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12月, 2020の投稿を表示しています

TWEET「ごまめの歯ぎしり」

 このひと月あまり、煤払いをしています。毎日塵埃にまみれています。塵芥(ちりあくた)の類と呼ばれるもまたよし、と思っています。  その間乱雑に読み継ぎ読み継ぎ、いま、 ◇『山と溪谷  大特集 富士山 2019 No.1015 11』山と溪谷社 ◇ 信濃川日出雄『山と食欲と私 9(鮎美の富士山リベンジ編 ①~④)』新潮社 にたどり着きました。一年前と同じ地平に立ち、威容を仰いでいます。  十六夜の月を拝しながら、ごまめの歯ぎしりです。

TWEET「寒夜の明月」

 昨夜は満月でした。明月を拝しました。 寒夜の月は凛々しく、端正でいいですね。  いま氏神さまである 「豊麻神社」に、神札を納め、参拝してきました。  十六夜の月を拝しながら、行く年来る年に思いを馳せます。  来たる年は、「辛丑(かのとうし)」です。  還暦です。  一巡します。

「いよいよ神仏混淆か」

 2020/11/01 に「伏見稲荷大社」を詣で、 2020/11/17 には「伊勢神宮」を参拝しました。その際には、 市内の書店「BOOK SQUARE ララパーク店」さんで、 ◇ 神宮司庁 編・著『図解 伊勢神宮』小学館 「奉祝 令和 神宮司庁広報室の神職たちが執筆・編集した初めての「神宮」読本」 を購入し、帰宅後、 ◇ 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (1)〜(7) 」 ◇ 中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書 を読みました。  そして、一昨日には、「神宮大麻」と氏神さまである「豊麻神社の神札」を本箱の中にお祀りしました。いよいよ我が家の「神仏混淆」かと思っています。  清らかなることは慶こばしきことかな、と思っております。

TWEET「法螺貝ショップ」

豊橋市内にある 法螺貝販売、法螺貝専門店の 「穂の国」 さんが、いかがわしい店でないことを一昨日知りました。法螺貝にも、店主さんの人となりにも、出入りするお客さんの人柄にも興味がありますが、敷居が高い、というのが本音です。

森武史『熊野修験』月兎舎

◇ 森武史『熊野修験』月兎舎 が一昨日届きました。 「那智四十八滝・大峯奥駈・葛城二十八宿 山伏とともに20年。峰を駈け、渓に分け入り 岩によじ登って捉えた熊野の自然と修験者。 熊野修験再興33周年を記念した写真集です。」 総本山金峰山寺管長 五條良知 「即今只今(そっこんただいま)を切り取った写真集は次世代への道しるべとなるでしょう。 熊野修験に導かれ、助けられた方々のお悦びの声が聞こえてきます。」 熊野修験正大先達・那智山青岸渡寺副住職 髙木亮英 「熊野修験は山林抖擻(さんりんとそう)を通して自己を見つめ直す擬死再生の場です。 そこで得た霊験を他者にほどこしてこそ菩薩行の境地と言えましょう。」   殊に、髙木亮英大先達の 立ち姿、歩く姿、また合掌する姿は、美しく威厳に満ちている。こういったあり方もできるのか、と我が身をふりかえっている。 K大のP教授の「暗黙のご指導とご鞭撻の旅」のつれづれ / 覚書 復習の旅を続けます。 1996年 / 春 「開塾を目前に控え、K大のP教授とご一緒した、古社寺巡拝の旅」 ◇ P教授にご案内していただいた、大阪市の緒方洪庵先生の「適塾」 ◇ 奈良市の志賀直哉旧邸 ◇ 法隆寺・中宮寺・東大寺・興福寺・薬師寺・唐招提寺・石舞台古墳 ◇ 広隆寺・龍安寺・清水寺・東寺・同志社大学 2006年 / 春 「紀ノ国と巡拝の旅」 ◇ 熊野古道 ◇ 熊野三山めぐり ◇ 熊野速玉大社の参詣の折に立ち寄った佐藤春夫記念館 ◇ 室生寺での一喝 (土門拳「走る仏像」) ◇ 和歌山県白浜町の南方熊楠記念館 ◇ 吉野山での一泊 ◇ 三重県松坂市の本居宣長旧宅・本居宣長記念館 ◇ 松坂市の「和田金」さんでは極上の松坂牛の「すき煮」ではなく、本当の「すき焼き」をご ちそうになり帰路につきました。 その後、P教授はひとり、「大峯奥駈」に出かけられました。

「2017年 南方熊楠 生誕150年_まとめて」

中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書  今回、折口信夫の思想と人生について自由に語る機会を得て、わたしはいままで自分が読み続け考え続けてきた折口信夫の学問をまるごとつかみとり、その中から二十一世紀の日本人の思想として生き続けるにちがいないと思われる、彼(かれ)の思想のエッセンスを取り出すこころみをおこなってみようと考えた。いままで自分の中に貯蔵され続け、長い時間をかけて変身と発酵(はっこう)をへた、わたしが読み取った「折口信夫」の核心(かくしん)部分に、はじめてひとつのまとまりをあたえて語り出してみようと思ったのである。  柳田国夫(やなぎだくにお)、折口信夫、南方熊楠(みなかたくまぐす)の三人の巨人(きょじん)の頭脳と心が生みだしたものは、日本人に残されたもっとも貴重な宝物である。わたしはこの宝物をしっかりと護(まも)り未来に伝える水中の龍(りゅう)でありたいと願う。(8-9頁)  以下、2017/12/23 に書いた ブログです。  青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 松居竜五,ワタリウム美術館 [編]『クマグスの森ー 南方熊楠の見た宇宙』(とんぼの本)新潮社 が届きました。「略年譜」をみているうちに、今年が南方熊楠の生誕150年に当たることに気がつきました。漱石、子規に次いで三人目です。危うく見過ごすところでした。 以下、「南方熊楠 生誕150年 まとめて」です。 ◇ 「貴人なるお二方 西江雅之先生と平野威馬雄氏が語る『南方熊楠という博覧強記の異人』 他一題」 ◇  日本最大の「枠外の人」、南方熊楠の「珍しい羞恥心」 ◇  南方熊楠「神社合祀に反対し投獄される」 ◇  南方熊楠「もう一つの森」 ◇ 「南方熊楠という博覧強記の異人_旅の覚書」 ◇  白洲正子「南方熊楠にみる浄愛」 ◇ 「白洲正子と小林秀雄と南方熊楠と」 下記、 「夏目漱石 生誕150年_まとめて」 「正岡子規 生誕150年_まとめて」 です。

折口信夫「冬至の日に,精霊ふゆる『ふゆ』」

中沢新一『古代から来た未来人 折口信夫』ちくまプリマー新書  とても興味深いことに、「まれびと」論や芸能発生論ではもっとも重要な季節が冬至(とうじ )と夏至(げし)の季節におかれていたのに対して、『死者の書』( 折口信夫著) で描きだされた新しい他界論では、春分と秋分の季節がもっとも重要な季節になっている。第一章で述べたように、冬至と夏至には、昼と夜の長さが極端(きょくたん)にアンバランスになり、そのときを選んで死者の霊が、生者の世界を大挙して訪問してくるのである。そのとき「あの世」との通路が開いて、仮面などで姿を隠(かく)した精霊が、舞(ま)いながら「この世」にあらわれてくるのだった。(86頁) ◇ まれびと:折口信夫の用語。海のかなたの異郷(常世)から来訪して、人々に祝福を与(あた)えて去る神。 精霊ふゆる「ふゆ」 多くの祭りが、昼と夜の長さがもっともアンバランスになる冬至と夏至に集中しておこなわれる。  この冬至と夏至をはさんで、「古代人」は精霊(スピリット)をこの世にお迎(むか)えする祭りをおこなう。夏至をはさんだ夏のお祭りの期間には、死霊(しりょう)のかたちをとった精霊の群れが、生きている者たちの世界を訪問してくる。死霊には、まともな死に方をして、しかも子孫たちから敬われつづけている先祖の霊もいれば、横死をとげた幼い子供のうちに亡(な)くなってしまった者たちの浮かばれない霊もいる。そういう多彩(たさい)な死霊たちが大挙して戻ってくるのを、「古代人」は心をこめてお迎えしようとしたのである。  その夏の時期の精霊来訪の祭りは、のちのち仏教化されて、お盆(ぼん)の行事となったけれど、そこには「古代人」の思考の原型がはっきり残っている。お盆の行事としておこなわれる「盆踊(おど)り」を見てみよう。 (中略)  冬至をはさんだ一、二か月は、その昔は霜月(しもつき)と呼ばれて、やはり精霊を迎える祭りがおこなわれた。しかし冬の期間におこなわれるこの祭りでは、夏の精霊迎えの祭りとはちがった考えが支配的だった、というのが折口信夫の考えである。この期間、精霊の増殖と霊力の蓄(たくわ)えがおこなわれるのである。折口信夫の考えでは、「冬(ふゆ)」ということばは、古代の日本語に直接つながっている。「ふゆ」は「ふえる」「ふやす」をあらわす古代語の生き残りなのである。  冬の期間に「古代

司馬遼太郎「言挙げせぬ神々」

司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神 道 (7) 」  神道という用語例は、すでに八世紀の『日本書紀』にある。  シントウと澄んでよむならわしは、平安時代にはじまるという。  理由は、日本語は元来、清音をよしとしてきたという程度だったろう。「いろはにほへと」も、すべて清音である。和歌も、明治以前はすべて清音だけで表記されてきた。古音は、一般に澄む。  神道に教義がないことは、すでにふれた。ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、沈黙がその内容にふさわしかった。  『万葉集』巻第十三の三二五三に、  「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら、言挙(ことあ)げせぬ国」  という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。  神(かん)ながらということばは、 “神の本性のままに” という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。  神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性として ー神ながらにー 生きているだけのことである。くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のように、論をなすことはない。  例としてあげるまでもないが、日本でもっとも古い神社の一つである大和の三輪山は、すでにふれたように、山そのものが神体になっている。山が信徒にむかって法を説くはずもなく、論をなすはずもない。三輪山はただ一瞬一瞬の嵐気(らんき)をもって、感ずる人にだけ隠喩(メタフア)をもって示す。(66-68頁) 「神 道 (4) 」  平安末期に世をすごした西行(1118〜90)も、(伊勢神宮に)参拝をした。 「何事(なにごと)のおはしますをば知らねども辱(かたじけな)さの涙こぼるゝ」  というかれの歌は、いかにも古神道の風韻をつたえている。その空間が清浄にされ、よく斎かれていれば、すでに神がおわすということである。神名を問うなど、余計なことであった。  むろん西行は若いころ北面の武士という宮廷の武官だったし、当代随一の教養人でもある上、伊勢では若い神官たちに乞われて歌会も催しているのである。 “何事のおはします” かを知らないどころではなかった。(44頁)  神道のおよその変遷を知った。  

TWEET「時間が頭ごしに」

師走です。 時間が頭ごしに過ぎ去ってゆきます。 いまから年末の読書週間とします。今年の帳じり合わせに躍起になっています。 まず、 ◇ 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫   「神 道 (1)〜(7) 」 を読み直すことからはじめます。一昨日読み終えましたが要領を得ず、再読、三読を強いられています。伊勢詣後、神様のことばかりが気になっています。 納得がいくまで読みます。

TWEET「留守と知れ」

るす 高橋新吉 留守と言へ ここには誰も居らぬと言へ 五億年経ったら帰って来る 死出の旅といい、行き倒れといい、また野ざらしというも、我ひとりの道行きである。 留守と知れ ここには誰も居らぬと知れ 亡き者と思へ 邪魔立てはするな 人は食い物ではない お願いですから、ひとりにしてください。

TWEET「いざ鎌倉へ」

東京在住の甥から、「いざ鎌倉へ」のひと声がかかるのを待っている。 はじめに、 「東慶寺」 にて、小林秀雄、釈宗演、鈴木大拙、西田幾多郎、和辻哲郎、岩波茂雄のお墓をお参りして、 「円覚寺」 にて、井筒俊彦の墓前で合掌する。 また、 「建長寺」 にて、 「建長寺法堂の天井画『雲龍図』」 をながめ、 「鶴岡八幡宮」 「長谷寺」 そして、 「日本近代文学館」 と、茅ヶ崎市にある、 「開高健記念館」 「開高健記念館 開高健オリジナルグッズ」 へと向かう。  シェルターを二つ並べての野営以外は、別行動がいいと思っている。その辺りは臨機応変にと考えている。 いま手元に、 ◇『新版改訂 鎌倉観光文化検定 公式テキストブック』 ◇『歴史を知れば3倍たのしい 鎌倉の古社寺』淡交ムック ◇ 原田寛『知れば楽しい古都散策 鎌倉謎解き街歩き』じっぴコンパクト新書 の三冊がある。 なお、Dr.T 推薦の、 ◇ 小川糸『ツバキ文具店』幻冬舎文庫 と、以下の二冊を購入した。 ◇ 小川糸 『キラキラ共和国』 幻冬舎文庫 ◇『ツバキ文具店の鎌倉案内』 幻冬舎文庫 小説は冗長で眠くなるので、代わりに読んでもらった。

TWEET「余滴_2020年秋 古社寺巡拝後」

 合掌するたくさんの姿を、行く先々で目の当たりにしました。  帰宅後早速、仏壇の手入れをし 、仏間をきれいにしました。  そして、時に緊張した心身を和らげるために、日の高いうちから入浴するようになりました。P教授曰く “甘露” です。心身を労わることを覚えました。

「2020年秋 私の古社寺巡拝_覚書_3/3」

以来、神様のことがしきりに気になっています。 2020/11/16(月) 午後 出立。 伊勢湾フェリーで、伊良湖から鳥羽へ向かいました。 洋上で潮風に吹かれたのは久しぶりのことでした。 伊勢市内の書店「BOOK SQUARE ララパーク店」さんで、 ◇ 神宮司庁 編・著『図解 伊勢神宮』小学館 「奉祝 令和 神宮司庁広報室の神職たちが執筆・編集した初めての「神宮」読本」 に出会ったのは幸運でした。 2020/11/17(火) 「伊勢神宮 内宮」 「伊勢神宮 外宮」 ほとんどの時間を「せんぐう館」で過ごしました。 2020/11/18(水) 「室生寺」 「大野寺・弥勒磨崖仏」 2020/11/19(木) 「本居宣長記念館」 「本居宣長之奥墓(おくつき) 」 2020/11/20(金) 帰路  伊勢湾フェリーで、荒れ模様の湾内を鳥羽から伊良湖へ向かいました。神島の島影を認めると旅の終わりを感じました。 白波の寄せる恋路ヶ浜が見たくて、伊良湖ビューホテルに立ち寄り帰宅しました。 「室生寺にて」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 電車で行くと、近鉄室生口で降り、そこから室生川を六キロばかりさかのぼる。駅の近くには、磨崖仏で有名な大野寺があり、清らかな河原をへだてて、切り立った断崖に、みごとな石仏が刻まれている。この寺には、大きなしだれ桜が二本あって、春はこまやかな花をみっしりつけ、紅(くれない)の垂簾の奥ふかく、ほのかに仏が在す気配は、たとえようもなく、優美である。  春もいいが、秋も一段と風情がある。ある晩秋の夕暮、室生への帰りに立ちよったとき、落日の斜光の中に、全身がくっきりと浮かび上がり、冷たい石の肌に、山の紅葉が反映して、「弥陀来迎の図」を拝む思いがした。おそらくあのような光景は、一生に一度のものに違いない。それは険しい絶壁に向かって、仏を彫ろうと決意した人の、発願の場に立会うような心地であった。(110-111頁)

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」

「プー太郎は暇そうだけど、気苦労もありますか?」 とのP教授からの問いに、 「呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。」 と応えておきました。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁) 下記、 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全) です。

TWEET「いざ茅ヶ崎へ」

「いざ 茅ヶ崎へ」とは、茅ヶ崎市にある 「開高健記念館」 へ、という意味です。 「開高健記念館 開高健オリジナルグッズ」 のサイトで、 ◇ 濱野ちひろ『 聖なるズー』集英社 「犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」。性暴力に苦しんだ経験を持つ著者は、彼らと寝食をともにしながら、人間にとって愛とは何か、暴力とは何か、考察を重ねる。2019年第17回開高健ノンフィクション賞受賞作。」 を知り、昨日注文しました。明日到着の予定です。  何やらおかしな気分がしています。不穏な状態の内にあります。

TWEET「余滴_閉塾後」

 2020/11/22(中学生を対象とした個人)塾を閉じました。  間接的にではありましたが、不謹慎極まる中学校の先生方とのおつき合いがなくなり、開放感に浸っています。我関せず、知らんぷりを決め込んでおります。 TWEET「ボーヨー,ボーヨー」 なぜ返事ができないのか。 なぜ挨拶ができないのか。 昨日塾を閉じました。 快哉!! 晴れて自由の身です。 ボーヨー、ボーヨー、前途茫洋。

TWEET「うかつでした」

  昨夜の夜空は格別にきれいでした。煌煌と照る立待月とオリオン座の共演はみごとでした。残念ながら北の夜空の天体ショーは望めませんでした。今夜は葦毛湿原の入り口に位置する長尾池で北の夜空をと考えています。毎年蛍狩に行く場所です。  うかつでした。危うく見逃すところでした。教えていだき感謝しております。 追伸:J 君のお披露目です。

TWEET「2020/12/01 豊川河畔にて_明月の入り」

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「穏やかな朝ぼらけです」 「列をなして鳥が飛んでいきます」 「風が出ました。 空が朱に染まっています 」 「北西の空です」 「月が滲み空と同化していきます」