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白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

中井久夫「看護できない患者はいない」

「看護できない患者はいない」 中井久夫『看護のための精神医学』 医学書院  看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ。  病気の診断がつく患者も,思うほど多くない。診断がつかないとき,医者は困る。あせる。あせらないほうがよいと思うが,やはり,あせる。しかし,看護は,診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」──看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際,医者の治療行為はよく遅れるが,看護は病院に患者が足を踏み入れた,そのときからもう始まっている。(2頁) 『中井久夫の臨床作法』日本評論社  2015/09/09 に出版されたばかりのムックです。 「精神科医・中井久夫が患者と家族に接する流儀は、絶望の淵にある人びとの治療への士気を高め、『希望』を処方することだった──その卓越した治療観から学んだ人びとによる中井流対人作法のエッセイ決定版!」

河合隼雄「こころとからだの中間の病気です」

中井久夫,山口直彦『看護のための精神医学 第二版』医学書院 「こころ」と「からだ」 ーー考えすぎないための資料として ●たんなる「こころの病気」ではない  精神科医療を〈こころ〉の病気だという際の最大の副作用は、家族や隣人、ときには本人までが、「こころがけが悪いからなった病気である」と考えることである。これは有害な誤解である。むしろ、もう少しこころがけが悪くなってほしい患者のほうが多いくらいだ。  では、どこの病気であるのか。河合隼雄氏は、「こころとからだの中間の病気です」と答えるようにしているそうだ。(12頁) ●〈こころ〉と〈からだ〉のあいだには   〈こころ〉と〈からだ〉のあいだには、それでは何があるのか。ここで心身問題がでてくる。心身問題とは、昔から哲学者や医者を悩ませてきた「こころとからだの関係はどうか」という問題である。これはあまり考えすぎるとわけがわからなくなるので、「考えすぎないための資料」を記す。 1. 二つは別々に離れているわけではないのに、〈こころ〉から始めるといくら行っても〈からだ〉に達せず、〈からだ〉(脳)から始めるといくら行っても〈こころ〉に達しない。 2.(前略)もっと単純に、脳とこころとは紙の表と裏のようなもので、二つに分けることもできないが、同時に両方を眺めることもできないようなものだと考えてもよい。酒が少し入るだけでこころに大きな変化がおこるのだから、生理と心理とは文字どおり表裏一体なのだが、「表裏一体」ということは同時に両方から眺められないことでもある。(12-13頁)

河合隼雄「私はこころの病ということばを絶対に使わない」

河合隼雄「私はこころの病ということばを絶対に使わない」 15 気働き文化の力 中井久夫『新版・精神科治療の覚書』日本評論社  精神科の病はこころの病である、とはいろいろな教科書や啓蒙書のはじめに書いてあることだ。あたりまえの言い草にきこえる。だが、はたしてそうだろうか。  こころとは何だろうか。そしてこころは病むようなものだろか。私はここで素人ふうの哲学論をくりひろげようとは思わない。ただ、この表現が誤解を生みやすいものであることをいっておかねばならない。  いみじくも、河合隼雄氏は、ある講演の中で、「私はこころの病ということばを絶対に使わない。たいていは周囲の人に“こころがけが悪いからなる病気だ”ととられて患者が叱られるのがオチだから」と、語られた。  私の心は病んでいるかと自問自答してみると、健康だ、と胸を張っていえる状態ではとてもないが、病んでいる、という実感はない。日常用法に即していえば、「こころが病む」という用法も「こころが疲れる」という用法もめったにない。われわれは、精密な定義を追求しさえしなければ、こころというものが分かっている。その証拠は、「こころ」と話相手にいわれた時に途方に暮れたりしないことである。ただ、「こころ」が「からだ」とは全く違ったあり方で“ある”(“存在する”ーーこのことばも同じ意味では「こころ」と「からだ」に使えないだろうが)ことも分かっている。「病い」という意味も当然同じではないだろう。身体の概念を軽々しく援用することが現に患者を追いつめるならば、慎まなければなるまい。いろいろな保健衛生の教科書や家庭医学書、それにこのごろつぎつぎに出る啓蒙書ではどうなっているだろうか。  ついでながら、こころはまず「傷つくもの」であるようだ。漱石の『こころ』はおそらく、いろいろな含みのある中で、第一に「傷つくもの」としてのこころ、だろう。長く長く、皮膚の下でうずきつづけたこころの傷である。(217-218頁)   本書はこころで始まって「気」に深入りしたが、「気」にあまりとらわれてはなるまい。「気づかい」と「心づかい」のような対をいくつか作ってみると、「気」と「こころ」の含みの違いが浮き彫りにされてきはしまいか。日本語で「こころ」と呼んでいるものは、傷はついても病むものではなさそうであり、「気」中心のビヘイヴィアより「こころ」中心のビヘイヴィアのほ...

長谷川和夫「故・河合隼雄さんの忠告」

  突然、読書の趣向が変わった。  父が「介護老人保健施設(老健)」に入所して二年ちかくになる。先月 (2022/05) の下旬から体調が悪く、準備を急いでいる。 「故・河合隼雄さんの忠告」 ◇ 長谷川和夫『認知症でも心は豊かに生きている ー 認知症になった 認知症専門医 長谷川和夫の 100 の言葉』中央法規   河合隼雄(かわいはやお)さんは、生前、認知症医療の現状を「患者は物語を持って病院に行き、診断名だけを貰って帰る」と話されていました。私は、本当に耳の痛い言葉であると思いました」(192頁)  米国の「臨床心理学者」、カール・ロジャースが「来談者中心療法」(「クライエント中心療法」,「パーソンセンタード・アプローチ」)を創始したのは、1940年代のことだった。一方、英国の「老年心理学者」,トムキットウッドが「パーソン・センタード・ケア」を提唱したのは、1980年代末のことである。 「臨床心理学(カウンセリング)」と「老年心理学」を単純に比較するつもりは毛頭ないが、河合隼雄の眼には、早くから、「認知症医療」の現場は、非人道的に映っていたのであろう。「パーソン・センタード・ケア」と「臨床心理学(カウンセリング)」との間には共通する領域が多くみられる。河合隼雄の言葉を、「忠告」と解し、「耳の痛い言葉」であると受け止めた、長谷川先生は立派である。  さて、前回のブログで、  「やはり、何かと地方都市は不利だと思う。人材不足と相俟って、保守的で、旧態依然としている感が否めない」 と書いたが、当地で適当な医療機関が見つかるのだろうか。猜疑の念を抱いている。  父はいま、病の温床である、「退屈」「無為」「無関心」な生活を送っている。 ◆ トム・キットウッド&キャスリーン・ブレディン著,高橋誠一監訳,寺田真里子訳『認知症の介護のために知っておきたい大切なこと / パーソンセンタードケア入門』筒井書房 を注文した。古書である。早い到着が待たれる。

河合隼雄「神用語を話す」

30 -「神用語(しんようご)」を話す 河合隼雄『「老いる」とはどういうことか』講談社 +α 文庫 「アイヌの人たちは、老人の言うことがだんだんとわかりにくくなると、老人が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために、一般の人間にはわからなくなるのだと考える、とのことである。  老人が何か言ったときに、「あっ、ぼけはじめたな」と受けとめるのと、「うちのおじいちゃんも、とうとう神用語を話すようになった」と思うのとでは、老人に接する態度が随分と変わってくることであろう。  「神用語」いう言葉を考えだしたアイヌの人たちの知恵の深さに、われわれも学ぶべきである」(83頁) 「言葉」にかぎらず、「行住坐臥」 ,「立ち居振る舞い」についても同様に考えれば、ずいぶんと受け止め方が変ってくる。 「尊厳」に関わる問題である。

河合隼雄「こころの最終講義」3/3

「気配を読み取る」 河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫  これは、私、すごく衝撃を感じましたのは、ブタヤマさんがチョウをとりに行っているでしょう。チョウというのは、ギリシャ語でプシケでして、これはチョウでもあるし、心でもあるんです。そういうふうに見ますと、このブタヤマさんというのは心理学者のような気がするんですね。心理学者は心を追いかけて、ばーっとやっているんですけれども、後ろからいろんなのが来ているのに全然見ない。時々、非常に上手に、何にもないときに後ろを見るんですね。「後ろを見ました。完全に見ました。何もありませんでした。そよそよ風が吹いてきました」とか何とか言って、「私は実証的にやっております」と言うんだけれども、一番大事なときに後ろを向いていない。  これは皆さんがよくご存じの鶴見俊輔さんと対談したときに、長さんというのはすごいですなと言うので、この話をしたら、鶴見さんがええことを言われましたね。「ああ、気配がわからなだめですな」と言うんですね。後ろからこう来ているのは、気配というものなんです。だから、われわれ心理学とか臨床心理学をやるものは、気配を読み取らなくっちゃだめなんです。前ばっかり見て、何もないときに後ろを見て、前も後ろも何もありませんというんじゃなくて、気配をさとるというのも、これは僕はコンステレーションを読むということと大いに関係しているんじゃないかなと思います。  そういうことを読み取れる人間として、われわれが成長していく、努力するということが大事ではないかということを、この絵本が非常にうまくあらわしてくれていると思います。

河合隼雄「こころの最終講義」2/3

河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫_参考文献 長新太『ブタヤマさんたらブタヤマさん』文研出版 ブタヤマさんは チョウを とるのに むちゅうです うしろから なにがきても わかりません 三つ目のおばけが出てきても 大きな鳥がお尻をつつかんばかりに迫ってきても セミにおしっこをかけられそうになっても 海から 「ザブ ザブ ザブ ザブ」 と、サカナが飛び出てきても ブタヤマさんは一向に気がつきません。 ブタヤマさんたら ブタヤマさん うしろをみてよ ブタヤマさん 「なあに どうしたの なにか ごよう」と ブタヤマさんが いいました うしろには なにもいません ブタヤマさんは また チョウを とりにでかけます かぜが そよそよと ふいているのでした 長新太さんが亡くなられておよそ一年後に出版された、 ◇『飛ぶ教室 第7号(2006年秋)特集 「ほぼまるごと一冊 長新太」』光村図書 を大切にしています。 「『おしゃべりなたまごやき』『ちへいせんのみえるところ』『キャベツくん』『みみずのオッサン』……素敵な作品をたくさん遺してくれた,長さんって一体どんな人? この本を読むと,長新太の作品と人間の魅力について色々なことが分かります。」 『飛ぶ教室 第7号(2006年秋)特集 「ほぼまるごと一冊 長新太」』光村図書

河合隼雄「こころの最終講義」1/3

河合隼雄『こころの最終講義』新潮文庫  今日 (2015/09/11) は、河合隼雄先生の 「伝説の京都大学退官記念講義」 を拝読させていただきました。講義名は、 「コンステレーション ー 京都大学最終講義」 でした。  下記、サブタイトルです。サブタイトルだけ見ますと、難しそうに思えますが、平易なことばで語られています。が、内容の理解の程度には、個人差があり一様ではないことは当然のことです。 「言語連想テストからの出発」 「原型がコンステレートしている」 「自己実現の過程をコンステレートする」 「一つの事例」 「母なるものの元型」 「意味を見出すということ」 「全体がお互いに関係をもつ」 「コンステレーションを私が読む」 「余計なことをしない、が心はかかわる」 「気配を読み取る」 「コンステレーションと物語」 「日本の神話をいかに語るか」  講義中には、「コンステレーション(布置)」とか「アーキタイプ(元型)」とか「シンクロニシティ(共時性)」という言葉が頻繁に出てきます。学生時代に読んだ河合隼雄先生の『ユング心理学入門』培風館 を思い出しました。河合隼雄先生の京都大学での講義録です。河合隼雄先生が京都大学で講義をされている姿を久しぶりに思い描きました。乱雑で乱脈な行きあたりばったりの講義が多い中で、河合隼雄先生の体系だった講義に、当時驚いたことを懐かしく思い出しました。  ことあるごとに「最終講義」を読み直そうと思っています。貴重な講義録です。  なかで、 長新太さんが書かれた絵本『ブタヤマさんたら ブタヤマさん』に触れられています。項をあらためて書こうと思います。

 長新太『つみつみニャー』あかね書房 / 河合隼雄『子どもの本を読む』岩波現代文庫

TWEET 長新太『つみつみニャー』あかね書房 その一 2015/09/20  長新太『つみつみニャー』あかね書房 が届きました。先日 図書館で読みましたが、もう一度読み直してから、河合隼雄『子どもの本を読む』岩波現代文庫 所収の「長新太 『つみつみニャー』他」を読もうと思っています。どんなことが書かれているのか、とても楽しみです。 長新太『つみつみニャー』あかね書房 その二 2015/09/20  長新太さんの『つみつみニャー』を読み直しました。ゆっくり時間をかけて読ませていただきました。「あとがき」に「文と絵の相乗作用が肝要なのです」と長新太さんが書かれている通り、文と絵が上手く響き合って、相乗効果が生まれ、愉快で、楽しく、おかしかった。   絵は細部にいたるまで描きこまれていて、また筆の運びによる色の濃淡までが、はっきりとわかりますので楽しみは尽きません。「ほとんど天才」であり、「ナンセンスの神さま」の異名に恥じない作品でした。  読んで楽しければそれでよく、批評も批判も解釈もどうでもいいのですが、やはり河合隼雄さんが読み解かれた『つみつみニャー』は気になります。早速 河合隼雄『子どもの本を読む』岩波現代文庫 所収の「長 新太 『つみつみニャー』他」を読ませていただくことにします。 河合隼雄が読み解く 長新太『つみつみニャー』あかね書房 2015/0 9/20 「大人にも読んでもらいたい子どもの本の数々ー」を紹介するのがこの本の目的 ですので、その多くが『つみつみニャー』の内容の紹介に費やされていますが、関連する河合隼雄さんの心理臨床の事例もいくつかあげられています。 「長新太は、このような突如として出現してくる非日常空間を描くことにかけては、希有の才能をもった人である」 「題名を聞いただけで子どもが転げまわって喜ぶような、そんな題名を長新太はどうして思いつくのだろうか。その答は簡単である。長新太は考えついたり、思いついたりするのではなく、それは「自然に出てくる」のだと思われる。自然に出てくるものは、人間の浅はかな知恵を常に上まわる。子どもを喜ばしてやろうなどとして、何かを考えついてみたところで、それはまったく子どもにとって興味のないものになることだろう」   「本当に考えてみると、三角と円とは実に根源的な形で、この二つを組み合わすとどんなものにでもなると言い...

V. ベレストフ原案,阪田寛夫文,長新太絵『だくちる だくちる ― はじめてのうた』福音館書店

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私の最も好きな絵本です。 哀愁を帯びています。 『だくちる だくちる ― はじめてのうた』

エーリヒ・ケストナー作,池田香代子訳『飛ぶ教室』岩波少年文庫 141

エーリヒ・ケストナー作,池田香代子訳『飛ぶ教室』岩波少年文庫 141 2022/06/22 二冊の本の到着を待ちながら、その間(かん)に、 ◆ エーリヒ・ケストナー作,池田香代子訳『飛ぶ教室』岩波少年文庫 141 を読んだ。いまなぜ、『飛ぶ教室』かといえば、 ◆ 河合隼雄著,河合俊雄編『〈子どもとファンタジー〉コレクション1 子どもの本を読む』岩波現代文庫 のなかの、下記の条(くだり)を眼にしたからである。 「『これから学校の教師となる人たちのために、是非読んで欲しいと思う本を五冊推薦していただきたい。』ある教育雑誌から、このような依頼を受けた。 (中略)  私はともかく第一冊目に児童文学書をあげようと心にきめた」(23頁) 「ただ、この一冊となると選択に迷い、息子たちに相談したところ、全員一致で『飛ぶ教室』を推薦したので、私もそれに従うことにした。確かにこれは素晴らしい選択だ」(24頁)  なお、帯には、「大人にも読んでもらいたい 子どもの本の数々 ー」 と記されている。 「確かにこれは素晴らしい」本である。登場人物が皆 個性的であり、特に、「ヨーハン・ジギスムント・ギムナジウム(高等中学)」と「実業学校」の決闘の場面は秀逸である。  河合隼雄の、臨床心理学者としての解釈は、一貫している。書店での立ち読みで間に合うものである。せっかくならば、一冊のみでなく、ぜひ二冊 合わせて読んでいただきたいと思っている。特に、先生方、子育て世代の方々に読んでいただきたいと思う。  ちなみに、対象年齢は、「小学 4・5 年以上」と書かれている。

「絵本 Best 7」

「絵本 Best 7」  学生時代、当時 児童文学作家として活躍されていた、砂田弘先生の講義、「日本児童文学」で 、はじめて絵本と出会った。砂田先生の講義は、はるかに「日本」を超えていた。その後にはやはり、河合隼雄の影響が大きい。  以下の、 7冊の絵本が手元にある。いずれもさしあげては、購入することを繰り返した絵本ばかりである。私の手元に置いておきたい、Best 7 である。 Best 7  は、たちまち私の手をすり抜けていく、 Best 7  でもある。真新しい絵本ばかりである。 ◇ 松谷みよ子著,瀬川康男絵 『いないいない ばあ』童心社 ◇ 松谷みよ子著,いわさきちひろ絵『おふろでちゃぷちゃぷ』童心社 ◇  V. ベレストフ原案,阪田寛夫文 , 長新太絵『だくちる だくちる ― はじめてのうた』福音館書店 ◇ エリック・カール作,もりひさし訳『はらぺこあおむし』偕成社 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『じぶんだけのいろ ー いろいろさがしたカメレオンのはなし』好学社 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし』 好学社 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社  絵本を読む際には、遅読を心がけ、絵に目を凝らしてください。簡単に頁を繰らないでください。絵本とは、絵が主、文は従と心得てください。特に、 レオ・レオニの絵は卓越していて、細部を注意して見ないと面白みが半減します。 ◆ 松谷みよ子著,いわさきちひろ絵『おふろでちゃぷちゃぷ』童心社 の、 いわさきちひろさんの描いた「紫色」は鮮やかです。「紫色」に魅かれ、購入しました。 学生時代には、「ちひろ美術館」に何度かお邪魔しました。 ◆ 松谷みよ子著,瀬川康男絵 『いないいない ばあ』童心社 で、生後2か月の姪の長女が笑いました。大いなる試行でした。 当書は、1967年に出版され、出版総数 700万部を越えるロングセラーです。 ◆ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社 は、大人のための絵本です。  谷川俊太郎さんの和訳は感心しません。原文は知りませんが、日本語の絵本ですから、下手な日本語をあてがわれると困惑するばかりです 。ましてや、フレデリックは詩...

河合隼雄 『子どもの宇宙』岩波新書

河合隼雄 『子どもの宇宙』岩波新書  「この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する「教育」や「指導」や「善意」という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。  私はふと、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではなかろうか。」(1頁)  「私は心理療法という仕事を通じて、多くの子どもにも大人にも会ってきたし、そのようなことについて報告を受けたり、指導をしたりすることを長年にわたって続けてきた。そして、私は実に多くの子どもたちが、その宇宙を圧殺されるときに発する悲痛な叫びを聞いた。あるいは、大人の人たちの話は、彼らが子どものときにどれほどの破壊を蒙ったか、そしてその修復がいかに困難なものであるか、ということに満ちていた。彼らの発する悲痛な叫びや、救いを求める声はまったく無視されたり、かえって、「問題」だという判断のもとに大人たちから圧迫を強めるだけに終ったりした。本書を書こうとする主要な動機は、そのような宇宙の存在を明らかにし、その破壊を防止したいからに他ならない。」(6頁)  「大人になるということは、子どものときにもっていた素晴らしい宇宙の存在を忘れることではないか、と先に述べた。実際、われわれ大人もそのなかにそれぞれが宇宙をもっているのだ。しかし、大人は目先の現実、つまり、月給がどのくらいか、とか、どうしたら地位があがるか、とかに心を奪われるので、自分のなかの宇宙のことなど忘れてしまうのである。そして、その存在に気づくことには、あんがい恐怖や不安がつきまとったりもするようである。  大人はそのような不安に襲われるのを避けるために、子どもの宇宙の存在を無視したり、それを破壊しようとするのかも知れない。従って、逆に子どもの宇宙の存在...

河合隼雄,谷川浩司『「あるがまま」を受け入れる技術 』PHP文庫

「 考えが行き詰まったら寝たほうがまし」 「谷川さんが仰(おっしゃ)るとおり、僕も人間が本当に集中できるのは一時間以内だと思いますね。せいぜい四十分か四十五分ぐらいじゃないかという気がします。  原稿を書いてる時に、だんだん行き詰まってきて憂鬱(ゆううつ)になってくるでしょ。そういう時に、昔は「書かないかん、書かないかん」と思って、なんやかんやと焦ったものです。焦っていろんなことをしてみるわけですが、結局書けないまま時間がどんどん経って、締切が近づいてくるということがよくあったんですよ。ところが、このごろは焦るのをやめたんです。じゃあどうするかというと、書いていて行き詰まったら、パッとそこで寝るんですよ(笑)。  僕は書き物をする時は座り机なんですが、最近では寝る時のために背中の後ろに枕を置いてあるんです。昔はそこに広辞苑が置いてあって、それを枕に寝たこともありましたが、このごろはちょっと昇格して枕を置いてあるんですね。それで、行き詰まったらバタッと後ろに倒れて寝る。その時には十五分寝るとか心に決めておくんです。それで、パッと目が覚めて起きてみると、行き詰まってた原稿があんがいさらりと書けるんですね。  それで、ものすごい能率が上がります。それを以前は「途中でやめたらあかん」と思って頑張ってたわけですが、頑張っても結局そんな時は頭が働いてないんですね。それで時間ばかり経ってしまう。長い時間をかけているから頑張ってるようだけど、本当は何もやってないわけですね。それだったら寝るほうがよっぽどいいです」 (137-138頁) 「方向性を持たずに、ボーッと聴く」 「何もしないことが、力を生む」 「それにしても、集中力というのは難しいものですね。カウンセリングの現場でも、クライエントが来られて話を聴くでしょ。その時に、もちろん集中して聴くわけですが、その時の集中力というのは、何かひとつの方向に収斂(しゅうれん)していくような集中の仕方ではなくて、言ってみれば方向性を全部捨てた集中力なんですよ。精神分析学を始めたフロイトは、そのことを「平等に漂える注意力」と言っています。 (中略)  そうではなくて、クライエントがたとえ「父が酒飲みで困ってる」とか言っても、「ふんふん」と言って聴いています。そのうち、窓の外に鳥の声がしたら「鳥が鳴いてますよ」「鳴いてるね」というような話もするで...

小倉遊亀,小川津根子『小倉遊亀画室のうちそと』 読売新聞社

「 滋賀県公立高校入試」より 小倉遊亀,小川津根子『小倉遊亀画室のうちそと』 読売新聞社 ◇ 次の文章は、滋賀県出身の日本画家・小倉遊亀(おぐらゆき)さんに対するインタビューをまとめたものの一節である。これを読んで、あとの問いに答えなさい。  (聞き手)先生の作品は、人物でも静物でもみな動いていますね。あれはどういうわけでしょう。 (小 倉)自分でも、どうしてかわからないけど、絵の方でひとりでに動いて見えるんです。 (聞き手)よく情緒過多で、へきえきするような絵がありますが、先生のは逆で、モノをモノとして突き放しているのに、生きています。 (小 倉)人によく見せようとか、きれいに描こうとかいう気があるとベタつくんです。仏さんを描いて、仏さんらしく見せなくちゃならないとか思うと、そうなるんですわ。無心で描けばならないんです。 (聞き手)肝心のモノよりも、自分が先に出ちゃうわけですか。 (小 倉)そうです。出そうとすれば引っ込むし、引っ込めれば出る。厄介なものです。  いまここに、壺と、椿の「蜀江の錦(椿の品種の一つ)」とが置いてあって、それは大変調和がとれて、美しく私には感じられますね。いいなア、と思います。いいなア、と心底から思ったときには向こうも私も区別がつきません。向こうが我か、我が向こうか、わからない。自分が椿になり、椿が私になり、です。そのときは即刻、木炭をとってね、その椿を見えたとおりに描く。椿のとおりには描かないかもしれません。だけれども、自分がいいと感じたとおりに描くんです。そうしますとね、その絵はほかの人が見ても、同じように生き生きと見えるんですよ。 (聞き手)いいな、と感じる気持ちをいつも自分が持っていないといけませんね。 (小 倉)そうそう。あなたが、好き、と思ったらね、絵心がなくてもいい。気持ちが先です。そしてね、一切の先入観なしに見るんです。椿だって先入観を持って見たら本当の椿は見えません。目と心を澄ませてね、一切の先入観と雑念を払えば、椿の中に入り込めるんです。 (聞き手)なかなかむずかしそうですね。 (小 倉)むずかしくはありませんよ。いいと思ったら、そんなもん、どっかへ飛んでいってしまう。パッと見て、いいなと思えばそれでいいんです。 (聞き手)無理するからへんてこなことになるわけですね。 (小 倉)そうです。無理せんかていいんで...

赤瀬川原平『ニャーンズ・コレクション』小学館

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赤瀬川原平さん著 「中2生「ウィンター ワーク」より  中学生の冬休みの課題で、熊谷守一さんの本物の猫と見まがうばかりの「斑猫」と、それについての赤瀬川原平さんのすてきな文章に出会いました。2007/12/19 のことです。  クリックまたはタップして、拡大してお読みください。  猫嫌いな私が決して手にすることのない書籍からの引用文です。シャッター・チャンスは逃しませんでした。   白洲正子さんの書かれた「夕顔」以来の、課題でのおしゃれな文章との出会いです。

白洲正子「ツキヨミの思想」

「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫  河合隼雄(はやお)氏がNHKテレビで、十二回にわたって「現代人と日本神話」について語っていられる。  その中でもっとも私の興味をひいたのは、「中空構造」という思想であった。いきなり中空などといっても通じないと思うが、神話に例をとると、日本の神さまは三人一組になって生れることが多く、真中の神さまは、ただ存在するだけで何もしない。たとえばアマテラスとツキヨミとスサノオは「三貴子」と呼ばれるが、アマテラスは太陽(天界)、スサノオは自然の猛威(地下の世界)を象徴するのに対して、夜を司(つかさ)どるツキヨミだけは何もせず、そこにいるだけで両者のバランスを保っている。  次のホデリ(海幸彦)、ホスセリ、ホオリ(山幸彦)の三神も同様で、真中のホスセリだけは宙に浮いていて、どちらにも片寄らない。いわば空気のような存在なのである。  はじめて河合さんにお会いした時、私に話されたことを思い出す。深層心理学の先生が、クライアント(患者)に対してどのように接するのかうかがってみたところ、このような答えが返ってきた。 「若い時は、自分で相手の病を直そうと思って一生懸命になった。だが、この頃(ごろ)(その時先生は停年に近かった)は、自分の力なんか知れたもので、わたしは何もしないでも、自然の空気とか風とか水とか、その他もろもろの要素が直してくれることが解(わか)った。ただし、自分がそこにいなくてはダメなんだ。だまって、待つということが大事なんですよ」  まるで昔の坊さんのようなことをいう方だと思ったが、更につづけて、「私はそういう方法をとっているが、外国人や日本の若い人たちは、自分の力で直そうとやっきになっている。人はそれぞれ自分のやり方でやればいいんです」といわれたので、よけい感銘を深めた次第である。蛇足(だそく)をつけ加えれば、河合さんは自からの臨床体験によって、「中空構造」という思想に達したので、神話に対する単なる興味とか研究ではなかったのである。  考えてみると「中空構造」は、よくも悪くも、日本人の生活のあらゆるところに見出(みいだ)される。詳細はここでは省きたいが、そのもっとも顕著な在りかたは、日本の天皇に見出されるのではないかと私は思っている。(232-233頁)  昔、小林秀雄さんに、「人間は何もしないで遊んでる時に育つんだよ」といわ...

白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫

2018/01/09  用を足したついでに、なに当てにするともなく、書店に立ち寄りました。 ◇ 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫 は、書棚に並んでいましたが、 ◇ 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 は、ありませんでした。 『日本のたくみ』を買って帰りました。早速数編の作品を読みました。院内読書です。 「韋駄天お正」の本領発揮です。足で書かれた本です。白洲正子のいつもの叙情は散見されるばかりで、叙事に終始していますが、「たくみ」の抒情がそれを補って余りあります。 2018/01/13 「たくみ」の世界とは、目的意識とか、ときには無欲という欲も無心という心さえ障りのある世界であることを知りました。実に多くの裏方さんたちの「愛情と努力」よって支えられている世界でした。  名匠たちによって織り成された作品群は、初春には誠にふさわしく、清々しい一冊でした。また、当作品でも、河合隼雄があだ名した「白洲正宗」の切っ先は鋭く、健在でした。新春の夢見心地はきっぱり払拭されました。 「穴大(あのう)衆の石積 - 粟田万喜三  前に長命寺(ちょうめいじ)で、四畳敷ほどもある大きな石が山から落ちた時、沖の島(長命寺の北にある孤島)から来た六十歳くらいの山方がいて、石を見わけることにかけては名人であった。そのままでは動かせないので、割ることになったが、彼は何日も黙って石を見ているだけで、仕事にかからない。石には必ず目があって、その目にそって切らないと、道具をはねつけてしまう。それ程この大きな石の目は複雑だったのであろう。山方が見つづけていたのは、石に問いかけていたので、答えを得ると、割ることはたやすい。だから上手な人の玄能は、(よく割れるので)いつまでもへらないが、下手が使うと忽(たちま)ち駄目になる。むつかしいのはあくまでも石を見わける眼であって、今は機械を使うから、実際の仕事の方は二の次だといった。(34-35頁) 「糸に学ぶ―田島隆夫」  なかでも「結城の在に名人のお婆さんがいて、死ぬ前に寝床の中でひいた」という「死花」の話には感心しました。(202頁) 「たくみ」と呼ばれるほどの方たちの話は興味深く、そのこまやかな配慮にはあやかるべきものがあります。

白洲正子「近江は日本の楽屋裏」

「笠置寺」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社 石があったから石仏を造った。 それでは少しも答えにはなるまい。 そこには仏教以前からの 石の信仰があり、 仏教と結びつくことによって 花開いたのであろう。 現に笠置の磨崖仏などは、 明らかに巨石信仰の形を遺しており、 道のべの石地蔵も、仏というより さいの神のような姿をしている。 (『道』「春日(はるひ)の春日(かすが)の国」)(53頁) 「石塔寺」 「司馬遼太郎の近江散歩抄」 司馬遼太郎,白洲正子,水上勉 他『近江路散歩』(とんぼの本)新潮社 「石塔寺にゆけば、近江がわかる」  というのが、「上代以来、近江に住んでいる」という草津在の友人我孫子(あびこ)元治氏の説であった。どうわかるのか、このながい石段をのぼりつめてみねばわからない。途中で、なんどか息がきれた。 (中略)  最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては、私は生涯わすれることができないだろう。  頂上は、三百坪ほどの平坦地である。まわりにも松がはえている。その中央に基座をおいてぬっと立っている巨石の構造物は、三重の塔であるとはいえ、塔などというものではなく、朝鮮人そのものの抽象化された姿がそこに立っているようである。朝鮮風のカンムリをかぶり、面長扁平(へんぺい)の相貌を天に曝(さら)しつつ白い麻の上衣を着、白い麻の朝鮮袴をはいた背の高い五十男が、凝然としてこの異国の丘に立っているようである。 「なんのためにこんな山の上にこんな塔があるのだろう」  と、同行のたれかが気味わるそうにつぶやいたが、これはこの方面のどういう専門家にも答えられぬことであった。巨石の積みあげによる構造上の技法は、あきらかに古代朝鮮のものだそうである。  ーーこの近所の帰化人がやったことです。  と、たまたま頂上にのぼってきたこの寺の坊さんがいった。この丘の付近は、八日市にしろ日野にしろ、上代帰化人の大集落のあったところである。かれらが、故郷をなつかしむあまり、この山の上にこのような巨石をひきあげ(どういう工夫でひきあげたか、謎である)、それをどういう技法かで積みあげ、いかにも擬人的な石塔を組みあげて半島をしのぶよすがにしたのであろう。 (中略)  いつごろ、たれがこれを作ったか、むろんわからない。(なるほど、近江はよくいわ...

村瀬明道尼『ほんまもんでいきなはれ』文芸春秋

 積読すること十数余年、「ほんまもんで行きなはれ」とばかり読んでいました。  ある年の晩春の琵琶湖釣行時には、あまりもの貧果に喘ぎ、釣りに見切りをつけ、彦根市街を散策中に、店主の人柄のしのばれる小さな書店で、お土産にと思って求めたのがご縁でした。 「ほんまもんで生きなはれ」と読むのが一義だ、と気づいたのは、昨年の暮れのことでした。  早速「第三章 再生」と「終章」を読みました。 帯には、 9つで親元を離れ仏門に入り、 33ではじめて知った道ならぬ恋…。 尼として、おんなとして精一杯、生きてきた。 精進料理の月心寺 「庵主さん」痛快一代記! 庵主さん」をひと口にいえば、 一休和尚を女にしたような尼さんで、 お酒も飲めば、熱烈な恋もする。」                     白洲正子著『日本のたくみ』より と書かれています。  今度(来世で)も悪名がついてくるとしたら、なるたけ高いと楽しいなあ、と思います。悪名というものは、立つまでがまた、一苦労なのですから。(284頁)  ふたりきりの病室で、師匠は私の事故後の姿を初めて見て、手を取って泣きました。 「五体満足で、よう生き抜いたな、宗清。わしが死んだら宗弘を頼むで。苦労したな」(276頁) の言葉が身につまされます。

白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』3/3」

「吉越立雄(たつお)能の写真」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  羯鼓(かっこ)の小さな桴(ばち)を握り、大きく両手を掲(あ)げた、梅若実は仏さまのようである。「そのうつろな眼」、障るところのない形姿(なりかたち)は、宙をたゆたうようである。我が舞うのか、彼が舞わせるのか。それは、劇中のことではなく、心中の問題である。 小林秀雄「無常という事」  この世は無常とは決して仏説という様なものではあるまい。それは何時如何(いついか)なる時代でも、人間の置かれる一種の動物的状態である。現代人には、鎌倉時代の何処かのなま女房ほどにも、無常という事がわかっていない。常なるものを見失ったからである。 小林秀雄「当麻」  室町時代という、現世の無常と信仰の永遠とを聊(いささ)かも疑わなかったあの健全な時代を、史家は乱世と呼んで安心している。  それは少しも遠い時代ではない。何故なら僕は殆(ほとん)どそれを信じているから。 (中略)  肉体の動きにの則(のつと)って観念の動きを修正するがいい、前者の動きは後者の動きより遥(はる)かに微妙で深淵(しんえん)だから、彼(世阿弥)はそう言っているのだ。不安定な観念の動きを直ぐ模倣する顔の表情の様なやくざなものは、お面で隠して了うがよい、彼が、もし今日生きていたなら、そう言いたいかも知れぬ。

白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』2/3」

「吉越立雄(たつお)能の写真」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社  あるとき、吉越さんは、ふとこんなことを口走った。  ー 舞台と見物席の間で、カメラを構えていることはたしかに辛い。またさまざまの(お能以外の)制約にしばられることも、忍耐が要(い)る。が、それとは別にシャッターを「押してりゃ写っちゃう」ときもある。  そして、その一例として、梅若実の『東岸居士(とうがんこじ)』をあげた。これは実の晩年、老人だから面をつけないでも構わないだろうといって、直面(ひためん)で演じた、そのときの写真である。 『東岸居士』というのは、十五、六歳の少年の能で、それを八十になんなんとする老人が、面なしで舞うというのだから、ずいぶん思い切った演出である。が、『東岸居士』という曲が、そもそも皮肉な着想なので、年端(としは)も行かぬ少年が、老僧のような悟りを得ており、世の中はすべてこれ「柳は緑、花は紅」、本来空(くう)なれば家もなく、父母もなく、出家してわざわざ坊さんになるまでもない。されば髪もそらず、衣も着ず、飄々として自然のままに生き、興にのったときは羯鼓(かつこ)を打ち、笛を吹いて舞い遊べば、それが即ち極楽ではないか。 「何とたゞ雪や氷とへだつらん、万法みな一如なる、実相(じつそう)の門に入らうよ」  と、舞いおさめて終わる。筋もなく、劇もない。いわば人間のぎりぎりの姿、ひいては「万法みな一如なる」お能の真髄を語ったものに他ならない。技術の上でも、大してむつかしくないくせに、演じにくいことでは、五指のうちに数えられるお能である。  お能にはときどき、老人か子供しか演じられないものがあるが、『東岸居士』もそういう種類の一つといえる。 (中略)  実さんはときどきそんな風に、見物の意表をつく演技をし、その度毎に成功したが、もうこの頃は、そんな気持ちもなかったであろう。根が軽い曲のことであり、囃子方もあまりよくはなく、地謡も若い連中で、面をつけることさえ億劫だったのではあるまいか。その幾分投げやりな気持ちが、『東岸居士』の思想とはからずも一致し、みごとな演技に開花した。いうまでもなく、手放しで舞える力量を具(そな)えていたからだが、それは「芸」だけが独り歩きをしているような、たぐい稀(まれ)なる見ものであった。  吉越さんの言葉を借りれば、だからシャッターを「押してりゃ写っちゃう」ほどの出...

「白洲正子の本領_稚児灌頂」

「西岩倉の金蔵寺」 白洲正子『かくれ里』講談社文芸文庫  たしかに不埒な想像だが、日本一の高僧を傷つけることにはなるまい。最澄も、空海も、想像を絶する偉大な人物で、古代仏教の頽廃の中から生れた天才なのだ。人間本来の欲望から、目をそむけるような狭量な人物ではない。一生不犯というのは、特殊な人物にしか望めぬ苦行で、凡夫の僧にしいるべきではないと思っていたかも知れぬ。そこに「稚児」という特殊な階級が生れた。むしろ自然に発生したとみるべきであろう。発生した以上、善導するにかぎる。「稚児灌頂」などという、おそらく日本にしかない不思議な儀軌ができたのも、ふしだらに流れるのを戒(いまし)めたために他ならない。花魁(おいらん)に絶大な見識を与えたように、稚児もみだりに犯すことのできぬ神聖な存在と化した。 (中略)  実際にも、男女の別のない少年には、観音や弥勒に通じる純粋無垢な美しさがあり、たとえば興福寺の阿修羅など、あの夢みるようなまなざしと、清純そのものの肢体は、天平時代の僧院にも、男色が行われたことを暗示しているように思う。観心寺のあの官能的な如意輪観音も、女ではなく、男であった。ほのかにゆらぐ灯のもと、密教の秘法をこらす僧侶たちが、そこに永遠の理想像を夢み、稚児を仏の化身と見たのも思えば当然のことである。夢にはじまり、その夢が現実となって現れる「秋の夜の長物語」は、よくその真髄をとらえているといえよう。(196-197) 以下、 「白洲正子の本領_稚児灌頂」 「南方熊楠 生誕150年」 です。

「白洲正子の本領_観心寺 如意観音」

「南河内の寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 「生身(しょうじん)の仏」という言葉があるが、それはまさしく生ま身の女体の、妖しく生き生きとした姿なのだ。ことに豊満な六臂には、不思議な力がこもり、吸いこまれそうな気分になる。女の私でもほれぼれするのだから、男が見たらどんな気を起すか。古来どれ程多くの坊さん達が、ふと垣間見た媚かしい肢体に、恋慕の炎を燃やしつづけたことだろう。如意輪には、仏法の功徳により、思いのままに苦を転ずるという意味があると聞く。してみると、この官能的な仏には、女体の最高の美を示すことによって、煩悩を転機に菩提へ導くという、逆説的な意味があるかも知れない。そんな廻りくどいいい方をするまでもなく、要するに、惚れこむことが信仰の第一歩だ。そう語っているように見えなくもない。それは多くの僧を迷わせたかも知れないが、同時に多くの僧を救ったに違いない。そういう意味では、危険な仏であり、厳しい仏でもある。秘仏にしておくに如(し)くはないが、また秘仏ほど人の興味をそそるものはない。現に私も、実物を拝んでいたら、こんな不埒な想像はつつしんだかも知れないのだ。  観心寺のお住職は、かねてから、こわい方だと聞いていた。が、私はそんな風には思わない。むしろ親切で、丁寧な方という印象を受けたが、こと信仰に関しては、頑としてゆずらぬ厳しさがある。この頑固さは尊重すべきであろう。時代錯誤とか、勿体ぶってるとか、世間の人々はいうかも知れないが、もともと真言密教は、秘密の宗教なのである。夜のとばりの中で、自力で悟る深遠な仏法だ。それに比べたら、よろずガラス張りで、解説つきで、何もかもダイジェスト的な、近頃の風潮ほど退屈なものはない。(108-109頁)

「白洲正子の本領_中山寺 馬頭観音」

「若狭紀行」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  山門を入ると、目の前にすばらしい眺望が現れた。今通って来た若狭湾から、和田の海、青戸の入江などが、微妙に入組んで一望のもとに見渡される。自然の環境は、人間の上にも影響を及ばすのか、中山寺の住職夫妻も、まことに闊達な方たちで、直ちに本堂の扉をあけて迎え入れて下さる。本堂は檜皮葺(ひわだぶき)のゆったりした建築で、広々とした風景の中にぴったりおさまって見える。  やがて、厨子の扉が開かれたとたん、私は思わず眼を見はった。そこには実に美しい馬頭観音が端座していられたのだ。馬頭観音は、三面八臂(はっぴ)の憤怒相で、逆立つ頭髪の上に、馬の首を頂き、凄まじい形相で睨みつけているが、その姿体は柔軟で、気負ったところが一つもない、ことに手足の美しさは、さわってみたい衝動に駆られるほどで、そこには柔と鋼、静と動が、みごとな調和を保って表現されている。それは理屈ぬきで、観音の慈悲というものを教えるようであった。この本尊は、三十三年目に開帳されるとかで、十月には厨子を閉ざすと住職はいわれたが、最初から計画したわけではないのに、偶然このような仏にめぐり会えたことは、何という幸せであることか。私は仏教信者ではないけれども、「結縁(けちえん 仏道の因縁)」という言葉を想ってみずにはいられなかった。(25-26頁)

白洲正子「吉越立雄 能の写真 1/3」

「吉越立雄(たつお)能の写真」 白洲正子『夢幻抄』世界文化社   吉越さんとは古い付き合いだが、はじめてお会いしたのはいつ頃だったか。覚えているのは、どこの能舞台へ行っても、見物席の片隅に坐って、黙々と撮影している姿で、それも多くの場合、シャッターは切らずに、舞台を見つめていたのが印象に残っている。(98頁)  たしかにお能にはそういう(人を病みつきにさせ、とりこにさせる)ものがある。外部の人にはわからない一種デーモニッシュな吸引力である。そして吉越さんは、それを写すのに成功している。少なくとも私が知る範囲では、彼が現れるまで、お能の写真は絵葉書を出なかった。(99頁)  ー ファインダーをのぞいているのはとても辛いことです。肉眼と舞台の間に媒介物があって、そこで私は、お能を見ながら別な作業をしている。レンズを通すと、相手の実態というものはまるで見えないものです。特に望遠レンズの場合は部分しか眼に入らない。つまらないお能のときは、それでも構わないが、いいお能のときは、身がひきさかれる想いがします。が、私は写真家であり、仕事として遺さねばならないものがあると、そう想い直して撮影するのです、と。  これはどんな仕事にも通じる辛さであろう。おそらくその我慢が美しい写真を撮らせるのだ。彼にとって、お能は「被写体」ではなく、追求して止まぬ美の化身なのである。だからカメラという機械の限度というか、その非力さをつねに感じている。そして、「写らないものが一杯ある」ことを、あきらめつつも残念に思っている。その代わり、写真でなくては表現できないものもあるに違いない。先に記した橋岡久太郎(きゅうたろう)の「安達原(あだちがはら)」などは、肉眼では逃したかも知れないものをとらえているが、特に能面の表情については、独特の才能をしめしていると思う。(104頁)  久太郎さんの写真に傑作が多いのは何故だろう。吉越さんにたずねてみると、装束付(しょうぞくつき)が特にいいように記憶しているといわれた。装束がぴったり身につくというのは、芸がしっかりしている証拠で、地味な性格であったため、生前はそれ程持て囃(はや)されなかったが、このような写真を遺して下さったことは、後進のためにもなり、私たちは感謝すべきだと思う。(100頁)  望遠レンズでのぞいてみると、面の表情というものは、実に面...

「白洲正子の本領_秋草の壺」

「草づくし 武蔵野」 白洲信哉 [編]『白洲正子 祈りの道』(とんぼの本)新潮社  桃山から江戸期へかけて、武蔵野の月と尾花は、一般民衆の間に浸透して行ったが、新古今集の歌にはじめてとり上げられた頃でも、既に一部の絵師や工芸家たちは、彼らの武蔵野のイメージを造りあげていたのではなかったか。たとえば国宝の「秋草の壺」がそれである。昭和十七年四月、川崎の日吉のあたりで、慶應義塾が工事をしていた時、偶然発見されたと聞いているが、その雄渾(ゆうこん)な姿と、秋草を刻んだ鋭いタッチは、比類がない。平安末期に、常滑(とこなめ)で造られた蔵骨壷で、ただし、絵だけは都の優秀な画家が刻んだのではないかといわれている。都の画家ならば、「武蔵野」の風景は胸中にあったに違いないし、武蔵の豪族を葬(ほう)むるための祭器と知っていれば、尾花で装飾することこそふさわしいと信じたであろう。そういう祈りに似たものを私はこの「秋草の壺」に感じる。眺めていると、強く張った形が満月のように見えて来て、茫々たる武蔵野の原をくまなく照らしているように見えてならない。(24頁)

「白洲正子の本領_仲秋の名月」

「ツキヨミの思想」 白洲正子『夕顔』新潮文庫 (月は)ただ詩歌の世界ではなくてはならぬ存在であり、月の運行、或いはその満ち欠けにによって、どれほど多くのことを我々の祖先は学んだか。古典文学だけではなく、日常の生活でも「十三夜」、「十五夜」は申すに及ばず、月を形容した言葉は枚挙にいとまもない。月を愛したことでは日本人にまさる人種はいないであろう。(234頁) 「幻の山荘 - 嵯峨の大覚寺」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  いくつぐらいの時だったろうか、大沢の池に舟を浮べて、お月見をしたこともある。最近は仲秋の名月の夜に、鳴りもの入りで船遊びを行うと聞くが、そんな観光的な行事ではなく、極く少数の物好きが集まって、ささやかな月見の宴をひらいたのである。その夜のことは今でも忘れない。息をひそめて、月の出を待っていると、次第に東の空が明るくなり、双ヶ丘(ならびがおか)の方角から、大きな月がゆらめきながら現われた。阿弥陀様のようだと、子供心にも思った。やがて中天高く登るにしたがい、空も山も水も月の光にとけ入って、蒼い別世界の底深く沈んで行くような心地がした。ときどき西山のかなたで、夜鳥の叫ぶ声が聞えたことも、そのすき通った風景を、いっそう神秘的なものに見せた。(152頁)

「大野寺から女人高野 室生寺へ」

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 大野寺はこじんまりとした清楚なお寺である。  弥陀磨崖仏で有名であるが、宇陀川対岸の弥勒磨崖仏の有無に関わらず、私はこのささやかなお寺が好きである。  御本堂はよく整えられ、浄らかである。仏前に供えられた 6つの閼伽器(あかき)と、その金色の閼伽器に浮かべられた、一枚のシキミの葉の 緑の対照が美しい。  山門脇の木箱に入山料を納め、一歩寺内に入ると歩調が一変する。素朴な、手入れの行きとどいた 緑細やかな庭に、時の経過を忘れ、迷子になる。 下記の画像は、喪中にもかかわらず、奈良大和路をぶらぶらしていた折のものです。 紫陽花の花が見ごろでした。 「2023/06/24 山門」 「礼拝所」 「礼拝所から望んだ弥陀磨崖仏(拡大して見てください)」   したがって、大野寺から車で15分ほどの、次の目的地の女人高野 室生寺へは、閉門およそ1時間ほど前に到着することになる。急ぎ足で石段を上りつつ、各お堂を参観し、御本堂(灌頂堂)を参拝後 自家用のお線香を求め、御本堂前の石段を上る。五重塔の前に立ち合掌し、ぐるりをひと巡りすると、およそ閉門時間間近になる。職員の方とともに山を降りたこともある。 2023/0624   この時間帯には、参拝者の方たちの姿はなく、ありがたいが、あまりにも性急な参拝に、いつも申し訳なく思っている。 追伸:画像が思ように並びません。いまはこれでご勘弁してください。

「白洲正子の本領_大野寺」

「室生寺にて」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫 「電車で行くと、近鉄室生口で降り、そこから室生川を六キロばかりさかのぼる。駅の近くには、磨崖仏で有名な大野寺があり、清らかな河原をへだてて、切り立った断崖に、みごとな石仏が刻まれている。この寺には、大きなしだれ桜が二本あって、春はこまやかな花をみっしりつけ、紅(くれない)の垂簾の奥ふかく、ほのかに仏が在す気配は、たとえようもなく、優美である。  春もいいが、秋も一段と風情がある。ある晩秋の夕暮、室生への帰りに立ちよったとき、落日の斜光の中に、全身がくっきりと浮かび上がり、冷たい石の肌に、山の紅葉が反映して、「弥陀来迎の図」を拝む思いがした。おそらくあのような光景は、一生に一度のものに違いない。それは険しい絶壁に向かって、仏を彫ろうと決意した人の、発願の場に立会うような心地であった。」(110-111頁)

「伊勢・瀧原宮神宮と熊野三山_巡拝の旅」

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「伊勢・瀧原宮神宮と熊野三山_巡拝の旅」 2022/04/07 起き抜けに、 ◆ 井上靖『 井上靖短篇名作集』講談社文芸文庫 ◇「 補陀落渡海記(ふだらくとかいき)」 を、 Amazon に注文した。  そして、夜明けを待って出立した。  8:10 始発の「伊勢湾フェリー」で、伊良湖から鳥羽へ向かった。潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。 ◆「二見興玉神社」  お伊勢参りの順位を踏襲し、はじめに「二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)」を参拝し、お清めの「無垢鹽(塩)草」をいただいた。「夫婦岩」に合掌し、その後、「那智の滝」をめざし、135km の道のりを急いだ。 ◆「日瀧神社」 「那智の滝」は御神体である。落差 133m の滝を、飽くことなく眺めていた。 「熊野詣」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫  翌朝起きてみると、雪が降っており、昨日とうって変った寒さである。私達は、本宮へお参りし、昨夜来た道を下って、那智へ行く。  こんなお天気にも関らず、飛滝神社の前には、観光バスが四、五台、止っている。神社といっても、ここには社はなく、滝が御神体である。大勢の人にもまれながら、石段を下って行くと、目の前に、滝が現れた。とたんに観光客は視界から消え失せ、私はただ一人、太古の時の流の中にいた。  雪の那智の滝が、こんな風に見えるとは想像もしなかった。雲とも霞ともつかぬものが、川下の方から登って行き、滝の中に吸いこまれるかと思うと、また湧き起こる。湧き起っては、忽ち消えて行く。それは正しく飛龍の昇天する姿であった。梢にたゆたう雲烟は、空と山とをわかちがたくし、滝は天から真一文字に落ちて来る。熊野は那智に極まると、私は思った。(288-289頁) ◆「青岸渡寺」 「西国三十三所巡礼 第一番 那智 青岸渡寺(せいがんとじ)」は、「熊野那智大社」に向かう途中にある。隣接しているといってもいいほどの距離である。朱の三重の塔が青空に映えていた。 ◆「熊野那智大社」  表参道の467段の石段を上った。林間から見え隠れする「那智の滝」の遠景は見ものだった。再訪することを約して、あえて「神札」は 求めなかった。 ◆「那智駅交流センター」  「那智駅」の敷地内に併設されている「那智駅交流センター」で、職員の方に、いろいろ教えていただいた。  同域内の「丹敷(にしき)の湯(...

「白洲正子の本領_那智の滝」

「熊野詣」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫  翌朝起きてみると、雪が降っており、昨日とうって変った寒さである。私達は、本宮へお参りし、昨夜来た道を下って、那智へ行く。  こんなお天気にも関らず、飛滝神社の前には、観光バスが四、五台、止っている。神社といっても、ここには社はなく、滝が御神体である。大勢の人にもまれながら、石段を下って行くと、目の前に、滝が現れた。とたんに観光客は視界から消え失せ、私はただ一人、太古の時の流の中にいた。  雪の那智の滝が、こんな風に見えるとは想像もしなかった。雲とも霞ともつかぬものが、川下の方から登って行き、滝の中に吸いこまれるかと思うと、また湧き起こる。湧き起っては、忽ち消えて行く。それは正しく飛龍の昇天する姿であった。梢にたゆたう雲烟は、空と山とをわかちがたくし、滝は天から真一文字に落ちて来る。熊野は那智に極まると、私は思った。(288-289頁)

「白洲正子の本領_円空 観音群像」

「湖北の旅」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫 「この群像(千光寺)は、彼の晩年に造られたが、その頃になると、神仏の区別などどうでもよくなったに違いない。技法は極端に省略され、神も仏も木の魂のようなものに還元してしまう。いわゆる木っ端仏との違いは、巧くいえないが、神像の雰囲気があることと、小さいながら重厚な形態を備えていることだろう。性急な息づかいも、駆け足の騒々しさも、もうそこにはなく、粉雪の降りしきる中に、森々と立つ雑木林の静けさがある。円空はついに木彫の原点へ還った。いや、日本の信仰が発生した地点に生まれ返ったというべきか。」(279-280頁) ◇ 白洲信哉 [編]『白洲正子 祈りの道』(とんぼの本)新潮社 には、 「千光寺 円空作 観音群像 江戸時代初期 木造 高 66.0〜82.5」(87頁) と題された小さな 写真が掲載され ている。  おろそかにできない尊さがある。

「高山寺往還」

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「高山寺往還」 2021/11/24(水) 「勤労感謝の日」の翌日、人混みを避け、紅葉の盛りを避け、昼過ぎに出立した。 ◆「無印良品 クロスモール豊川」 旅行用品を仕入れた。 ◆「東京庵 豊川店」 「味噌煮込みうどん定食」を食べ、勇んで出かけた。 ◆「養老 PA」 車中泊をし、薄明を待った。 2021/11/25(木) ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 2021/11/ 23  に、初冠雪を記録したとのことだったかが、新雪を戴いた伊吹山を見ることはできなかった。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 朝一番に、「渡岸寺」さんの観音さまに見えた 。お堂内は鎮まっていた。去りがたく、つい時間を過ごしてしまった。 2021/11/26(金) ◆「栂尾山 高山寺」  今回もバス停脇の裏参道から「石水院」へと向かい、逆順をたどった。 「石水院」内を、 参拝、参観し、「石水院」の 南面濡縁で裸足になって日向ぼこをしてくつろいだ。こういった過ごし方を、明恵上人は喜んでくださっている、と信じている。 「明恵上人御廟」 「開山堂」「明恵上人御廟」「仏足石」「金堂」「春日明神社」の順に参拝し、「表参道」を通って、バス停に向かった。今日も逆順だった。 「栂尾山  高山寺」のリーフレットが新調され た。 ◆「ぎをん 権兵衛」  13:30 過ぎに行ったが、行列ができていて最後尾に並んだ。ガイドブックで紹介されたのだろうか、若い女性客が目立った。 「白洲正子さんの本を読んで来ました」と言うと、笑っていた。  前回と同じく、「きつねうどん」と「親子丼」を注文した。  女将さんが帳場で、てきぱきとやりとりしている姿は、なによりだった。 帰り際 女将さんに 「いつ死んでも本望です」 「また来ます。どうぞ お元気で長生きしてください」 と言って店を出た。 ◆「東寺」 「東寺」とは相性が悪い。薄暗い堂宇に所狭しと納められた像は、私の目には明らかに映らず、残念である。「東寺」さんには「東寺」さんの事情があるのは察しがつくが、無念である。  閉館時間を気にしながらの駆け足の参拝、参観だった。最後に「 大師堂」を参拝し、「食堂」で「輪袈裟」と「ピンバッチ」を購入した。 「身は高野 心は東寺に おさめおく            大師の誓い 新たなりけり」 「東寺」を後にして、薄暮のな...