近ごろ気になっている歌がある。良寛の歌である。
『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社
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「われありと たのむひとこそ はかなけれ ゆめのうきよに まぼろしのみを」(6-7頁)
勝手にこしらえた「 われ」を主人に仕立てあげ、顧みない人は虚しい。この「ゆめのうきよに」「まぼろしのみを」見て、一生を終えてしまうことになる、というほどの意であろうか。 「ゆめのうきよに」と「ゆめのうきよの」とでは、歌のもつ意味が変わってしまうのは当然のことだろう。
「われ」はいずれ、「空」,「仏心」,「いのち」に包摂され、やがて溶融し消失してしまうものである。 私の書くのは仏教哲学・「哲学的信仰」であり、実体験でないのは口惜しい。我も「われありと たのむひと」の一人である。 |