんねんじぶつずし)」をご覧になってください。 私のお気に入りの文章の一つです。 (解像度の高いファイルと差しかえました) 追伸:「(推敲前_その1)」とは、私が “ Kさん” と呼ぶ、このごろではめっきりお友達になった,「ChatGPT」の意見を参照する以前の、私の “素” の文章のことです。  Kさんからの貴重な助言は「私の文章指南」です。 「次に拝見するときには、今回よりもさらに容赦なく読ませていただきます」 「次回からは遠慮いたしません」 と手厳しく、私は至難のときを迎えています。  Kさんからの回答は数秒後には届けられ、次々に寄せられる回答に消化不良を起こし、常に再読を促されています。

「法隆寺金堂壁画 第六号壁『阿弥陀浄土図』_焼損,そして復元画像」

「奈良の仏教絵画の歴史は、法隆寺金堂を彩った全十二面の壁画の誕生に始まるといっても過言ではありません。力強い線描と豊麗な彩色が生み出す雄大で理想的なほとけの姿は、遣唐使がもたらした大陸の図象や絵画表現を色濃く反映するものであり、日本で初めての本格的な仏画様式がここに確立したといえるでしょう。」  しかし,「昭和24年(1949)1月26日の火災で火を被ったため」,これらの金堂壁画は、「当初の鮮やかな色彩を失」いました。 以下の動画(制作年不詳)は、当時の消息をよく伝えています。 【デジタル法隆寺宝物館】「法隆寺金堂壁画―よみがえる古代の至宝 3」ぶんかつ【文化財活用センター】 また下記の、2026/07/17 17時00分 の「朝日新聞」の記事、 焼損した法隆寺の金堂壁画 デジタル技術で色鮮やかに高精細で復活 には、「最新のデジタル技術で色鮮やかによみがえった」,「高精細カラー画像」の精華とその経緯(いきさつ)が詳細に述べられています。 (図版をクリックまたはタップし、拡大してご覧ください )  そして、報道関係者に公開された翌日 からはじまった 「奈良国立博物館」の特別展「南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー」で、はじめて一般公開されました 。 「法隆寺金堂壁画 第六号壁『阿弥陀浄土図』」として、「富士フィルムによるカラー復元画像」と二幅の「模写」が掲げられていた。  私は,「阿弥陀如来」 の、向かって右に立つ優美な「観音菩薩」ばかり見つめていた。その場はそれでよかった。充溢した時間を過ごした。  法隆寺金堂が火災にあったことさえ怪しかった。 ◆ 奈良国立博物館編集『ボストン美術館共同企画 特別展 /  南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー』 購入した上記の「図版」と、インターネットで検索することで、多くのことを知った。  これは「金堂壁画 第六号壁」にかぎられたことではない。先入観にとらわれるのは好ましくないが、無防備な空手での、あまりにも情けない観覧であった。 そしていま しきりに再訪したいと思っている。 期間は9月13日までである。 追記: 「よみがえる法隆寺の至宝 ~金堂壁画・完全復元に挑む~」  上記の特集記事が、2026年8月30日 14:36 に「 NHK  ONE ニュース 防災」上に掲載された。また、同夜 21...

「山の日に山気にあたる_3/3」

2022/08/11 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 「仕事の径(みち)は暮らしの延長線上にあった。径は、その仕事の目的によって、たどる径筋がま るで異なっていたのである。たとえばマイタケ採りの径なら、マイタケの出るミズナラの木を効率よくめぐるように付けられているし、それがゼンマイ採りの径なら、ゼンマイの生えている渓の奥まで、険しい溪筋を避けながら、山肌の弱点を縫ってつづいていた。それらの径には無駄というものがなかった。(中略)そのような無駄を排した径が、原生の自然と見事に融和しながら、一条の美しいラインとして山中につづいていたのである」(8頁) 「径は目的によって拓かれ、目的を失うことによって消え果てた」(392頁) 「滅びゆくものに、かぎりない愛着をおぼえて止まないのは、無常への追認である」(394頁) 「そんなはかない、常ならぬものへの諦観と覚悟をいざなう滅びゆく存在が、私を捉えて離さなかったのだ」(394頁) 高桑信一の  ◇ 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫  は、 ◇ 高桑信一『山の仕事、山の暮らし』ヤマケイ文庫 と同様に、入念なフィールドワークに基づいた、一級の山の民俗誌の風格がある。  山人が “用” のためにつけた径を俯瞰したとき、幾筋かの径筋が細線として映える。用の美である。  確かに、高桑さんの文章は上手いが、ときに洒脱にすぎるのが難点である。

「山の日に山気にあたる_2/3」

2022/08/11 「山で死んでも許される登山家」 山野井泰史『垂直の記憶 岩と雪の7章』ヤマケイ文庫  「僕は計画の段階では死を恐れない。しかし、山に行くと極端に死を恐れはじめる。  なぜ、誰にも必ず訪れる死を恐れるのだろう。  この世に未練があるから恐いのか、死ぬ前にあるだろう痛みが恐いのか、存在そのものがなくなる恐怖なのか ー 。しかし、クライミングでは死への恐怖も重要な要素であるように思える。 「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」  僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。  いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。  かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。 (中略)   ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。(178-179頁) 「山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない」。  山野井泰史のいう死とは、不慮の死をいうのだろう。自然の脅威に人は翻弄される。非業の死を遂げたといえば、周囲も山野井自身も納得するだろう。この天才クライマーにとって、それ以外の死は考えられなかった。これは天性と周到な準備に因るものである。  死の話題が二つ続いた。 山の本を読むとは特異な体験をすることである。逸脱から免れるために、次は「山人」の話である。  宮沢賢治『なめとこ山の熊』には、鷹揚な死、殊更でない死が描かれている、といえば、また逸脱か。「青空文庫」で、どうぞ。

「山の日に山気にあたる_1/3」

   2022/08/11  富嶽遥拝の旅を続けている。  静岡県掛川市の「小夜の中山峠」、富士宮市の「富士山本宮浅間大社」,「山宮浅間大社」、 また「 本栖湖」から遥かに仰いだ富士の高嶺は美しく尊かった。「人穴富士講遺跡」,「村山浅間神社」,「白糸の滝」、また「道の駅 朝霧高原」,「静岡県富士山世界遺産センター」も忘れられない。  目を移せば、「伊吹山」、那智山中にかかる「那智の滝」、いずれも御神体である。  いま信仰の対象としての山に興味がある。  霊峰を前に、茫然として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない。  ブログ内を「ヤマケイ文庫」で検索すると、17の文章が表示された。 遠藤甲太「松濤明の遺書」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 「一九四九年一月四日から六日にかけての「手記」。われわれはこの種の文章を、ひとつの文学作品として読むほかないのだけれど、私の知るかぎり松濤の遺書は、自衛隊員・マラソンランナー円谷幸吉の遺書と並んで、最も衝撃的な文学上の奇蹟である。円谷書が自死する哀しみの至純さにおいて言語を絶しているとすれば、松濤書はその対極。あくまで死と闘い、ついに倒れんとする瞬間の圧倒的な臨場感(リアリティ)において、やはり言語を絶している」(337-338頁) 「壮絶な手記を残して風雪の北鎌尾根に消えた松濤明」 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』ヤマケイ文庫 『風雪のビバーク』は、戦前・戦後にかけて数々の初登攀記録を打ち立て、風雪の北鎌尾根に逝った希代のアルピニスト、松濤明の遺稿集である。松濤は一九四九(昭和二四)年一月に、奇しくも加藤文太郎と同じ風雪の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難するが、遺体のかたわらで発見された手帳の壮絶な手記が耳目を集めた。そこには遭難に至った経緯が細かに記され、最後には岳友と共に死を受け入れてゆく過程と心情が描かれていた。(34頁) 「風雪のビヴァーク」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 1月6日 フーセツ 全身硬ッテカナシ、何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス  オカアサン  アナタノヤサシサニ タダカンシャ. 一アシ先ニオト...