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TWEET「喪中につき_03_2/2」

故あって、以下の3冊を注文した。結構なお値段になった。 ◇ 橋本敬三, 川上吉昭『 操体法写真解説集』たにぐち書店; 復刻版 (2003/05/01) ◇ 橋本敬三『生体の歪みを正す 橋本敬三論想集』創元社; OD版 (2010/08/25) ◇ 操体バランス協会, 岡嶋邦士 他著『身体マネジメントの極意 最高の操体法 〜 バランス力が動きをアップグレード 〜 』BABジャパン(2022/11/15) ネパールの 20歳の女性と出会い、以下の一連の作品を、 ◇ 夢枕獏『 神々の山嶺(上,下)』集英社文庫 ◇ 夢枕獏,谷口ジロー原作『神々の山嶺 コミック版(全 5巻)』集英社文庫 ◇  夢枕獏,谷口ジロー原作『映画・神々の山嶺(いただき)』 ◇  夢枕獏『 エヴェレスト 神々の山嶺 (上,下) 』角川文庫 を、まず思った。  この出会いを大切にしたいと思っている。  また、 天人・深代惇郎さんの顔が脳裏に浮かんだのは不思議だった。 以下「喪中につき」、一挙 大公開です。 ◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま Plus」 ◇  本多勇夫「塾・ひのくるま / 折々の記」 ◇ Amazon の検索窓に私の名前を入れてください。電子書籍が表示されます。  以来 毎日、「生死」のことどもについて考えている。まず、自分のブログを読み直すことからはじめたいと思っている。

真鍋俊照『 四国遍路を考える』NHK出版

◆ 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版 は、P教授から送っていただいた三冊の書籍のうちの一冊である。  2022/11/22 から読みはじめ、昨日読み終えた。途中に「古社寺巡礼の道行き」(2022/11/23 〜 12/01)があり、いつになく変則的な読書になってしまった。  本書は、仏教学者である真鍋俊照が書いた小さな学術書であり、安心して読み継ぐことができた。   「弘法大使信仰と現世利益」 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版   空海が四国で修行に入ったのは、十八歳ときわめて若かったころのことです。空海は親類の阿刀大足(あとのおおたり)に伴われて長岡京に行き、当時の大学の明経科に入学するのですが、そこでの教育に飽き足らず、悶々とした日々を過ごしていました。そんなとき、空海の前に一人の沙門(しゃもん 僧侶)が現れ、虚空蔵というお経をとなえることで法力を得ることができる「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修法(すほう)を授けてくれたのです。そして空海は四国へと渡り、修行に入ります。  のちに空海が書いた有名な『三教指帰(さんごうしいき)』には、仮名乞児(かめいこつじ)という名で空海自身が登場します。その本の書き出しには四国での修行がいかに苦しかったかが語られていて、とくに三つの修業地のことがクローズアップされています。三つの修業地とは、阿波の太龍岳、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山(石鉄山)のことです。これらはいずれも、現在の八十八ヶ所札所に比定することができます。すなわち、太龍岳は第二十一番太龍寺(たいりゅうじ)、室戸岬は第二十四番最御埼寺(ほつみさきじ)、石鎚山ゆかりの札所は、第六十番横峰寺(よこみねじ)と第六十四番前神寺(まえがみじ)です。(130-131頁)  四国八十八ヶ所の札所、およそ 1400km にわたる道のりを、私は歩き通す自信も覚悟も持ち合わせていないが、上記の四か寺の他にも、訪ねてみたいところはいくつかある。まず、弘法大師ご生誕の「善通寺」であり、 讃岐での西行の足跡であり、一遍上人 ご生誕の地といわれている「法厳寺(ほうごんじ)」であって、 「遍路に伝わる病気平癒」 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版   明治時代、山...

「新春に『四国遍路』を渉猟する」

頌春 新春のお慶びを申し上げます。 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  この寺(五十八番霊場「 仙遊寺」)には阿坊(あぼう)仙人の話が残っている。  養老年間というから八世紀のはじめだが、それほどの昔の昔、阿坊仙人という僧がいて、ここで修行し、諸堂を整えた。四十年ほどこの地にいたというからかなりの歳月だ。石鎚山をのぞみ、かなたに瀬戸の海を見るこの地は、当時は人里をはるか離れた仙郷であったろう。そしてある日、阿坊さんは雲と遊ぶかのように忽然と姿を消した。(165頁)  遊ぶとは生半なことではない。一大事である。一時(いっとき)の気まぐれな戯れとは様相を異にしている。遊戯三昧の境地からすれば、雲と遊び、雲と消えることなど如何ほどのことでもないだろう。 「ご住職」の「小山田憲正(おやまだけんしょう)さん」は、「このごろ、人に頼まれて字を書くときは『遊べ』と書くそうだ。」(辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 212,215頁)   いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺(めいせきじ)にこんな立て札があった。「悟りは迷いの道に咲く花である」(141頁) (四十二番霊場)仏木寺(ぶつもくじ)は銀木犀(ぎんもくせい)の香りに包まれていた。茅葺きの鐘楼がいい。「悟りの花はどこに咲く。悩みの池の中に咲く」と書かれた立て札があった。それを見ていた団体遍路のおばさんが「ほんとじゃろか」と笑っていたのがおもしろかった。(129頁) 「ほんとじゃろか」 「おばさん」はたくましく、たくましい「おばさん」に与(くみ) するに如くはなく、と思っている。

「辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社_師走に『四国遍路』を渉猟する」

一昨日の夕刻すぎ、 ◆ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 を読み終えた。  たくさんの言葉に接し消化不良を起こしている。  「土を踏む」ことと「風に祈る」こと、それだけでいいというのは、その二つの単純な動詞さえ大切にすれば、あとのことは重要であっても最重要ではない、という意味だ。 「土を踏む」、つまり日々、歩くことをつづければ、どんな御利益があるだろう。  まず、野生をよみがえらせることができる。いいかえれば、生命力が強くなる。  自立心がます。楽天的な思いが湧く。なにごともセーカイセーカイダイセーカイ(正解正解大正解)だと思う。おろかで、欠点だらけの自分に出あうことができる。へんろ道は己の「魔」を照らす「照魔鏡」である。  そして、人との大切な出あいがある。  たくさんのお接待をいただき、手をあわせる。感謝をする。そのことが、人間が生きるうえでの基本だということを知る。  感謝はさらにひろがる。大自然の営みへの感謝がある。  大自然の営みに感謝する祈り ー それこそが「風に祈る」ということだ。私の体験のなかでは、「土を踏む」ことが「風に祈る」ことにつながり、「風に祈る」ことが「土を踏む ことをさらにうながしている。(337頁)  「土を踏む」という言葉が、何百万年前の太古にさかのぼるのに対して「風に祈る」という言葉は一輪の花から宇宙空間にまでひろがってゆく。「風に祈る」の「風」は、風そのものだけではなく、空・風・火(光)・水・地という宇宙を象徴する言葉の代表選手として使っているつもりだ。  究極の祈りは、宇宙の営みへの感謝の祈りである。(「あとがき」341頁)  へんろ道は「祈りの空間」である。 (「あとがき」340 頁) ◆ 高群逸枝著 ,堀場清子校註 『娘巡礼記』岩波文庫  「高群は出かける前「道の千里をつくし、漂泊の野に息(いこ)はばや」と書いている。  高群が四国を回ったのは一九一八年で、二十四歳のときだった。六月から十月までの長い旅である。当時のへんろ道では、「山で若い女が殺されたり、姦(おか)されたり」することがあるという噂話もあった。しかし高群は書く。「でも構はない。生といひ死といふ、そこに何程の事やある」という意気込みだった。  顔や手足に虫が這う草むらで野宿をする。小川のそばに毛布を敷いて寝る。テントも寝袋もない野宿...

「辰濃和男『四国遍路』岩波新書_師走に『四国遍路』を渉猟する」

昨夕、 ◆ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 を、二回目の接種後に読み終えた。二巡目の読書だったが、多少のことを思い出すにすぎなかった。 「へんろ道」は生と死、死と再生の交錯する道である。「はぐれびと」たちの行き交う道である。  辰濃さんが、千数百キロメートルを、七十一日かけて歩いた道であり、本書は多くの話題から成っている。  「出あったときが別れだぞ」  松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。(中略)泰道師は一期一会(いちごいちえ)について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の肅然としたたたずまいを感じる語は、他に類例をみません。(『禅語百選』祥伝社、一九八五年)(43頁)  陳腐に成り下がった語が息を吹き返した。これは、 「それ(戦国武将がのぞんだ茶会)は自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった」(175頁) 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  でも経験した。  自省・自責・自虐の言葉には嫌気がさした。文章の品位を失する。もうやり過ごした時節のことであり、 「そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう。」(小林秀雄『人生について』角川文庫 36頁) と、いまは確信している。  空海は、 「吾れ永く山に帰らん」 と言い遺している。 原始 の森、いのちの息吹き、 太古の闇。 いま、「石鎚の霊峰」がしきりに気になる。 「澗水(かんすい) 一杯 / 朝(あした)に命(めい)を支え / 山霞一咽(さんかいちいん)/ 夕に神(しん)を谷(やしな)ふ」(朝には清らかな水を飲んで命を支え、夕には山の気を吸って霊妙な精神を養う)(9-10頁) 「高野往来」 以降、四国路がにわかに迫ってきた。 以下、「 辰濃和男『四国遍路』岩波新書_ まとめて」です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」私のへんろ道です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」履く ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ この項はこれくらいで勘弁していただき、 「読む」を「書く」に優先させていただくことにする。 手に...

「師走に『四国遍路』を渉猟する」

以下の新書は、出版(2001/04/20)されると間もなく読んだ。 ◇ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 下記の三冊は発送待ちである。辰濃さんの文章に触れるのは久しぶりである。 ◇ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 ◇ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 ◇ 石川文洋『カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅』岩波新書 ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『「般若心経」講義」PHP研究所 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『遍歴放浪の世界』NHKブックス 以上 五冊は学生時代に読んだ。紀野一義さんの本をよく読んだ。 ◆ 紀野一義『明恵上人―静かで透明な生き方』PHP研究所  また、下記の文庫も見つかった。 ◆ 公方俊良『般若心経 90の智恵―276文字にこめられた生き方の真髄』知的生きかた文庫 玄侑宗久さんのお名前は早くから存じ上げていたが、はじめて文章に触れたのは、 ◆玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)「井筒病」(『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会) だった。 ◇ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を注文した。 検索しているうちに、柳澤桂子さんが気になりはじめ、 ◇『般若心経 いのちの対話』(文藝春秋 2006年12月号での玄侑宗久との対談)』 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 ◇ 柳澤桂子『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 』小学館 また、多田富雄さんが気になりはじめ、 ◇ 多田富雄,柳澤桂子『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』集英社文庫 を注文した。  本の世界で『四国遍路』 を渉猟する際にも、八十八冊ほどの書籍は必要となりそうな勢いである。今日から本が届く。年内に、遅くとも年始までには読み終えようと思っている。師走との “かけっこ” である。「いのち」の森厳に触れる、「同行二人」での道行である。

TWEET「Kindle Direct Publishing_『本多勇夫 / なお 折々の記_09』: 〜河合隼雄編〜」

つい今し方、 ◇ 「本多勇夫 / なお 折々の記_09」:〜河合隼雄編〜 を、「Kindle Direct Publishing」にアップしました。 上梓されました。早速購入しました。  河合隼雄先生の膝下で学ぶことが希望だった。が、願いはかなわなかった。   勝手に私淑することにした。  たいへんな読書家であり、対談集も多く出版され、いつのころからか、「河合隼雄というフィルター」を通して本を読む、という習慣が身についた。特に、哲学や宗教に分類される書籍の紹介はありがたかった。ひとり歩きは油断ならない。 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 は、1987/04/25 に出版され、間もなく読んだ。学生時代のことだった。明恵上人を知り、白洲正子を知った。井筒俊彦と出会い、はじめて華厳の世界に触れた。「華厳の世界」(284-290頁)に引かれた井筒俊彦の文章は明晰だった。コピーしてもち歩いた。そして、 ◇ 井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』岩波書店 を求めた。河合隼雄がとりもつ縁だった。しかし、その後長い間井筒俊彦との接点はなかった。  張り切りすぎて臨床の道に進まなくてよかった、といま思う。  とは別に、こちらは張り切って書いてみました。  ぜひご覧ください。

「Dr.T様_よちよち歩きです」

おはようございます。  一昨日の午前中、カヤックを受け取りにい ってきました。その際には、船体に歪み癖がつかないように、との配慮から、店長さんに組み立てていただきました。二時間ちかくおつき合いしていただき、恐縮しました。  以降、仏間で右往左往しています。いつになく疲弊し、かすり傷も多く、消耗しております。いまだに満足な出来栄えとはいかず、船体布をフレームになじませるため、不出来なままに艇は仏間に鎮座しています。そして、時折 恨めしく見やっています。  試行錯誤をしているうちが花だと思っています。よちよち歩きを続けます。  カヤックは上手くできていて、感心しています。 以上、簡単にご報告まで。 残り少なくなった GW をお楽しみください。 ご返信ご不要です。また、ご心配ご無用です。 では、では。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:     ふり返れば、「モンベル 豊橋店」さんには、GW 二日目から六日間連続で日参しました。店長さんと Kさんとは顔なじみになり、行くたびに笑われています 。     今日から定期テストの準備を、と張り切っていましたが、カヤックに如くものはなく、意気消沈、ひき続き船 遊びに興じることにしました 。 以下、 辰濃和男「悟りは迷いに道に咲く花である」 です。

「動詞_食す その二」

 こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(4-5頁) ーー味覚について。 『味に想う』の著者、角田房子は、好きな野菜はと聞かれたら「茄子とじゃがいも」と答える、と書いています。  夏の茄子には気に入った食べ方がある。  「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく縦に切り目を入れ、茶筅(ちゃせん)茄子にして、昆布と鰹節のだしで火にかけ、醤油とごく少量のみりんで薄く味をつけて、鍋のまま冷蔵庫に入れる。翌日、すっかり冷えて、とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を添えて食べる」   読んでいるうちに、私のような無精ものでも、一度やってみようかという気になります。味のことは、あまり律儀にくどくどと、うまさの中身を書くことはない。「とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を」とあるだけで味が伝わってきます。  野菜の料理では、甘糟幸子の書いたものが好きです。こんな文章があります。  「のびすぎて大きくなっているタラ芽は二つか三つに割って、まだこぶしを開きかけたような若いものはそのままにして、衣をつけ、ゆっくりと揚げます。揚げたての熱いのにお塩を少しつけて食べると、ほっくりした豊かな歯ごたえと濃い味がして、木の芽というより、まだ名前を知らない動物の肉でも食べているような気がします」  タラの芽...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』岩波新書_まとめて

◇ 「文章の書き方・みがき方_文の接続と文末表現」 ◇ 「文章の書き方・みがき方_体言止め。簡潔と粗略は違います」 ◇ 「文章の書き方・みがき方_食す」 ◇ 中野好夫「万古不易の翻訳論の名言」 ◇ 内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」

辰濃和男『四国遍路』岩波新書_まとめて

◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」私のへんろ道です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」履く ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ

齋藤孝「人生は動詞で変わる」

齋藤孝「人生は動詞で変わる」 日本文藝家協会『ベスト・エッセイ 2013』光村図書出版  動詞は、その人の生きる姿勢に投影されやすい。たとえば包容力のある人は、「包む」身体性を持っている。どんな形状のものもうまいこと「包み込んでしまう」風呂敷(ふろしき)のような柔軟さを持っている。この意見だけが正しいとか、これでなければダメだ、という考え方をしない。自分とは見解が違っても人の話に耳を傾けて「聞く」ことができ、相手を「受け容(い)れる」ことができる。行動や考え方に「包む」という動詞のもつ特徴が自然にあらわれて、その人のひとつのスタイルになっている。  「名は体(たい)をあらわす」という言葉があるが、私はむしろ「動詞は体をあらわす」と考える。自分のスイッチになる「動詞」をたくさん持っている人は、自分のからだをベースにして心地よく生きる術(すべ)を知っている人だ。生き方のスタイルは動詞で変わる。人生は動詞次第だ ー。 以上、『2017年度受験用 愛知県公立高等学校 予想テスト』英俊社(58-59頁)からの孫引きです。近日中に確認します。 以下、 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 です。ご参考まで。

天人 深代惇郎「夕焼け雲」

解説 辰濃和男 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫  「深代惇郎と私は、同期だった。  深代は四十六歳で亡くなり、私はいま、深代が書いた『天声人語』のゲラの一ページ一ページを丁寧に読んでいる。まだ若いころの彼の姿をしばらく追って時を過ごすこともあった。  彼が亡くなった直後、ある会合でお会いした作家の有吉佐和子さんは、こういっていた。 『深代さんはものすごく勉強していたわ。もう、オドロキでした』  深代の作品の中で一印象に残るのはどれか、私は「夕焼け雲」(五〇三頁)をあげたい。(後 略)」 (525頁) 深代惇郎「夕焼け雲」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫(503-504頁)  夕焼けの美しい季節だ。先日、タクシーの中でふと空を見上げると、すばらしい夕焼けだった。丸の内の高層ビルの間に、夕日が沈もうとしていた。車の走るにつれて、見えたり隠れたりするのがくやしい。斜陽に照らされたとき、運転手の顔が一杯ひっかけたように、ほんのりと赤く染まった。  美しい夕焼け空を見るたびに、ニューヨークを思い出す。イースト川のそばに、墓地があった。ここから川越しに見るマンハッタンの夕焼けは、凄絶といえるほどの美しさだった。摩天楼の向こうに日が沈む。赤、オレンジ、黄色などに染め上げた夕空を背景にして、摩天楼の群れがみるみる黒ずんでいく。  私を取りかこむ墓標がある。それがそのまま、天空に大きな影絵を映し出しているように思えた。ニューヨークは東京と並んで、世界でもっとも醜い大都会だろう。その摩天楼は、毎日のお愛想にいや気がさしている。踊り疲れた踊り子のように、荒れた膚をあらわにしている。だが夕焼けのひとときだけは、ニューヨークにも甘い感傷があった。  もう一つ、夕焼けのことで忘れがたいのは、ドイツの強制収容所生活を体験した心理学者V・フランクルの本『夜と霧』(みすず書房)の一節だ。囚人たちは飢えで死ぬか、ガス室に送られて殺されるという運命を知っていた。だがそうした極限状況の中でも、美しさに感動することを忘れていない。  囚人たちが激しい労働と栄養失調で、収容所の土間に死んだように横たわっている。そのとき、一人の仲間がとび込んできて、きょうの夕焼けのすばらしさをみんなに告げる。これを聞いた囚人たちはよろよろと立ち上が...

年のはじめに_辰濃和男「セーカイセーカイダイセーカイ」

  辰濃和男『四国遍路』岩波新書 (136-141頁)  お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。    今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。  どちらの道を行こうか、どこまで歩いて行こうか、どの宿にしようかと迷うことがある。どんなに迷っても、一度きめてその道を選び、一度きめてその宿を選んだ以上は、その選択が「正解正解大正解」だったと思う。そう思いこむ。選択が間違っていたかどうかなどといつまでもぐじぐじ考えず、まずは正解だったと思う。それも一つの修行だろう。  セーカイセーカイダイセーカイというつぶやきがでてくる。迷ったからこそ、いまこの小宇宙に独りでいることができる。深い山の懐にあって、雲の流れをこころゆくまで眺めることができる。見渡す限り、人の姿はなく、山々は深い沈黙のなかにある。なんとぜいたくなことだろう。これこそ、大正解でなくてなんだろう。そんな感じをもった。   この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。  迷って遠回りをすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道を楽しむことだ。  私たちは日常の暮らしで、迷うことを恐れすぎているのではないだろうか。  いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺に...

年のはじめに_「そりゃ、あんたさん、なりふりかまわずですぜ」

辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 (237-238頁) 内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」の向こうを張って、 「そりゃ、あんたさん、なりふりかまわずですぜ」。 「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。  「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。  『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」  さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。

内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」

10 渾身の力で取り組む 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 (235-239頁)  「文章はいつも、水をかぶって、座りなおしてはじめる覚悟でいたい」 (串田孫一)  この串田の言葉は、一九五二年一月五日の日記のなかに出てきます。  まだ三十代のころの決意です。  亡くなった勝新太郎が中村玉緒とケンカをしたことがあります。玉緒がすごい形相になって摑みかかると、勝は即座にいったそうです。「おい、いまのその顔だ。その顔を忘れるな。いい顔だ」と。玉緒もつられて「はい」といってしまった、という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。憤怒の形相も芸のこやしにしようというわけで、勝と玉緒の二人ならありえない話ではないと思いました。  不出来な絵ではあるけれど、その絵の対象になったものをことごとく愛している、と歌ったあと、石垣りんはこう書いています。  「不出来な私の過去のように / 下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」  私はこの、最後の「下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」というひかえめな表現が好きで、何度も読み返しては、この真摯な詩人が「精一ぱい」という以上、まことに精一ぱいだったのだろうと思い、文字をつらねるとはそういうことなのだと粛然とした気持ちになるのです。「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修行の道はない、とさえ思うのです。  「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。  「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。  『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」  さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。  川端康成も、読み手がたじろぐような激しい言葉を使っています。  「文章の工夫もまた、作家にとつては、生命を的の『さしちがへ』である。決闘の場ともいへやうか」  川端は、「われわれの言はうとする事が、例へ何であつても、それを現はすためには一つの言葉しかない」というフローベルの言葉を引用し、そのためにも作家は、不断のそして測り知れぬ苦労を積み重ねるほかはないとも書き、文章の工夫は「決闘の場」だという激しい言葉を使っているのです。  いままで、「これ渾身」とい...

「すてきな呪文です!こころにとどきます!!」

『 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ 』 で、辰濃和男さんの唱える「呪文」、「セエーカイセエーカイダイセエーカイ」のことを紹介しました。以下、抜粋です。 お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。  今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。 今回は河合隼雄さんが唱える「呪文」です。 「呪文」という言葉は、実は遠藤周作「生き上手、死に上手」から教えられたことである。 正しいとか正しくないとか、教えられるとか言うのではなく、「呪文」を唱えていると心が収まるのである。 「 ふたつよいことさてないものよ」 「 ふたつわるいこともさてないものよ」 私は新しく相談に来られた人に会う前に、 「人の心などわかるはずがない」 ということを心のなかで呪文のように唱えることにしている。 それによって、カウンセラーが他人の心がすぐわかったような気になってしまって、よく犯す失敗から逃れることができるのである。

「豊橋市中央図書館さんの早速のご対応に感謝しております」その二

「豊橋市中央図書館さんの早々のご対応に感謝しております」その二 一昨日、須賀敦子の「トリエステの坂道」を読みたくて中央図書館に行きました。辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 「5 比喩の工夫をする」(148-153頁)に紹介されていました。 『須賀敦子全集 第2巻』河出書房新社 を借りる際に、カウンターの向こう側でPCと向き合っていた女性職員の方がチラッとこちらに目を向けました。中井久夫さんの本をお願いした女性職員の方でした。いかにも気まずそうな様子でPCの画面に目をもどし、髪に手をやり、セータの裾を少したくし上げました。それぞれの動作にぎこちなさを感じながら、私は見るともなしに見ていました。「私の望みはかなわなかったんだな」と思いました。  本を借りた後、私は何を期待するわけでもなく、検索窓に「なかいひさお」と入れ、エンターキーを押しました。ディスプレイ上には三二冊の中井久夫さんの本が表示されました。三二冊も、です。目を疑いたくもなります。  気がつくと、図書館の蔵書から、中井久夫さんの著作がゴッソリと抜け落ちていることがわかり、あわてて購入したのでしょうか。ことの真相はよくわかりませんが、ありがたくもあり、また感謝もしております。  女性職員の方のあのぎこちなさはなんだったのでしょうか。恥じらい、 気まづさ、 居住まいの悪さ。それとも私の全くの思い過ごしだったのでしょうか。そんなとりとめもないことを車中で考えながら帰路を急ぎました。 中井久夫さんの本が一冊、貸し出し中であることを知り、ほっとしました。

「大寒の日に思う」

今日は「大寒」です。 昨日目を覚ますと、雪が積もっていました。当地域では年に一度あるかないかのことです。早速好機の到来と思い、登山靴で雪の 東海道を歩こうと思いたったまではよかったのですが、早速すぎてもたもたしているうちに、陽がさしはじめ、雪はみるみるうちに溶け、昼前にはすっかり姿を消してしまいました。豊橋市中央図書館の裏手に咲いているセイヨウカタバミは黄色の花をつぼめ、皆頭を垂れていました。また、葦毛湿原に至る道の傍に自生するササの葉はいずれもお辞儀をし、生気なくしおれていました。 一昨日から、 長い間積読したままにしておいた、 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 を読みはじめました。身につまされることばかりです。 司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫 と併読しています。こちらは学生時代に買った未読の文庫本です。旧版です。老眼には小さな文字はこたえます。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_履く

「8 履く」   辰濃和男『四国遍路』岩波新書  薬王寺を過ぎると、あとは海辺の道を歩くことが多くなる。初遍路では軽登山靴を履いていたが、あのときは、ちょうどこのあたりで右の膝を痛め、足をひきずりながら歩くことになった。  こんどのお遍路で選んだのは、山歩きのときに履く愛用の革製登山靴だった。靴のなかには、うすい靴下と厚手のウールの靴下の二枚を着用している。むれる感じはあるが、両足が堅固に守られている安心感がある。  「そんな靴じゃ、重たくて歩きにくいでしょ」。そういって私の登山靴を見つめるお遍路さんもいたが、「とんでもない。この靴のおかげで快調です」とむきになって反論した。反論はしたものの、いかに堅固な靴に守られていても、足のあちこちに痛みがでてくるのは避けられない。絆創膏(ばんそうこう)やらをべたべたと足に貼るのが朝の行事になった。 長丁場では靴の選択はきわめて大切な意味をもつ。  遍路修行の若いお坊さんに出あうと、私はまず足元を見る。たいていは真新しいウォーキングシューズで、地下足袋や草履の坊さんはまずいない。「地下足袋で足を痛くした先輩の話をよく聞きますからね。このごろは、みなウォーキングシューズか登山靴です」。修行僧がそういっていた。  名僧山本玄峰は一八七〇年代、何回も四国遍路をしているが、記録によると裸足(はだし)で回ったという。目がかなり不自由だったうえの「裸足参り」である。厳しい修行を己に課すためのお遍路だった。 一九一八年にお遍路をした高群逸枝は草履だった。  演歌師、添田啞蟬坊(そえだあぜんぼう)は一九三〇年代前半、何年間もお遍路をしているが、このときは地下足袋だ。 種田山頭火も地下足袋だ。一九三九年の遍路日記に、地下足袋が破れて、左の足を痛めて困っていたところ、運よくゴム長靴の一方が捨ててあるのを見つけた。それを裂いて足袋代用にしたので助かった、と書いている。  草履ー地下足袋ー歩行用の靴、という変遷をたどって、登山靴派が現れた。 引用が長くなってしまいましたが、私の今の興味は「履く」ことにありますので了解していただくことにして、早速登山靴で舗装された道路を歩いてみようと思っています。吉田宿の近くに住んでいます。まず手はじめに、近辺の東海道を歩いて...