村瀬明道尼『ほんまもんでいきなはれ』

 積読すること十数余年、「ほんまもんで行きなはれ」とばかり読んでいました。
 ある年の晩春の琵琶湖釣行時には、あまりもの貧果に喘ぎ、釣りに見切りをつけ、彦根市街を散策中に、店主の人柄のしのばれる小さな書店で、お土産にと思って求めたのがご縁でした。
 「ほんまもんで生きなはれ」と読むのが一義だ、と気づいたのは、昨年の暮れのことでした。
 
早速「第三章 再生」と「終章」を読みました。

帯には、
9つで親元を離れ仏門に入り、
33ではじめて知った道ならぬ恋…。
尼として、おんなとして精一杯、生きてきた。
精進料理の月心寺
「庵主さん」痛快一代記!

「庵主さん」をひと口にいえば、
一休和尚を女にしたような尼さんで、
お酒も飲めば、熱烈な恋もする。
   白洲正子著『日本のたくみ』より
と書かれています。

 今度(来世で)も悪名がついてくるとしたら、なるたけ高いと楽しいなあ、と思います。悪名というものは、立つまでがまた、一苦労なのですから。(284頁)

 ふたりきりの病室で、師匠は私の事故後の姿を初めて見て、手を取って泣きました。
「五体満足で、よう生き抜いたな、宗清。わしが死んだら宗弘を頼むで。苦労したな」(276頁)
の言葉が身につまされます。