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TWEET「慶祝!甲子園出場」

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  2025/07/27,「第107回全 国高等学校野球選手権愛知大会」において、豊橋中央高等学校が 初優勝しました。市内の高校が夏の甲子園に出場するのは、豊橋商業高等学校 以来 74年ぶりの快挙です。   くじ運がよければ、Best 8 までは駒を進めることができますが、そこには “私立4強”(東邦、愛工大名電、中京大中京、享栄) が顔をそろえ、前にはだかっ ているのが例年のことです。今年も “私立4強” が勢ぞろいしています。愛工大名電、東邦 を敗っての甲子園出場ですから、立派です。 「慶祝!甲子園出場」   愛知県は、政治・経済はもちろん 何ごとにつけ、 “西高東低”といわれています。当地はその東の端に位置していますから、推して知るべし、ということです。  斜陽の街の 大きな話題です。  豊橋中央高等学校の甲子園でのご活躍をお祈りしております。  この作文は、メールでのお問い合わせの返信に、手を入れたものです。  蚊帳の外のことでしたが、いまではすっかり “豊橋中央 通” になってしまいました。

TWEET「夏草や」

 昨日 屋敷内の夏草を 一通り取り終え、そして今日の夕方、45L のごみ袋 一つと、30Lのごみ袋 五つをゴミステーションへ出しにいった。   容量削減のために、取った草は所々に集めて積んでおいた。一日 日ざらしにすると干し草になり、懐かしい匂いがした。  何日間かにわたって、夕方 6 時30分 前後から薄明時までの、およそ1時間あまりを、草取りに費やした。早朝の草取りは、夏の清々しい朝がだいなしになるようで、1日で止めた。  草取りは、雨後がいいとされているが、酷暑の、夏の日照り雑草は、へたっていて、草を取るには最適期か、と思っている。  蚊は  30℃ を超える日中の暑い時間には活動を停止する。蚊が活動をしはじめる時間帯に、私は草取りをしていたことになる。が、老齢のため、さして苦にはならなかった。蚊にも相手にされない年齢になった。蚊よけには、加齢臭が効果覿面である。  夏草には遠慮も容赦もなく、間もなく次の一巡が待っている。 以下、 TWEET「草むしり」 です。ご参考まで。

TWEET「TUNAMI」

 ロシア・カムチャツカ半島沖で、日本時間 8時25分ころ発生した、マグニチュード 8.8 の地震で、太平洋岸の広い地域 で、津波警報が発令された。  今日は “中潮” でした。ちょうど干潮と満潮の中ほどの時間帯に、豊川(とよがわ)にかかる “豊橋(とよはし)” を車で通りました。1m ほど水かさが増しているような気がしました。しかし、台風時等のように、旧堤防から水があふれるほどのものではなく、ひとまず 安心して帰宅しました。  海水が、豊川をさかのぼったのは、はじめてのことです。  日本は、地震といい、「TUNAMI」といい、台風といい、災害列島です。昨今では、気候変動による被害、また常態化した人事の腐敗もみられ、被災害列島 日本です。

TWEET「動詞_あたける」

『 精選版 日本国語大辞典 第二版』 「あた・ける」 〘自カ下一〙 (「あだける」とも) ①あばれさわぐ。当たり散らす。乱暴する。 *歌舞伎・兵根元曾我(1697)二 「あれあの如く鼠があたけます」 ②たわむれる。おどける。 *物類称呼(1775)五 「ざれたはふるる事を〈略〉陸奥にて、あだけるといふ」  いとけない子どもの悪戯、といった語感がある。昨今の厳しい天候、見苦しい人事には使わない語であろう。  2021/04/30、 macOS版「辞書 by 物書堂(ものかきどう)」 が、「 Mac App Store」にてリリースされた。私は、一昨日知った。Mac で使用することは諦めきっていたので、気にも留めていなかった。お粗末だった。  その記念としての「動詞_あたける」 である。

TWEET「涼をとる」

 真夏日が続いている。  日がな エアコンの冷気に包まれている。 “涼をとる” といった趣 も従容としたところもなく味気ない。が、そんな悠長なことをいっている場合ではない。  旧軽井沢の別荘にいると思うことにした。土地柄は人を変える。有島武郎、室生犀星、芥川龍之介、川端康成、堀辰雄、遠藤周作らの錚々たる文豪たちの文章にあやかれればと、たいそうなことを考えてている。

TWEET「年寄りあつかい」

  ここ数年 何かと “年寄りあつかい” されるようになった。易しい言葉づかい、優しい応接が多くなった。余所目にはもう “ 年寄り ” に映るようで、たび重なれば食傷気味にもなる。  が、 いまでは、“易しさ”、 “ 優しさ” に触れ 、心地よさを感じるようになったから、本物である。  馬齢を重ね、老醜をさらすのも先々のことではなく、 遅かれ早かれ そっぽを向かれるときがくることは覚悟している。

TWEET「相談者として」

 上手に聴いていただくと、体が明るく、伸びやかになる。  精神科受診時の話である。 「聴く」ということについては、いままで随分と読み、また書いてきたが、相談者としての立ち位置については、考えたことがなかった。  15分前後と短い面接時間で、要領を得た話をするには、事前の準備が必要である。漫然とした話に終始すれば、せっかくの面接が診察・問診に転落してしまう。  要領を得た話とは、こころの深奥に秘めた内容を話題にすることである。 “死と再生の物語” であるから、恐怖をともなう。が、医師と二人で紡ぐ物語である、という安心感がある。  昨日の受診は、私が午前中最後の患者だった。N 先生はいつになく静かで、落ち着いていた。いい時間を過ごすことができ、ありがたかった。

TWEET「草むしり」

 検索すると、「除草」と「草取り」は同義語で、「草むしり」は草を根から抜き取ること、「草刈り」は道具を使って雑草を刈ること、と意外なことが分かった。  私は「草むしり」をしようとしているが、なかなか根こそぎに、とはいかない。  除草剤はまきたくない。地中の微生物が絶え、土が死んでしまう、とはいえ、今春 土の上にシートを敷きつめ、その上に玉砂利を敷くという蛮行に及んだ。が、シートの下のことは多少 気になっている 。  シートの上に生えた草は、気持ちよく根こそぎ抜ける。その網状に張りめぐらされた “ひげ根” を見ると、「草むしり」は到底かなわないと思う。  「草取り」をしながら屋敷内を一巡すると、さらに もう一巡 促される。 「草取り」は、 際限のない作業である。適当で、 いい加減な が「草取り」の秘訣か、と思っている。  

TWEET「ほんの手遊びとはいえ」

 過去3か月間に、 木坂 涼「魚(うお)と空」の閲覧が、5101 回あった。また、過去30日間に、 3049 回の閲覧があった。そして、いまもなお読まれ続けている。 2018/06/26 木坂 涼「魚(うお)と空」 光村図書出版『国語 1』(70-71頁) 急降下。 鳥が 翼(つばさ)で 海を打つ。 鳥は もう摑(つか)んでいる。 波は 海のやぶれ目を ごまかしている 魚は 海を脱(ぬ)けでる 初めて そして たった一度だけ。 空の高見(たかみ)で もうひとつの空へ のまれる  「海のやぶれ目」の意味が解らない子どもたちが結構います。「もうひとつの空」とは、「彼岸」という意味なのでしょうか。  釣り上げた「ちびっこ(ブラック)バス君」を宙づりにすると、「キョトンとした顔つき」をしてぶら下がっていることがあります。はじめてふれた世界に何が起きたのかわからないのでしょう。「ちびっ子バス君」たちにとっては、手荒い洗礼です。水面とは、水中と空中を分かつ一枚のフィルムです。釣りとは、一枚のフィルムをはさんでの攻防です。 2018/09/03 「詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』の閲覧数について」  2018/06/26 に、手遊びに書いた、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」 の閲覧数が 100を越え、意外に思っています。   光村図書出版『国語 1』からの引用です。中学生諸君の閲覧なのでしょうか。毎日のように 読まれています。 過去 閲覧数の最も 多いブログは、 「小林秀雄が解釈する、本居宣長『敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花』」(2017/04/02) で、 総閲覧総数 32348 と、他を圧倒している。第2位が急伸の、 詩一篇_木坂 涼「魚(うお)と空」( 2018/06/26) で、 総閲覧総数 9944 .。第3位が、 小林秀雄「中原中也の思い出」(2017/08/110) で、 総閲覧数 1859 。第4位が同じく小林秀雄の、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」(2017/08/11) で、 総閲覧数 1821  となっている。  閲覧数上位のブログを、つらつらと眺めていると、硬派なブログで占められていることが見て取れる。私のブログ中の “古典” である。  しかし、「 詩一篇_木坂 涼『魚(うお)と空』」だけは解せない。ほんの “ 手遊び ”...

TWEET「山野草の盗掘」

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「コチョウラン」 「ツリガネソウ」  昨日 叔父から、鉢植えの「コチョウラン」と地植えの「ツリガネソウ」の画像が届けられた。ゆかしさに心が和む。  希少種の多い「山野草の盗掘」はいただけないが、「花盗人に罪はなし」には一理ある。  叔父の庭に咲く「コチョウラン」と「ツリガネソウ」の出自が気になる。

TWEET「頭ごしに」

 叔母の介護に、従姉妹たちの頭ごしに携わった。もちろん叔父の依頼・了解のもとだったが、終始 息苦しさを感じていた。  “老年精神科” の O先生からお電話をいただいた。 「甥・姪が介護に関わって、上手くいった例はありません。叔父・叔母が自宅に来たとき、ガス抜きに、話を聞いてあげる程度にしてください。あなたがまいってしまいますよ」  介護は家族皆の納得のもとで、協力して行われるのが本来の姿であろう。  いったんは、私の手から家族のもとへ移ったかにみえた介護も、依然 私の内で燻っている。  「頭ごしに」は「頭ごなしに」であり続けている。

TWEET「なによりも日本語です」

  “介護” にことよせて。  活字を読み理解する習慣さえあれば、例えば私が送った、適当な書物の内容を、容易に共有することができる。もしそうでなければ、簡潔に口頭で伝えるか、メールを書くしかない。いずれにしても言葉たらずである。  要は「なによりも日本語」である。  あるいは、「メディアリテラシー」。  「メディアリテラシー」とて、しょせんは「日本語」の範疇のことである。

TWEET「容赦無く、頑なで、執拗な」

 容赦無く、頑なで、執拗な方たちとのおつき合いは、避けたいものである。 が、介護に熱心な従姉妹たちのご依頼・ご相談ごととなれば、話は別である。  一つのご依頼・ご相談ごとが解決すれば、またたく間に 私は置き去りにされる。この落差に、私はしばしの間 抑うつ状態に陥る。そして、次のご依頼・ご相談ごとが舞い込む。  私は口先の人であり、従姉妹は実際に介護をする人たちである。 「 容赦無く、頑なで、執拗な」は、熱意の表れである。  頑張りすぎないこと。  無理をしすぎないこと。  早めに音をあげ、周囲に助けを求めること。  私の従姉妹たちへの願いである。

TWEET「セツブンソウ」

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 叔父が、「YAMAP(アプリ)」に投稿している。  雨天時以外は夫婦連れ添って、主に「 湖西連峰( 静岡県西部 )」をトレッキングしている。  以下、2025/02/ 11 に撮影された「セツブンソウ」である。 「セツブンソウ」  シックな装いの「セツブンソウ」は上品である。叔父夫妻の性格にも似て、会心の一枚である。  そんな叔父が今日、81歳の誕生日を迎えた。

TWEET「令和7年1月2日」

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 午前中、叔父と叔母がお年賀の挨拶に来てくださった。  お年賀に、叔母に、 ◇ 安野光雅『御所の花』朝日新聞出版 を差し上げた。すると、 「牧野富太郎さんの本はありませんか? 」 と聞かれたので、 手元にあった、 ◇『芸術新潮 - 博士の愛したフローラ- 2023年7月号」 を渡した。2023/06/26 DちゃんとKさんの結婚式の一日を、「栂尾山・高山寺」で過ごした帰途、「くまざわ書店 京都ポルタ店(駅ナカ)」で買い、以来 積読してあった品だった。  その後、Amazon から、 ◇『牧野富太郎の植物図鑑』高知県立牧野植物園 ◇『牧野富太郎の植物画集』高知県立牧野植物園 をお送りした。楽しんでいただければ、という祈りにも似た願いからだった。  叔父へのお年玉として用意してあった日本酒、 ◇「久保田 千壽 純米吟醸」 を渡し忘れた。  帰り際、従兄弟の一周忌のお供えに、唐招提寺参観時( 2023/06/06 / 鑑真和上の命日) に購入した「天平香」のセットをあつらえた。  午後には、近所の方から、一枝(いっし)の、 「山茶花」と、ふた枝の「 「チェリーセージ」 の花をいただいた。花瓶といった洒落たものもなく、醤油差しと小鉢に挿した。 春先に移植すれば根付きますよ、とのことだった。  突然 春が舞い込んできた。  生気に満ちている。  断章が続きます。 「山茶花 大和富士 」 「チェリーセージ」

「頌春」

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「バラ(エンブレスミチコ)」 安野光雅『御所の花』 朝日新聞出版 (69頁)