河合隼雄 『子どもの宇宙』岩波新書


下記、河合隼雄先生の『子どもの宇宙』岩波新書 からの引用文です。開塾の際のチラシの裏面に載せたものです。

 「この宇宙のなかに子どもたちがいる。これは誰でも知っている。しかし、ひとりひとりの子どものなかに宇宙があることを、誰もが知っているだろうか。それは無限の広がりと深さをもって存在している。大人たちは、子どもの姿の小ささに惑わされて、ついその広大な宇宙の存在を忘れてしまう。大人たちは小さい子どもを早く大きくしようと焦るあまり、子どもたちのなかにある広大な宇宙を歪曲してしまったり、回復困難なほどに破壊したりする。このような恐ろしいことは、しばしば大人たちの自称する「教育」や「指導」や「善意」という名のもとになされるので、余計にたまらない感じを与える。
 私はふと、大人になるということは、子どもたちのもつこのような素晴らしい宇宙の存在を、少しずつ忘れ去ってゆく過程なのかとさえ思う。それでは、あまりにもつまらないのではなかろうか。」(一頁)

 「私は心理療法という仕事を通じて、多くの子どもにも大人にも会ってきたし、そのようなことについて報告を受けたり、指導をしたりすることを長年にわたって続けてきた。そして、私は実に多くの子どもたちが、その宇宙を圧殺されるときに発する悲痛な叫びを聞いた。あるいは、大人の人たちの話は、彼らが子どものときにどれほどの破壊を蒙ったか、そしてその修復がいかに困難なものであるか、ということに満ちていた。彼らの発する悲痛な叫びや、救いを求める声はまったく無視されたり、かえって、「問題」だという判断のもとに大人たちから圧迫を強めるだけに終ったりした。本書を書こうとする主要な動機は、そのような宇宙の存在を明らかにし、その破壊を防止したいからに他ならない。」(六頁)

 「大人になるということは、子どものときにもっていた素晴らしい宇宙の存在を忘れることではないか、と先に述べた。実際、われわれ大人もそのなかにそれぞれが宇宙をもっているのだ。しかし、大人は目先の現実、つまり、月給がどのくらいか、とか、どうしたら地位があがるか、とかに心を奪われるので、自分のなかの宇宙のことなど忘れてしまうのである。そして、その存在に気づくことには、あんがい恐怖や不安がつきまとったりもするようである。
 大人はそのような不安に襲われるのを避けるために、子どもの宇宙の存在を無視したり、それを破壊しようとするのかも知れない。従って、逆に子どもの宇宙の存在について、われわれが知ろうと努力するときは、自分自身の宇宙について忘れていたことを思い出したり、新しい発見をしたりすることにもなる。子どもの宇宙への探索は、おのずから自己の世界への探索につながってくるのである。このようなことについても配慮しながら、子どもの宇宙について考えてみることにしよう。」(八頁)

 「畏敬すべきこれほどの存在に対して、「教育者」「指導者」と自認する人たちが、それを圧殺することにどれほど加担しているか、そのことを知っていただきたいのである。魂の殺害は、制度や法律によって防ぐことは不可能である。それは個人ひとりひとりの深い自覚によってのみ可能となる。本書を書いているうちに、時には魂の殺害防止のキャンペーンのようになって、激した言葉を吐いたところもあるが、子どもたちの魂のことを考えると、ついつい大声を出したくなるところがあって、その点については御寛容をお願い致したい。子どもたちの魂の叫びは、誰の耳にもとどかず、むなしくこだまが返ってくるだけのことも多いのである。


 このような一般的な書物であるので、ひろい読者に知っていただきたいと思い、これまでに発表したことと少し重複する点があることも、御了承願いたい。この本を入口として、読者が子どもの無限の宇宙のなかに、より深くはいっていって下さることになれば、真に幸いである。」(二一四頁)