河合隼雄,谷川浩司『「あるがまま」を受け入れる技術 』PHP文庫
「考えが行き詰まったら寝たほうがまし」
「谷川さんが仰(おっしゃ)るとおり、僕も人間が本当に集中できるのは一時間以内だと思いますね。せいぜい四十分か四十五分ぐらいじゃないかという気がします。
原稿を書いてる時に、だんだん行き詰まってきて憂鬱(ゆううつ)になってくるでしょ。そういう時に、昔は「書かないかん、書かないかん」と思って、なんやかんやと焦ったものです。焦っていろんなことをしてみるわけですが、結局書けないまま時間がどんどん経って、締切が近づいてくるということがよくあったんですよ。ところが、このごろは焦るのをやめたんです。じゃあどうするかというと、書いていて行き詰まったら、パッとそこで寝るんですよ(笑)。
僕は書き物をする時は座り机なんですが、最近では寝る時のために背中の後ろに枕を置いてあるんです。昔はそこに広辞苑が置いてあって、それを枕に寝たこともありましたが、このごろはちょっと昇格して枕を置いてあるんですね。それで、行き詰まったらバタッと後ろに倒れて寝る。その時には十五分寝るとか心に決めておくんです。それで、パッと目が覚めて起きてみると、行き詰まってた原稿があんがいさらりと書けるんですね。
それで、ものすごい能率が上がります。それを以前は「途中でやめたらあかん」と思って頑張ってたわけですが、頑張っても結局そんな時は頭が働いてないんですね。それで時間ばかり経ってしまう。長い時間をかけているから頑張ってるようだけど、本当は何もやってないわけですね。それだったら寝るほうがよっぽどいいです」(137-138頁)
「方向性を持たずに、ボーッと聴く」
「何もしないことが、力を生む」
「それにしても、集中力というのは難しいものですね。カウンセリングの現場でも、クライエントが来られて話を聴くでしょ。その時に、もちろん集中して聴くわけですが、その時の集中力というのは、何かひとつの方向に収斂(しゅうれん)していくような集中の仕方ではなくて、言ってみれば方向性を全部捨てた集中力なんですよ。精神分析学を始めたフロイトは、そのことを「平等に漂える注意力」と言っています。(中略)
そうではなくて、クライエントがたとえ「父が酒飲みで困ってる」とか言っても、「ふんふん」と言って聴いています。そのうち、窓の外に鳥の声がしたら「鳥が鳴いてますよ」「鳴いてるね」というような話もするでしょ。それから、今日その人が来る時に電車に乗り損ねた、なんていう話も出るかもしれませんね。それもみんな平等にボーッと聴いてるんです。あんまりボーッとし過ぎると寝てしまいますが、寝てしまっては駄目なんですよ(笑)。いろんな話が出てきたら、その話と話の境目にいて聴いているというのが大事なんですね。そうやって全体に耳を傾けているうちに、いつか答えが見つかるもんなんです。
おそらく仏教を考えたお坊さんたちは、そういう方向性を持たないような意識を深く深く掘り下げて、ボーッとして寝ているどころか、死んでいる状態に近いぐらいのところまで行って、そういうところからこの世界を見てきたでしょう。そうやって体験した世界のことが書いてあるのがお経だと思うと、すごい面白いんですよ」(146-148頁)
(中略)
「ボーッと聴く」というのは、カウンセリングではとても大事なことです。実はボーッと聴いている背後にはすごいエネルギーが使われているのですが、それがなかなかできないんですね。エネルギーを使わないで単にボーッとしているのでは全然駄目です。それは素人と同じなんですね」(152-153頁)
「何もしないことに全力を傾注する」
「これは何度も本に書いていることですが、私のカウンセリングの考え方の基本は「無為」ということです。「何もしない」ということですね。それも「何もしないことに全力を傾注する」
「クリシュナムルチの「ものごとは努力によって解決しない」という言葉が好きです」(157-158頁)
「老子の言葉で、『無為をなせば、すなわち治まらざるはなし』というのがあります。これは政治の話でして、為政者が一部の人を優遇したりするから争い事が起きる、よけいな作為をしないでおけば治まらない国はない、ということを言ってるんですね。しかしこれは、心理療法でも同じことです」(160-161頁)
「そうなるように僕が導くわけじゃないんです。もともとそういう可能性をその人が持っているんですね。その人がもともと持ってるものが自然に出てくるのを待つよりしようがない。だから、カンセリングというのは大変なんです。待ってるだけの商売ですよ(笑)。本当に気の遠くなるぐらい気の長い話ですね。
大切なのは、ただ待ってるだけじゃないということですね。希望をちゃんと持っている。そこが違うんです。だから、長いこと待っていてもイライラしないんですね。下手な人は、待っているうちにイラつくんですよ。そうすると、相手もイラつくわけです。その点、僕なんかはもう堂々と待っていますから(笑)。
「何もしないことに全力を傾注する」。それはものすごいエネルギーのいる仕事ですよ。よほどエネルギーがなかったらできないです。そのエネルギーをうまくコントロールできないから、爆発してイライラするんですね」(164-165頁)