「富嶽遥拝の旅_小夜の中山」

◇ 白洲正子『西行』新潮文庫
を四読(しどく)中には、“小夜の中山” から眺める “霊峰 富士(不二)” のことがしきりに気になった。
  “小夜の中山峠” は、箱根峠・鈴鹿峠とともに、東海道三大難所の一つにあげられている。

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_たなびく雲」
2021/12/09
晴れると信じていた。疑う余地は微塵もなかった。
いまだ明けやらぬころ出立した。
◆「EXPASA 浜名湖」
 ひと眠りし、目を覚ますと、雲ひとつない青空が広がっていた。湖面は静まり、冬の陽光を反射して、まぶしかった。対岸には舘山寺温泉が見晴らせた。観覧車の半円が小高い山の上から顔をのぞかせ、また一方の頂には、「浜名湖オルゴールミュージアム」がたたずんでいた。
 幾度かお邪魔した「ホテル 九重」さんから見た景色を、ちょうど反対の位置に立って望んでいる格好だった。
 2021/10/31 をもって、「ホテル 九重」さんは、営業を終了した。もう新たな思い出を紡ぐことはできず、過去の思い出だけが残された。
 陽だまりのベンチに座り、去来する思いに身をまかせていた。
◆「道の駅 掛川」
 駅内の「山の坊」さんで、「遠州そば」と「自然薯とろろ汁」をいただいた。
◆「小夜の中山」
 再訪だった。前回は、2021/09/29 に訪れている。

「2021/09/29_富嶽遥拝」

 あるべきはずの富士の嶺(ね)が見当たらず、あわてた。しばらくすると頂上の一角が見えはじめた。山全体をすっぽり覆っていた白雲が南西の風に吹かれ、右から左へとゆっくり動いていた。棚びく雲の切れ切れから、頂上が姿を現しはじめた。その雄姿は神々しかった。

「2021/12/09_富嶽遥拝」

 二時間ばかり眺めていたが、たなびく雲は間断なく続き、ついに晴れわたることはなかった。

この夏、
◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫
◆「西行」
を読み、
◇ 白洲正子『西行』新潮文庫
を読んだ。

「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁)
「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁)
「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな

 これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠まれた歌だ。彼が、これを、自賛歌の第一に推したという伝説を、僕は信ずる。ここまで歩いて来た事を、彼自身はよく知っていた筈である。『いかにかすべき我心』の呪文が、どうして遂(つい)にこういう驚くほど平明な純粋な一楽句と化して了(しま)ったかを。この歌が通俗と映る歌人の心は汚れている。一西行の苦しみは純化し、『読人知らず』の調べを奏(かな)でる。」(小林秀雄「西行」106-107頁)

「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて
  年たけて又越ゆべしと思いきや
  命なりけりさやの中山  」(白洲正子『西行』265頁)
「小夜の中山の歌と、富士の歌は、私にはひとつづきのもののように思われてならない。昼なお暗い険阻な山中で、自分の経て来た長い人生を振返って「命」の尊さと不思議さに目ざめた西行は、広い空のかなたに忽然(こつぜん)と現れた霊峰の姿に、無明(むみょう)の夢を醒(さ)まされるおもいがしたのではないか。そういう時に、この歌は、一瞬にして成った、もはや思い残すことはないと西行は感じたであろう。自讚歌の第一にあげた所以(ゆえん)である。」(白洲正子『西行』270-271頁)

「命なりけりさやの中山」
 霊峰遥拝の旅を続けようと思う。巡拝の道行きである。
 喫茶室の一隅で庭園を眺めながら物思いに耽っていた。幾人かの人と何度かお邪魔した思い入れのある場所である。「ホテル 九重」さんは廃業したが、幸いにも「葛城 北の丸」さんは健在し、思い出の綾を織りなし続けられることがうれしい。

 伯母に土産物を届け、帰宅したのは21時を回っていた。
 年内か、年明け早々か、「小夜の中山」詣のことばかりが頭の内を占めている。


「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_春霞に烟(けぶ)る」
2022/03/11
 早朝に目が覚めた。快晴、四月中旬なみの陽気との予報だった。躊躇(ためら)いはなかった。2021/12/09 に行ったきりの、小夜の中山ゆきを決めた。富嶽遥拝、初詣だった。
 夜が白々と明けるのを待って出立した。
◆「EXPASA 浜名湖」
 春の湖(うみ)が広がっていた。水ぬるむ春、無数のいのちが誕生し、はかり知れない数のいのちが育まれる。
 微風が水面(みなも)を渡り、湖面は震えていた。陽光を反射した光の粒がまぶしく、玉のようだった。
 陽だまりのベンチに座り、結構な時間を過ごした。
 対岸の舘山寺温泉をのぞみ、2021/10/31 をもって営業を終了した、「ホテル 九重」さんのことを思った。
◆「道の駅 掛川」
 写真を撮るのが目的だった。時刻を留めておきたかった。旅の覚書きである。
◆「小夜の中山」
 歌枕を訪ねての旅だった。三度(みたび)目の小夜の中山峠だった。
 春霞が立ちこめ、富士の雄姿こそ認められなかったものの、これが霞立つ春に似つかわしい、富士の遠景かもしれないと思った。しばらくすると、霞を透かして富士の輪郭が眼に映った。それは「気配」を感じた、というほどの心細さだった。
 時折現れては消える「気配」を偏光グラス越しに見た。乱反射が一掃され景色が一変した。それはまぎれもない富士の高嶺だった。
 以下の写真は、私が目視していた富士の形姿である。「気配」だけでも感じていただければ幸いである。眺めることより、霊峰の在ることの、どれほど尊いことか、を思う。

「2022/03/11_富嶽遥拝」
「2021/09/29_富嶽遥拝」

 霞は濃くなるばかりで、一時間あまりを過ごし峠を下った。
◆「葛城 北の丸」
 喫茶室の一隅で庭園を眺めていた。細い流れに石橋がかかっていた。一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。細い流れにかけられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。縦横の比が美しかった。
◆「砥鹿神社」
 高速道路を下り、「三河國一宮」である「砥鹿(とが)神社」を参拝した。こちらも初詣だった。

そして、17時過ぎに帰宅した。
行くところ、どこも梅の花が満開だった。


「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_薨(みまか)る?」
2022/03/27
 見ごろをむかえた桜の花が、青空に映えていた。「まん延防止等重点措置」が解除された、はじめての日曜日だった。人出は覚悟の上で、10時半過ぎに出立した。遅い出発だった。

◆「EXPASA 浜名湖(上り)」
 風が吹き、湖面はざわついていた。
 湖岸の、一面 芝生の広場には、いたるところで、春を、桜の開花を楽しむ姿が見られた。皆 明るく開放的だった。健康という言葉を思った。
◆「道の駅 掛川」
 今回は、よそ目に先を急いだ。
「Google Maps」の示す道順がいつもと違った。交通渋滞を鑑みての判断だったのだろうか。素直にしたがった。
◆「小夜の中山」
 駐車場には 3台の車しかなかった。
「小夜の中山公園」前の、仕舞屋(しもたや)とばかり思っていた、峠の茶屋「末広荘 扇屋」さんが店を広げていた。江戸時代からつづく老舗である。「佐夜中山 名物 子育飴」とミネラルウォーターを買った。手作りの「子育飴(水飴)」は、瓶に入っていた。杉箸のような棒にからめ取られた飴を、いわれるままに、「れろれろ」と口の中で転がした。淡い甘味が広がった。「れろれろ」しながらお話をうかがい、またリーフレット、
◇ 掛川市観光交流課「東海道 小夜の中山峠 周辺案内」
をいただいた。

「2022/03/27_「末広荘 扇屋

霊峰は雲隠れされたか? 薨られたか?
一時間あまり過ごしたが、雲は動く気配がなかった。

「2022/03/27_富嶽遥拝」

「2021/12/09_富嶽遥拝」

 帰り際に、「掛川茶」をいれていただいた。ほんのり甘かった。「扇屋」さんは、土・日・祝日のみの営業とのことだった。
 駐車場わきの、アトリエとばかり思っていた「夢灯(ゆめあかり)」さんは、浮世絵美術館だった。こちらも、土・日・祝日のみの開館とうかがった。
 休日の再訪を約した
 今日は、ご予約のお客様のみでの営業です、とのことで、花を眺めながら、辺りを散歩した。手入れのゆきとどいた青松と桜花との対照がまばゆかった。

◇ 掛川市観光交流課「東海道 小夜の中山峠 周辺案内」
は、誠によくできたリーフレットである。
 14の歌碑・句碑の案内図が載っている。
『奥のほそ道』の冒頭には、
「古人も多く旅に死せるあり」
「(風雅の道に生涯をささげた)昔の人々の中にも、旅の途中で死んだ人が多い」
とある。そして、「古人」として、芭蕉は、李白・杜甫・西行・宗祇 の名をあげている。

「 あづまのかたへ、あひしりたる人のもとへまかりけるに、さやの中山見しことの昔に成たりける、思出られて
  年たけて又越ゆべしと思いきや
  命なりけりさやの中山 」(白洲正子『西行』265頁)

「 命なりわづかの笠の下涼み 」(芭蕉)

 芭蕉の旅は「歌枕」を訪ねての旅だった。芭蕉は、西行に遠慮しているかのようでおかしい。

四度(よたび)目の「小夜の中山峠」越えだった。帰宅したのは、19時をまわっていた。
次回は、「山笑う」新緑の季節か、と思っている。


「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_高嶺の花」
2022/05/08
 寝つけずに、時計を見やると 3時をまわっていた。いまから寝ると、起きるのは昼ちかくになるだろうと思うと、やりきれなかった。GW の最終日、混雑はないものと信じ、「小夜の中山峠」に向かった。5度目の「小夜の中山」詣でだった。晴れやかな春の高嶺を遥拝したかった。
◆「EXPASA 浜名湖(上り)」
 北東の空が朱に染まっていた。空気が澄んでいたのだろう、対岸の舘山寺温泉のホテル街が、いつになくはっきりうかがえた。陽は湖面から昇ることはなかった。寒い夜明けの時間を過ごした。


◆「道の駅 掛川」
 8時前だった。農家の方たちが丹精こめて作った作物を、忙しく店内に並べる姿が見られた。
「お茶処 東山」さんで、初摘みの「掛川茶」を求めようと思ったが、開店前だった。
◆「小夜の中山」
 霊峰の姿はなかった。所詮 私にはすぎた、高嶺の花だった。そっと合掌した。
 初老の夫婦連れがやって来た。二番茶を摘む支度である。二番茶を摘む際に、新緑の葉に古参の葉が紛れないように、のびた葉を刈り取っていた。一番茶は、八十八夜の前日 05/02 に摘んだそうである。一番茶、二番茶、最番茶(番茶)、最番茶とは若葉にひと冬を越した葉が混ざったお茶をいうそうである。
「今日は見えないよ。光化学スモッグがかかってるし、風もない。あきらめて帰った方がいいよ」
とそっけなくいわれた。私は光化学スモッグを春霞と勘違いしていたのだろうか。あり得る話だけに悲しかった。今ごろ「不二の山」は咳き込んでいるのだろうか。風は「不二」に向かって吹く、北西の風が吹かないと見えないそうである。
 峠の茶屋の「扇屋」さんの開店前に、浮世絵美術館「夢灯」の開館を待たずして、「葛木 北の丸」さんに寄ることもなく、9時を前にして踵を返した。
「EXPASA 浜名湖」で寝むことばかりを思っていた。

「2022/05/08_光化学スモッグ?」

「2021/09/29_高嶺の花」

◆「EXPASA 浜名湖(下り)」
 ひと眠りする前に、「浜太郎」さんの浜松餃子をいただいた。美味しく、タレなしでほうばった。


 ボードセーリングを楽しむ、浜名湖の午後の陽射しは夏だった。
 叔母にお土産を買った。どこのサービスエリアも、当地のまた他所の地の、お土産物がところ狭しと並ぶ、土産物のデパートである。

 帰路、叔母にお土産を届け、夕方帰宅した。お年寄りの話は長く、すっかり餌食なった格好だったが、飛んで火に入ることもときには必要である。
 次回は、「小夜の中山」経由で、全国に1300社ある「浅間神社」の総本社である「 富士山本宮浅間大社」を目指す予定である。その後、「壮大な雨漏り(白糸ノ滝)」を見物し、「富士宮焼きそば」をいただき、近場の温泉につかる。その際には、「山笑う」ことを願っている。


「富嶽遥拝の旅_小夜の中山,富士山本宮浅間大社,本栖湖_梅雨のはしりの晴れ間に」
2022/05/14
 梅雨のはしりの晴れ間に、富嶽遥拝に出かけた。8時に出立した。当日14時から翌日14時まで、快晴の予報だった。
◆「EXPASA 浜名湖(上り)」
 雨が上がり風が出た。風雨が塵埃を一掃し、空気が澄んでいたのだろう。前回にもまして、対岸の景色がはっきりうかがえた。
◆「道の駅 掛川」
◇「山の坊」
「遠州そば」と「自然薯とろろ汁」をいただいた。
◇「お茶処 東山」
「新茶 天與(てんよ)の雫」と「限定 新茶 生茶 大走り」をセットにして、二軒に送った。
 試飲した「新茶 さえみどり」は、甘くまろやかだった。お手ごろなお値段で、自家用に購入した。
◆「小夜の中山」
 車を下りると、北西の風が吹いていた。富士の峰(ね)に向かって吹く風は、「天與の風」であることを前回学習した。期待が高まった。


 白雲にふわりと包まれた霊峰は神々しかった。頂上付近の幾筋かの谷には残雪がみられた。


 目前に広がった茶畑は、雨に洗われて美しかった。
「小夜の中山峠」は、「箱根峠」,「鈴鹿峠」と並ぶ、東海道三大難所の一つである。峠に立った旅人たちにとって、富士の高嶺は、格別に映ったことだろう。

◆「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」
 個人の収集である。一年を四期に分けて各テーマにそって展示されている。
 今回のテーマは、「日坂(にっさか)・掛川の宿展」だった。40の作品が掲げられていた。「廣重」,「北斎」のものが多く、そのほかには、「豊國(とよくに)」,「爲信(ためのぶ)」,「巴水(はすい)」のものが散見された。
 来館者は私ひとりで、館長さんにはつきっきりで解説していただいた。中学校の社会科の先生をされていたということで、丹念だった。
 浮世絵は、絵師・彫師・摺師、三者の共同(分業)作品であるが、いまでは絵師の名が伝わるばかりである。しかし、宿屋の前の幟(のぼり)に、彫師や摺師の名前が忍ばせてあったりするから、おもしろい。また、絵師によっては下絵に色をつけず、ここは「青」と書くのみで、初刷を見た具合で、色を修正することもあった、というから呑気なものである。館長さんは、彫師を最も評価されていた。
 私が、廣重の「大はしあたけの夕立」の雨脚のことを口にすると、「大盗人」の鬢(びん)の生え際を見るように、ルーペを渡された。髪の毛一本、一本が執拗なまでに描き込まれていた。ぼかしではなかった。木版であるから、周りを彫り進み、髪の毛一本、一本を残した、ということである。桜の版木の木目が写っている浮世絵があり、版木に凹凸をつけ模様にした浮世絵があった。また、雨上がりのことか、打ち水でもしたのか、路面が光っている絵があったが、なぜ濡れているようにみえるのかは、不明のままだった。
 江戸時代の文化は町人がになった大衆文化である。浮世絵は名所案内であり、ブロマイドだった。一部がおよそ蕎麦一杯程度の値段だったという。まず、100部刷り、人気のある作品は1000部以上売れたという。こうなると版木が傷み、細部はつぶれてしまうそうである。
 2時間あまりの長逗留だった。次回は、「袋井・見附の宿展」である。
 浮世絵の色には、深みがあり、滋味がある。私の眼は終始、その色づかいの妙味を追っていた。三者の共同作品にしてはじめて出る色のような気がしている。
 江戸時代、町人文化とてじゅうぶんに粋だった。
◆ 峠の茶屋「扇屋」
 「浮世絵美術館 夢灯」を出て、「扇屋」さんに向かった。前回と同じ、「子育飴」と「ミネラルウォーター」を買った。東海道を歩く人の姿が見られた。
◆「EXPASA 清水(上り)」
 設計が、抜きん出て美しいサービスエリアである。コンシェルジュで、「富士山本宮浅間大社」の駐車場のことと、近場の温泉のことを尋ねた。丁寧に応接していただいた。
◆「富士山本宮浅間大社」


 全国に1300社ある「浅間神社」の総本社である。
 再訪だった。「神札」を求めた。
 曇り空が広がっていた。北に見えるはずの富士の姿がなかった。思いもよらぬことだった。
◆「大阪屋」
◇『大特集 富士山_山と溪谷 2019 No.1015 11』山と溪谷社
で紹介されていた「大坂屋」さんで、「富士宮焼きそば」をいただいた。
 もっちりとした太めの麺に甘めのソース、イワシの削り粉がかけられてこくがあり、上には半熟の目玉焼きがのっているのが主な特徴である。
「富士山本宮浅間大社」から 10分ほど、坂のある町を歩いた。写真と瓜二つの女性(ひと)だった。盛りだくさんの具が入っていた。
「また来ます。お元気で、どうぞ」といって店を出た。
◆「イオンモール 富士宮」
 夕闇もせまり、ゆっくりしたかった。
「モール」なるところに、はじめて足を踏み入れた。多数の店舗が出店している一大市場である。活気があり、明るく清潔だった。このような大型商業施設ができれば、人の流れが変わり、そこに栄枯盛衰がみられるのは当然のことだろう、と思った。
◇「倉式珈琲店」
 あっさりした珈琲を、とお願いすると、「東ティモール サンライズマウンテン」を勧められた。思い通りのさっぱりした珈琲だった。なにをするともなく、つい長居をした。
◆「富嶽温泉 花の湯」
 鷹揚な作りの温泉だった。
◆「マクドナルド 富士宮店」
 車中泊。

2022/05/15
◆「富士山本宮浅間大社」
 開門の5時に合わせて参拝した。


◆ 「白糸ノ滝」
 白糸を織りなし布となす。「白糸ノ滝」こそ「瀑布」という名にふさわしい。
 年間を通し水温 12℃、1.5トン/秒の湧水は、壮大な「雨漏り」だった。


◆「本栖湖」
 本栖湖まで足を伸ばしたが姿は見えず、湖岸を一周しようと思ったが断念した。
◆「イオンモール 富士宮」
◇「倉式珈琲店」
「倉式ブレンド」「倉式モーニング」をいただいた。
 その後、屋上に向かった。富士宮で遥拝した、唯一の富士の峰(ね)だった。予想以上に雄大だった。


◆「EXPASA 清水(下り)」
 素通りするのは忍びなかった。

 夕方帰宅した。
「小夜の中山」には期待していなかった。「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯」を観覧し、「扇屋」さんに顔を出せば、それでよかった。
 富士宮で富士の雄姿を遥拝できないとは予想外のことだった。再訪を期している。


「浮世絵美術館 夢灯_小夜の中山」
2022/07/08
 17時に出立。「小夜の中山峠」までは 2時間もあれば行けるが、前日に出発した。読みかけの、
◇ 白洲正子『西行』新潮文庫
を、旅先で読み了えるのが目的だった。折りしも「富士の煙」の章にさしかかり、「小夜の中山」の記述もみられる。

◆「東京庵 豊川店」
「水車天ざる定食」をいただいた。
◆「EXPASA 浜名湖(上り)」
 仮眠後、うつらうつらした頭で、文庫を数十頁ほど読み、気分転換に浜名湖を見にいった。いまだ明けやらぬ湖(うみ)である。湖は凪いでいた。いつになく静かだった。

2022/07/09

◆「道の駅 掛川」
 人混みにまぎれるのがいやで、車中にいた。「道の駅 掛川」から「小夜の中山」までは、ほんの10分ほどの距離である。車中で本を読んでいた。蒸し暑く、冷房が必要だった。
◆「小夜の中山」
 曇り空のもと、富士の高嶺は望めないことは分かっていたが、いつもの私の「遥拝所」に立たなければ気がすまなかった。


 帰り際、夏アザミにとまるチョウを見つけた。チョウは羽を閉じたり開いたりし、息をついているかのようだった。チョウはギリシア語でプシケ、 “魂” を意味する。チョウは霊峰富士の使者か、と思った。
◆「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」


 開館の 10時を過ぎてもドアは開かなかった。峠の茶屋「扇屋」さんを切り盛りしている女性が、先生はもうすぐ来ると思うよ、と声をかけてくださった。あきらめて帰る寸前だった。
 今回のテーマは、
「袋井・見附の宿展」
だった。
 はじめは私ひとりだったが、その後 女性二人組が来て、さらに男性ひとりが加わった。館長さんの、あちこちに気を配りながらの解説は、みていて気の毒だった。
 私が探しにきた「緑色」は、松の緑でもなく、山の緑でもなく、今回は見つからなかった。
 収集歴50年、収集のすべてを並べると、700m になるそうである。
 髪の毛の生え際の、虫メガネで見なければ、それとは分からない細線、桜の版木の年輪が写った絵、後ろ手を組んだ人物の手のひらと手の甲の描き間違え、廣重と北斎の対比、幕府の検閲の印(いん)についての解説。私は疲れて中央に置かれていたソファに座りながら聞いていた。館長さんはいままでに際限なく同じ解説を繰り返し、しかし館長さんの関心は他のところにあるに違いなく、なんという辛抱強さか、と思った。
 二時間あまりお邪魔した。消耗した。峠の茶屋「扇屋」さんには、寄ることなく帰路についた。
◆「遠州豊田PA(下り)」
一時間ほど午睡をした。
◆「EXPASA 浜名湖(下り)」
 雨上がりの浜名湖は濁り、荒れていた。
「広島焼き」をいただいたが…。

 高速道路を下りると、憂鬱になった。小雨が降り出した。芬々たる市街地の臭いを感じた。どうしてもこの街が好きになれない。手枷足枷を科されたような不自由さを感じている。旅の終わりに毎回抱く感懐である。
 16:30 に帰宅した。結局、
◇ 白洲正子『西行』新潮文庫
を読み了えることはできなかった。
 感染者数が漸増し、第7波か、という声も聞かれる。自粛を余儀なくされる生活がしばらく続くだろう。この時期に、「浮世絵美術館 夢灯」さんの展覧にふれることができたのは幸いだった。しかし、それにもまして、「夏アザミとチョウ」という浮世の絵はみごとだった。