「思い出を紡げば」


 昨日 従兄弟のたっちゃんが、奥さんの実家に向かう途中、父のご機嫌うかがいに寄ってくれました。2020年 東京オリンピックの開催年に晴れて退職、とのことでした。

 たっちゃんは'60年生まれで、私は'61年生まれです。弟が生まれた'64年には、東京オリンピックが開催され、'70年にはいっしょに大阪万博に行きました。イタリア館でスーパーカーを見た覚えがあります。その際にはピンバッチをもらったように記憶しています。メキシカンハットを買ってもらいました。机の引き出しには、「EXPO'70 人類の進歩と調和 日本万国博覧会会場図」が書かれたハンカチがあります。帰路には、大津(だったような気がしています)のサービスエリアに車を駐め、車中で泊まりました。

 また、'73年のオイルショックを経て、低成長の時代を迎えた'75年、たっちゃんが中学三年生のときには、安土城址を訪れ、琵琶湖でモーターボートに乗り、琵琶湖大橋を渡ってすぐ左手にある、当時ジャングル風呂で名をはせていたホテル紅葉で一泊し、翌日比叡山に向かいました。

 たっちゃんの思い出と、私の記憶はかけ離れていて、二人合わせるとおおよそになりました。それぞれの思い出の違いを面白く感じました。

 琵琶湖へはマイクロバスで、祖父もいっしょに行きました。祖父たちはホテルから琵琶湖競艇に出かけました。後に、「もう一度モーターボートに乗ってみたいやぁ」と母が何度か口にしたのを覚えています。二人は不帰の客となり、思い出だけが縁(よすが)です。